車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 高知県旧仁淀村(仁淀川町)

2020年08月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧高岡郡仁淀村(によどむら)は高知県の北部に位置した村です。吾川郡吾川村、高岡郡越知町、津野町に、また県を跨いで愛媛県久万高原町に隣接。日本屈指の石灰石鉱山として知られる鳥形山を擁しており、日鉄鉱業により年間1,400万トン余りの採掘が行なわれ、露天掘り日本一の産出量を誇っています。開発前に1,459mあった標高は、長年の採掘によって約200m低くなりました。大野勇著「故山帖」には、太古の大津波の時、波の上に鳥の形をした山だけが残って見えたという伝承が書き残されています。藩政時代は土佐藩の御留山(おとめやま)として木の伐採は固く禁じられ、明治以降も天然林の生い茂る豊かな山容が保たれていました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡長者村・別府村が発足。

1954年、長者村、別府村が合併、高岡郡仁淀村が発足。

1955年、大字本村・加枝地区を、吾川郡吾川村に編入。

2005年、吾川郡池川町・吾川村と合併、吾川郡仁淀川町となりました。

農業集落排水:森地区のマンホールには、「鳥形山」を背景に「仁淀川」で跳ねる「鮎」がデザインされています。

昭和39年制定の村章は、中央の三角で鳥形山を、全体で茶葉を表しています。

旧仁淀村庁舎前の句碑【 雪山よ  母の育てし 桧木みゆ 】(確実では有りません)

撮影日:2018年6月15日

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旧吾川郡池川町(いけがわちょう)は高知県の北部に位置した町です。吾川郡吾川村・いの町、高岡郡越知町に。また県を跨いで愛媛県上浮穴郡久万高原町に隣接。昭和30年代には8000人強の人口がありましたが、町消滅時には高知県内で最も人口の少ない町となっていました。仁淀川町大屋にある安居渓谷の宮ケ平位置する「飛龍の滝」は、昇龍を思わせる仁淀ブルーの滝として観光名所になっています。

明治22年(1889)、町村制の施行により吾川郡池川村・富岡村が発足。

1913年、池川村が町制を施行、吾川郡池川町(第一次)が発足。

1941年、吾川郡富岡村と合併、吾川郡池川町(第二次)が発足。

2005年、吾川郡吾川村、高岡郡仁淀村と合併、吾川郡仁淀川町となりました。

昭和33年制定の町章は「イケ川」を図案化したものです。」

(※)旧吾川郡池川町は未訪問のため、ご当地マンホールの有無は未確認です。

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ご当地マンホール in 高知県仁淀川町&旧吾川村

2020年08月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

吾川郡仁淀川町(によどがわちょう)は高知県北西部に位置する町です。2005年8月1日 、 吾川郡池川町、吾川村、高岡郡仁淀村が合併して発足しました。高岡郡越知町・津野町、吾川郡いの町に。また県を跨いで愛媛県上浮穴郡久万高原町に隣接。四国山地に位置する県境の町で、面積の約9割を山林が占め、愛媛県の久万高原町に源を発する仁淀川は、長者川、土居川などの数多くの支流を集めながら太平洋へと注ぎ込んでいます。

キャッチフレーズは「~高知と松山の中間地点~ 自然とともに輝き 豊かで健康な 活力ある未来を 創造するまち」

2005年9月12日制定の町章は「仁淀川町の「に」の文字をモチーフに、仁淀川などに代表される川を中心の「青」の線で表し、山々を「緑」、人(町民)の力を「赤」で表現しています。また三町村が合併したことを含め、町民を中心に、行政・企業が新しい未来に向かっていくことを三本の線で描いています。」公式HPより

仁淀川町イメージキャラクター『土佐のちゃらおくん』。池川の茶畑から新茶の時季に生まれた犬のようなタヌキのような正体不明の生き物。頭は急須、胴体は湯飲みがモチーフ。仁淀川町の池川茶を全国に広めるべく頑張っています。

