車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岡山県旧加茂川町・旧賀陽町(吉備中央町)

2022年03月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧御津郡加茂川町(かもがわちょう)は岡山県の中央に位置した町です。岡山市、御津郡御津町・建部町、久米郡旭町、真庭郡落合町、上房郡有漢町・賀陽町に隣接。吉備高原に位置し、町域は高原と山林で占められ、町の南西部には吉備高原都市があり、産業・福祉・居住の調和が計られた都市計画がなされています。また県の中央に位置していたことから「心を大切にした町づくりに取り組む」という意味から、「ハ〜トオブおかやま」をキャッチフレーズにした町づくりを進めていました。「町の木:スギ」「町の花:モモ」「町の鳥:ブッポウソウ」を制定。

「岡山県中心標」

明治22年(1889)、町村制の施行により、津高郡加茂村・福山村・江与味村・上田村・富津村・新山村、賀陽郡菅谷村が発足。

1900年、郡制の施行により御野郡と津高郡が合併、御津郡となる。下道郡と賀陽郡が合併、吉備郡となる。

1904年、上田村、富津村が合併、御津郡円城村が発足。

1932年、加茂村、福山村、吉備郡菅谷村が合併、御津郡津賀村が発足。

1953年、新山村が江与味村大字杉谷・粟井谷地区を編入。

1955年、津賀村、円城村、長田村、豊岡村、新山村が合併、町制を施行し、御津郡加茂川町が発足。

2004年、上房郡賀陽町との新設合併により加賀郡吉備中央町となりました。

マンホールには『岡山のまんなか :せんたろう』とHEART OF OKAYAMAの文字がデザインされています。

旧加茂川町のキャラクター 『岡山のまんなか :せんたろう』。岡山県の地形をモチーフとした「せんたろう」が指さしている部分が、加茂川町の位置になります。

昭和30年(1955)6月2日制定の町章は、全体で「カモ川」を図案化したものです。

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旧上房郡賀陽町(かようちょう)は岡山県の中央に位置した町です。岡山市、総社市、高梁市、上房郡有漢町、御津郡加茂川町に隣接。町域の大部分は吉備高原で占められ、町の南部の吉備高原都市では産業・福祉・居住の調和が計られた都市計画がなされています。また北部の竹荘盆地では、米作のほかタバコ栽培、畜産などが行われます。南の総社市にまたがる名勝:豪渓は絶壁、石柱の奇景で知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、上房郡上竹荘村・豊野村・下竹荘村・吉川村 、吉備郡大和村が発足。

1955年、上房郡上竹荘村、豊野村、下竹荘村、吉川村、吉備郡大和村が合併、町制を施行し上房郡賀陽町が発足。

1970年、町域西部の佐与谷地区(大字上竹・西の各一部、旧上竹荘村・大和村域)が高梁市に編入される。

2004年、御津郡加茂川町との新設合併により加賀郡吉備中央町となりました。

かなり探し回りましたが、マンホールはなく、町名が記された仕切弁が一枚のみです。

昭和32年(1957)2月1日制定の町章は、「か」を力強く表し、図案化したものです。

撮影日:2014年5月24日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 岡山県吉備中央町

2022年03月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

加賀郡吉備中央町(きびちゅうおうちょう)は岡山県のほぼ中央に位置する町です。2004年10月1日、御津郡加茂川町と上房郡賀陽町が合併して発足しました。岡山市、総社市、高梁市、真庭市、久米郡美咲町に隣接。町名は町域が旧国名「吉備の国」の大部分を占める岡山県の「中央」に位置する事に由来。標高200~500メートルの吉備高原の一角にあり、水稲を中心に高原野菜、果物、花き、酪農、肉用牛肥育が盛ん。また、岡山空港に隣接し、中国横断自動車道岡山米子線賀陽インターチェンジを有する特性を生かし、吉備高原都市への産業集積を推進しています。「町の木:アカマツ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:ブッポウソウ」を制定。

キャッチフレーズは「ともに挑戦、ともに感動、ともに笑顔。自然と夢のあるまち、ビッグハートタウン吉備中央町」

2004年10月制定の町章は「吉備中央町の「き」と「中」の文字を飛翔する鳥のイメージ でデザインしています。赤のだ円は町民の情熱を表し、鳥の羽 ばたく様子には町の発展と飛躍への願いを込めています。」公式HPより

町域には、旧自治体のマンホール以外は、町名も自治体章も無いマンホールのみ。

道の駅かもがわ円城で見かけた「町の鳥:ブッポウソウ」の標本剥製。ブッポウソウは漢字で書くと「仏法僧」。由来は夜間に「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くからと言われていましたが、実はこの鳴き声の主は「コノハズク」だったそうです。でも今更真相がわかっても・・ねぇ😅

吉備中央町マスコットキャラクター『ブッポウソウのへそっぴー』。はずかしがりやで人前ではホッペが赤い。素直で呼ばれたらどこにでも飛んでいく。好物はカナブンやセミ、トンボなどの昆虫だそうで・・ちょっと太り気味?