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旧吾川郡吾川村(あがわむら)は高知県の北部に位置した村です。吾川郡池川町、高岡郡越知町・仁淀村に。また県を跨いで愛媛県上浮穴郡久万高原町に隣接。吾川村西部の中津明神山に源を発する中津川は、村域を東へ流れて仁淀川に注ぎ、上流の上名野川地区一帯や中津川の両岸は中津渓谷県立自然公園に指定され、「四国の水辺88か所」に選出されています。また仁淀川町桜地区にある「大藪のひがん桜」は、その蕾の形状から「ひょうたん桜」と呼ばれ、高知県の天然記念物に指定されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、吾川郡大崎村・名野川村が発足。

1955年、大崎村、名野川村が合併、吾川郡吾川村が発足。

2005年、高岡郡池川町・仁淀村と合併、吾川郡仁淀川町となりました。

マンホールには「ひょうたん桜」が美しくデザインされています。

昭和43年制定の村章は「「A」を図案化し、横の線で「川」を表しています。」

撮影日:2018年6月15日

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ご当地マンホール in 高知県越知町

2020年08月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡越知町(おちちょう)高知県中央部に位置する町です。吾川郡いの町・仁淀川町、高岡郡佐川町・津野町・日高村に隣接。町の中心は仁淀川・坂折川・柳瀬川の3河川が合流する場所にあり、町域の西部には佐川町出身の植物学者『牧野富太郎』が研究のためよく訪れていた横倉山県立自然公園が広がり、日本最古級のシルル紀の三葉虫やサンゴの化石なども産出。また源平合戦の後、安徳天皇が逃れてきたという伝説が残っており、 横倉山の湧水には、安徳天皇が飲んだとされる「安徳水」と呼ばれる湧き水があります。「町の木:杉」「町の花:コスモス」「町の鳥:メジロ」を制定。

キャッチフレーズは「自然の神秘と歴史浪漫あふれるまち・越知町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡越知村、高岡郡大桐村、吾川郡横畠村・明治村・長者村が発足。

1900年、越知村が町制を施行、高岡郡越知町(第1次)が発足。

1954年、高岡郡大桐村、吾川郡横畠村と合併、高岡郡越知町(第2次)が発足。

同年、佐川町大字南ノ川・山室・佐之国、峰の一部、吾川郡明治村、長者村堂林地区を編入。

1958年、佐川町大字柴尾・宮地・浅尾・南片岡を編入。現在に至っています。

庁舎内の展示マンホールには「町の花:コスモス」がデザインされています。

昭和33年ごろに制定された町章は「町の中心部である仁淀川、坂折川、柳瀬川の合流点は、あたかも三つの尾のように見えたことから、江戸時代初めまでは「三尾村」と呼ばれた。町章はカタカナの「ヲ」の字を三つ合わせて図にしたもので、川の合流点に開けゆく町を現し、町の前進と向上を象徴しています。」公式HPより

越知町イメージキャラクター『よコジロー』は、メジロの姿をした横倉山の妖精。仁淀ブルーに染まった体と、横倉山の形をした帽子が特徴でお腹の杉は、町内の大きな杉の木に激突したときにくっついたのだとか。くわえた花は、宮の前公園で奥さんに贈るためにつんだ一輪のコスモス。ハマっているものが松田精肉店のコロッケ!・・・と、何とも設定が細かい😅

『よコジロー』が住んでいる横倉山は、越知町にある標高800mの山。山頂には安徳天皇を祀る横倉宮があり、社殿の裏の岩場が最高地点の800m。その直下は断崖絶壁で馬鹿だめしと呼ばれているとか・・歴史と伝説に彩られた山です。

撮影日:2013年3月22日&2018年6月15日

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ご当地マンホール in 高知県佐川町

2020年08月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡佐川町(さかわちょう)は高知県の中西部に位置する町です。土佐市、須崎市、高岡郡津野町・日高村・越知町に隣接。仁淀川の支流である柳瀬川沿いに開けた盆地の町で、旧石器時代・縄文時代・弥生時代の遺跡が発掘されている事から、古くより開けていた事が立証されています。江戸時代に入って、土佐藩筆頭家老の深尾氏がこの地をおさめるようになると、城下町として発展。一方、代々の文教重視政策によって、文教の町としての礎が築かれて来ました。また、植物の父『牧野富太郎』博士の生誕地としても知られています。「町の木:稚木の桜(ワカキノサクラ)」「町の花:佐川細辛(サカワサイシン)」「町の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「歴史と文教のまち。」

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡佐川村、斗賀野村・尾川村・黒岩村が発足。

1900年、佐川村が町制を施行、高岡郡佐川町(第1次)が発足。

1954年、高岡郡斗賀野村・尾川村・黒岩村と合併、佐川町(第2次)が発足します。

西組地区集排マンホールには、「恐竜の親子」と「星」がデザインされています。

上町地区にある「酒蔵の道」のマンホールには、「町の花:サカワサイシン」がデザインされています。

「佐川細辛(サカワサイシン)」

同じく「町の木:ワカキノサクラ」がデザインされています。二つの花木はこの町出身の植物学者『牧野富太郎博士』が発見し、命名したものです。

「稚木の桜(ワカキノサクラ)」

「司牡丹酒造」酒蔵通りに設置されていた「町の鳥:カワセミ」。

昭和47年1月5日制定の町章は、「文教の地、勤皇烈士出生の地のイメージにふさわしく、上部に栄光のクラウン(栄冠)を、左下部3本の線で川を表し、さ川を図案化したものです。佐川町の飛躍的な発展と、住民の福祉.健康の増進を図り、豊で、明るく、住みよい、平和な郷土づくりの象徴としてふさわしいものです。」公式HPより

撮影日:2013年3月22日&2018年3月22日

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tibineko一口メモ

稚木の桜(ワカキノサクラ)』、花びらの縁が赤く、花芯が白の珍しい色。高知県佐川町で牧野富太郎博士が発見したことから命名。種から発芽し3年ほどで花を咲かせる。  ヤマザクラの幼形開花型。名前もこのことから付けられた。

佐川細辛(サカワサイシン)』、花の色は白or淡い紫色で、やや下向きに咲く。 一日花で、朝咲いて午後にはしぼむ。花径は2センチくらいの唇形で、内側に紅紫色の斑点がある。葉は楕円形~広卵形。高知県佐川町で牧野富太郎博士が発見したことから命名。

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ご当地マンホール in 高知県旧吾北村&旧本川村(いの町)

2020年08月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧吾川郡吾北村(ごほくそん)は高知県の中部に位置した町です。北は土佐郡本川村、東は土佐郡土佐町・鏡村、西は吾川郡池川町、南は吾川郡伊野町、高岡郡越知町に隣接。総面積の90%が森林で、15〜40度という急傾斜地に集落がある典型的な山里の村です。また仁淀川の渓流が、村内いたるところにあり、清水、上八川、下八川、小川といった地名が水との深い繋がりを裏付けています。村の豊かな自然を代表する「工石山陣ケ森県立自然公園」や、落差50〜100mに及ぶ「程野の滝」など、四季それぞれの美しさで知られています。

旧キャッチフレーズは「風・歌い 水・踊り 人・笑う」

明治22年(1889)、町村制の施行により、吾川郡小川村・清水村・下八川村、上八川村が発足。

1956年、小川村、清水村、下八川村、上八川村が合併して吾川郡吾北村が発足。

2004年、土佐郡本川村、吾川郡伊野町と合併、吾川郡いの町となりました。

昭和41年4月1日制定の村章は「「吾」を図案化し、タテのけん先 は「向上」「発展」を表し、円は「平和」「協 力」横の広がりは「豊かさ」山のようなとんが りは「山村」を表す。」合併資料より

村域がムササビの飛行する形に似た吾北村。上八川川の親柱には可愛いムササビが描かれています。

旧吾川郡吾北村では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月22日

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旧土佐郡本川村(ほんがわむら)は高知県の中部に位置した町です。土佐郡土佐町・大川村、吾川郡池川町、吾北村に。さらに県を跨いで愛媛県西条市、上浮穴郡久万高原町に隣接。高知県一高い山「瓶ケ森(1896.5m)」を筆頭に、高知県内で16山ある1700m以上の山の13峰が本川村にあり、まさに「四国のてっぺん」の山の国。この豊かな山々を背景に四国一長い川・吉野川の源流が発します。鷹ノ巣山直下には弥生時代後期の遺跡があり、また平家の落人伝説も、よく知られています。「村の木:コウヤマキ」「村の花:シャクナゲ」「村の鳥:こまどり」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然がいっぱい 四国のてっぺん本川村」