折角なので同じ館内に展示されていたコノハズク・・いやもしかしたらミミズク、それとも無難にフクロウ?何にしてもこの一帯が本当に自然豊かな土地であることがわかります。

撮影日:2015年4月25日

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マンホールカード、頂きました。

20219年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「吉備中央町」のマンホールカードは、「平日:吉備中央町吉川支所(きびプラザ内)土日:ロマン高原かよう総合会館」でいただけます。

1985年に設置開始されたマンホールには「せんたろう」と「HEART OF OKAYAMA」の文字がデザインされています。

「吉備中央町は、標高200~500mのなだらかな高原地帯にあります。 賀陽町と加茂川町の合併により平成16年に発足しました。 岡山県の中心(おへそ)に位置する地理的特性を生かした産業集積を推進しています。 マンホール蓋には、旧加茂川町のキャラクター「せんたろう」が描かれています。 岡山県の地形をモチーフとしたデザインです。 せんたろうが鼻(顔の中心)を指さすポーズと、HEART OF OKAYAMA の文字は、岡山県のど真ん中に位置することを表現しており、合併した今現在、おへそをイメージさせるデザインとしてマンホール蓋に活用されています。」

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ご当地マンホール in 岡山県旧寄島町(浅口市)

2022年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧浅口郡寄島町(よりしまちょう)は岡山県の南西部に位置した町です。倉敷市・笠岡市・浅口郡鴨方町・里庄町に隣接。地内の大半が山林で、南部は瀬戸内海に面し、寄島港は鴨方藩の外港として栄えてきました。地名の由来となった寄島は、かって沖合にあった有人島でしたが昭和期の干拓により陸繋島(りくけいとう)になり寄島半島となりました。11~1月が旬で5番目の脚で泳ぎ渡ることからワタリガニと呼ばれる「ガザミ」が有名で、特に冬の時期のガザミは、内子も含めて濃厚な甘さから人気を博しています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ヤマツツジ」「町の魚:ガザミ」を制定。

明治9年(1876)、 東大島村・六条院西村の飛地・安倉地区が合併、寄島村が発足。

明治22年(1889)、町村制の施行により、浅口郡寄島村が発足。

1901年、寄島村が町制を施行、浅口郡寄島町が発足。

1955年、浅口郡大島村柴木地区を編入。

1983年、県営農業干拓が竣工。

2006年、浅口郡鴨方町・金光町と合併。市制を施行し浅口市となりました。

マンホールには、瀬戸大橋と三ツ島、「町の魚:ガザミ」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

制定年月日不詳。町章は、全体で「よりしま」を図案化したものです

寄島漁港の案内板で見つけた『カニ丸』。寄島町の特産品「ガザミ」のキャラクターだと思いますが、調べても詳細は分かりません。

寄島:三郎地区に住む学童は、昭和50年頃に島が陸地化されるまで、小舟で通学していました。上級生らしい子供が櫓を漕ぐ「通学船」のモニュメント。何だか鼻の奥がツン・・

尾焼川:御門橋の親柱、もう一方は寄島の特産品「ガザミ」。同じ瀬戸内海に面した小さな漁村の子供だった私にとって、子供の頃によく食べた懐かしいおやつですが、今はとても手が出せない高級品になりました。

撮影日:2014年4月2日

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ご当地マンホール in 岡山県旧金光町(浅口市)

2022年03月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧浅口郡金光町(こんこうちょう)は岡山県の南西部に位置した町です。倉敷市、浅口郡鴨方町、小田郡矢掛町に隣接。町の南北に丘陵があり、中央部を流れる里見川沿いは平坦。安政6年(1859)に金光教が興り、大谷に門前町が形成。町名は「金光教」の本部があることに由来。桃・梨・ブドウの栽培が盛んで、特に植木を特産とします。「町の木:黒松」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、浅口郡吉備村・占見村・竹村が発足。

1905年、吉備村、占見村、竹村が合併、浅口郡三和村が発足。

1923年、三和村が町制を施行、浅口郡金光町が発足。

2006年、浅口郡鴨方町・寄島町との合併により浅口市となりました。

マンホールには町章と、「町の花:サツキ」が三輪、大きくデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

制定日不詳、「大正2年に庁舎を新築し た際に、その玄関にこのマークが入 れられていた。昭和42年に新町章を募集したが、結局 このマークに決定し、金光町の町章となっている。」合併協議会資料より

撮影日:2010年5月5日&2013年7月26日

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ご当地マンホール in 岡山県旧鴨方町(浅口市)