明治22年(1889)、町村制の施行により、近隣11ヶ村が合併し、土佐郡本川村が発足。

2004年、吾川郡伊野町・吾北村と合併、吾川郡いの町となりました。

昭和55年7月1日制定の村章は「全体としては、本川村の「本を図案化したも のである。」中央の三角は本川村の発展を表し 左右の円は協調と平和を意味したもので村民の 団結と協力を村民の暖かい手として表現したも のである。」合併資料より

旧土佐郡本川村は未訪問のため、ご当地マンホールの有無は未確認です。

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ご当地マンホール in 高知県いの町&旧伊野町

2020年08月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

吾川郡いの町は高知県の中央部、仁淀川沿いに位置する町です。2004年10月1日、吾川郡伊野町、吾北村、土佐郡本川村が合併して発足。その際、町名を現在の平仮名表記としました。高知市、土佐市、土佐郡土佐町・大川村、高岡郡越知町・日高村、吾川郡仁淀川町に。また県を跨いで愛媛県:新居浜市、西条市、上浮穴郡久万高原町に隣接。昭和51年に「伝統工芸品」の指定を受けた「土佐和紙」で知られ、町内には土佐和紙の歴史などが学べる「いの町:紙の博物館」があります。「町の木:ミツマタ」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と心に出会えるまち・いの」

昭和31年6月14日制定の町章は「1954年の合併を記念して制定。「いの」の文字を図案化。2004年の新設合併後も継承されました。」公式HPより

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旧吾川郡伊野町(いのちょう)は高知県の中部に位置した町です。高知市、土佐市、吾川郡春野町・吾北村、土佐郡鏡村、高岡郡越知町、日高村に隣接。仁淀川の豊かな水の恵みを受け、古くから紙の町として栄えてきました。成山の高台には「紙業界之恩人新之丞君碑」と刻まれた碑が立てられ、土佐和紙の起源ともいわれる「土佐七色紙ゆかりの地」としても知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、吾川郡伊野村・八田村・神谷村・三瀬村、土佐郡宇治村・十六村、高岡郡川内村が発足。

1895年、伊野村が町制を施行、吾川郡伊野町が発足。

1928年、伊野町が、土佐郡十六村大字槇を編入。

1954年、伊野町が、吾川郡八田村、土佐郡宇治村、高岡郡川内村と合併、改めて伊野町が発足。同年10月、吾川郡神谷村を編入。

1955年、伊野町が、吾川郡三瀬村を編入。

2004年、土佐郡本川村・吾川郡吾北村と合併、吾川郡いの町となりました。

マンホールには「紙の里」「伊野町」の文字と「紙の博物館」がデザインされています。

一見同じに見えますが「紙の里伊野町」「おすい」の文字と、「紙の博物館」がデザインされています。

「紙の博物館」

加田地区の農集排マンホールには、仁淀川に架かる「仁淀川橋」と、跳ねる「鮎」がデザインされています。

「仁淀川橋」

八代地区の農集排マンホールには「町章」を中心に、全体が大小の町章でデザインされています。

「伊野・水道」の文字と中央に大きく紋章が書かれた角蓋。紋章が何なのかは不明。

撮影日:2013年3月22日&2018年6月15日

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ご当地マンホール in 高知県旧大川村&旧大豊町(土佐町)

2020年08月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

土佐郡大川村(おおかわ むら)は高知県の北部に位置する村です。土佐郡土佐町、吾川郡いの町に、さらに県を跨いで愛媛県新居浜市、四国中央市に隣接。四国山地の標高1000メートル級の山々に囲まれ、村域の西から東に向かって吉野川が流れ、かつての村の中心部は早明浦ダムの完成・湛水に伴い水没。その為、2005年には離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村となりました。「村の木:五葉松」「村の花:シャクナゲ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、小松村、船戸村、朝谷村、大北川村、高野村、川崎村、猪ノ川村、大平村、小麦畝村、小北川村、大藪村、下切村、南野山村、上小南川村、下小南川村、中切村の区域をもって、土佐郡大川村が発足。

大正5年4月7日制定の村章は「星章は「大」を表すとともに、郡の最も北に位置することから北斗七星の意味も加わっている。中央は川の字である。」公式HPより

何でも良いから見つかって!!・・早明浦湖畔の一画に「水槽」と書かれたマンホール😣・・・なんか違う!