2022年03月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧浅口郡鴨方町(かもがたちょう)は岡山県南西部に位置した町です。笠岡市、倉敷市、浅口郡金光町・里庄町・寄島町、小田郡矢掛町に隣接。町域は南北の丘陵にはさまれ、中央部は比較的平坦。寛文12年に池田光政の二男:政言が25,000石で鴨方藩を立藩し、明治4年の廃藩置県では鴨方県となるなど、地域の中心的存在として発展してきました。山陽本線・山陽自動車道が通じ、素麺を特産とし「手延素麺」のブランドとして全国展開。また酒造業も行われ、「備中杜氏(びっちゅうとうじ)」の出身地としても有名です。「町の木:黒松」「町の花:モモ」を制定。

旧キャッチフレーズは「星とあじわいの郷かもがた」

明治22年(1889)、町村制の施行により、浅口郡鴨方村、六条院村が発足。

1925年、鴨方村が町制を施行、浅口郡鴨方町となる。

1934年、六条院村が町制を施行、浅口郡六条院町となる。

1955年、鴨方町と六条院町が合併。新・鴨方町が発足。

1957年、小田郡矢掛町浅海地区の一部を編入。

2006年、浅口郡金光町、寄島町と合併、市制を施行し浅口市となりました。

マンホールには、周囲に「町の木:黒松」、内に「町の花:桃」・鴨型の筆文字と町章がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

昭和32年(1957)制定の町章は「「か」(鴨)「方」の図案化で総体を鴨の飛翔に擬し、併せて町の躍進を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2010年5月5日&2013年7月26日

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ご当地マンホール in 岡山県浅口市

2022年03月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

浅口市(あさくちし)は岡山県の南西部に位置する市です。2006年3月21日、浅口郡鴨方町・金光町・寄島町が合併して発足しました。倉敷市、笠岡市、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町に隣接。市としての面積は最小ですが、製麺・酒造・植木・制帽・ストロー生産をはじめ古い歴史を持った伝統産業・地場産業を多く抱え、中小企業が多く存在。また、金光教の発祥地・本拠地としても有名で、正月や祭事の際は金光教本部周辺は多くの参拝客で賑わいます。「市の木:桜」を制定。

キャッチフレーズは「快適・安心・思いやり 活力あふれる文化創造都市」

マンホールには合併した鴨方町・金光町・寄島町のマンホールがそのまま三つの円にデザインされています。初めてこれを見た時は、ちょっと感動しました。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

2006年3月21日制定の市章は「市名である浅口の「ア」と「サ」を組み合わせたもの。基本カラーは、浅口市を象徴する自然である山(遙照山、竹林寺山)、田園、瀬戸内海にちなみ、青緑色(グリーン)としました。」公式HPより

撮影日:2013年7月26日

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ご当地マンホールとマンホールカード第18弾 in 岡山県里庄町

2022年03月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

義姉からマンホールカードと、マンホール画像が届きました。

2023年1月28日、第18弾として全国40自治体+1団体で41種(累計915種類 649自治体 2団体)の マンホールカードの配布が 開始されました。「里庄町」のマンホールカードは、「里庄町役場」でいただけます。

2004年に設置開始されたマンホールには「里ちゃん」がデザインされています。

「町制施行50周年を記念して、自然、産業、人々の暮らしが理想的に調和している里庄町をイメージして、2000年に作成したキャラクター「里ちゃん」をデザインしたマンホール蓋です。 「里ちゃん」は、里庄町のイニシャル「S」と町の木である「つばき」の花を表現したもので、緑豊かで心ふれあう町の人々の笑顔や未来に向けて歩む様子を明るく、楽しく表現しています。 また、配色を変えたマンホール蓋を4種類作成し、町内外の方々が数多く利用するJR里庄駅前や、小さなお子様から高齢者の方々までが楽しく集えるつばきの丘運動公園の進入路などに設置して下水道のPRを行っています。」

座標軸マンホール

ブルーの背景色

濃いピンクの背景色

町制施行50周年を記念して誕生したイメージキャラクター『さとちゃん』。「里庄町の「S」の文字と、つばきの花を表現したもので、緑豊かで心ふれあう 町の人々の笑顔や未来に向けて歩く様子が明るく、楽しく表現されています。」公式HPより

お義姉ちゃん、いつもありがとう🙏

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ご当地マンホール in 岡山県里庄町

2022年03月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

浅口郡里庄町(さとしょうちょう)は岡山県の南西部に位置する町です。笠岡市、浅口市に隣接。町名は里見村・新庄村から一文字ずつを取って命名。町の中央部から北西部にかけては比較的平坦で、その他は山林が広がり、瀬戸内地方に数多く見られるため池が多数点在。米作・酪農・モモ・タバコの栽培が行なわれ、また特産として、耐火力の強い大原焼の火鉢・七輪を製造。水島工業地域の後背地として工場の進出が進んでいます。「町の木:ツバキ」を制定。

キャッチフレーズは「こころふれあう、緑豊かで文化のかおるまち里庄」

明治22年(1889)、町村制の施行により、浅口郡里見村・新庄村が発足。

1905年、里見村と新庄村が合併、浅口郡里庄村が発足。

1950年、里庄村が町制を施行、浅口郡里庄町となりました。

マンホールには「町の木: 椿」から生まれた『里ちゃん』がデザインされています。

昭和43年(1968)11月3日制定の町章は「ひらがなの「さ」を図案化したも ので、円は町民の和と団結を、翼の部分は 将来への飛躍と発展をあらわしたものです。」町勢要覧パンフより

撮影日:2010年5月5日

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ご当地マンホール in 岡山県旧上齋原村(鏡野町)

2022年03月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧苫田郡上齋原村(かみさいばらそん)は岡山県の北部に位置した村です。津山市、苫田郡富村・奥津町・鏡野町に。また県を跨いで鳥取県鳥取市、東伯郡三朝町に隣接。村域の約90%が標高600メートル以上の山地で、林業・牧畜、また施設園芸が盛ん。かつてはたたら製鉄が行われ、木地師(きじし)の集落もありました。鳥取県境にある人形峠付近はウラン鉱山で知られ、また村の東部に位置する恩原高原は、氷ノ山後山那岐山国定公園、湯原奥津県立自然公園に属し、夏はキャンプ場、冬はスキー場と年間を通じて楽しめるレジャースポットとして知られています。「村の木:スギ」「村の花:リンドウ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、上斎原・下斎原・川西・長藤・奥津の5ヶ村連合より独立し、西西条郡上齋原村が単独村制を施行。

1900年、郡制の施行により、西西条郡・西北条郡・東南条郡・東北条郡が合併、苫田郡となる。

2005年、富村、奥津町、鏡野町と合併、(新)苫田郡鏡野町となりました。

マンホールには、雪の結晶を背景に、元気にスキーを楽しむ村のマスコットキャラクター『バルト君』がデザインされています。

上水道関連の蓋はいずれもマスコットキャラクター『バルト君』のデザイン。

昭和36年(1961)9月1日制定の村章は「中心の三角形は、山 に生きる村を表わ し、周囲の円形は、 村の平和を象徴し、 行政の3本柱、林 業、畜産、観光の3 事業で村を興し、発 展させる意味を持つ ものである」合併協議会資料より

上斎原村のキャラクター『バルト君』には『ミルキーちゃん』というガールフレンドがいるらしいのですが、存在感が薄く、合併協議会資料以外には見当たりません。そもそも、「バルト」の名前の由来も不明😅

撮影日:2012年4月23日

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ご当地マンホール in 岡山県旧富村(鏡野町)

2022年03月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧苫田郡富村(とみそん)は岡山県の北部、中国山地に位置した村です。苫田郡奥津町・鏡野町、真庭郡久世町・湯原町・中和村に隣接。村内には1000mを超える山々が連なっており、古くからたたら製鉄が行われてきました。地名はかつて良質の砂鉄が豊富にとれたことに由来します。画像は、過疎化が進む中、富中学校閉校に伴い」整備された「富教育歴史資料館」「村の木:ヒノキ」「村の花:シャクナゲ」「村の鳥:ヤマセミ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、富西谷村・富東谷村・富仲間村・大村・楠村の5村が合併西西条郡富村が発足。

1900年、郡制の施行により、西西条郡、西北条郡、東南条郡、東北条郡が合併、苫田郡となる。

2005年、奥津町・上齋原村・鏡野町と合併、(新)苫田郡鏡野町となりました。

マンホールには、「白賀渓谷」と「村の鳥:ヤマセミ」「村の花:シャクナゲ」が美しくデザインされています。

村章は「「ト」の字を3コ組 合せ「トミ」を現 し、5コの区切りで 5文字を丸くして平 和とし、「ト」の先 端は発展を意味す る。円の中の三角形 は山に生きる富村を 象徴する山を表現し ている。」合併協議会資料より

「村の鳥:ヤマセミ」「村の花:シャクナゲ」の路上タイル

目木川:重定橋の親柱より、富西谷に残る重要文化財の「旧森江家」。中型農家の典型と考えられる建物で、建設は十七世紀後半頃と推定されています。

「布施神社 お田植祭」。富村西谷に鎮座される「布施神社」の祭礼で五穀豊穣を願う豊作祈願の神事です。再訪問の機会があれば一度は訊ねてみたい神社です。

撮影日:2012年4月23日

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