結局大川村のご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

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長岡郡大豊町(おおとよちょう)は四国山地の中央部に位置する町です。香美市、長岡郡本山町に、また県を跨いで徳島県三好市。愛媛県四国中央市に隣接。町域は吉野川中流域にあり、四国百名山の六座(奥工石山・奥神賀山・梶ヶ森 ・笹ヶ峰・カガマシ山) を有し、町面積の約9割が森林で占められています。また野鹿池山町内には、「日本一の大杉」「美空ひばり遺影碑」歌碑がある事でも知られています。「町の木:杉」「町の花:福寿草」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「癒しと冒険に出会う町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、長岡郡東豊永村・西豊永村・東本山村・天坪村が発足。

1918年、東本山村が改称して長岡郡大杉村となる。

1955年、東豊永村、西豊永村、大杉村、天坪村が合併、長岡郡大豊村が発足。

1956年、天坪地区大字上穴内・樫谷・繁藤・北滝本・角茂谷の一部が土佐山田町に編入される。

1972年、大豊村が町制を施行、長岡郡大豊町となりました。

昭和39年7月29日制定の町章は「大豊の「大」を図案化したもので逆V形は、山村を表し、幅広いだ円形は力強く、豊かで円満な村の団結を表徴するものである。大豊村章をそのまま引き継いだものです。」公式HPより

大豊町のご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月22日

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早明浦湖(さめうらこ) in 高知県土佐町

2020年08月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

「四国山地にぶつかった雨雲は、大量の雨に変わって、幾筋もの川になります。山地の南麓、土佐町に降る雨は年間平均2,500mm。瀬戸内側の2年分の降水量にあたります。いの町(旧本川村)瓶ヶ森を源とする吉野川は、その支流の水を集めながら、早明浦ダムへと注ぎ、徳島県へと流れています。四国一の大河、流路194kmの水の旅です。」公式HPより

「四国のいのち」早明浦ダムはこの位置にあります。

山々の木々を映すダム湖

臆病な私は これ以上手を伸ばす事が出来ません。これ以上先に進む事も出来ません。

はるか向こうに見えるあの山は、どのあたりだろう

吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設された「早明浦ダム」。このダムの水運用は四国地方の経済・市民生活に極めて多大な影響を及ぼすものである事から「四国のいのち」と呼ばれています。

【蛍火や ダム堰く村を 捨てきれず】 ・・ダム建設によって水没した大川村の苦闘の歴史、それは当事者以外には決して分らない事なのだと思います。深く山々を写す青い水の底には、大切な故郷が・・大切な人の想いが・・捨てる事のできなかった故郷への想いが埋もれているのです。

「太陽の船」

撮影日:2013年3月22日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 高知県土佐町

2020年07月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

土佐郡土佐町(とさちょう)は高知県の北部中央に位置する町です。高知市、南国市、長岡郡本山町、土佐郡大川村、吾川郡いの町に。さらに県を跨いで愛媛県四国中央市に隣接。 日本三大河川吉野川の源流地域にあり、面積の85%が山林で占められています。長岡郡本山町とに跨る早明浦ダムは「四国の水がめ」と呼ばれ、またダムによって形成された「さめうら湖」は、2005年にダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれています。「町の木:杉」「町の花:アジサイ」「町の鳥:おおるり」を制定。

キャッチフレーズは「ようこそ、水と森のふるさとへ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、土佐郡地蔵寺村、森村、長岡郡田井村が発足。

1955年、地蔵寺村、森村、長岡郡田井村が合併、土佐郡土佐村が発足。

1970年、土佐村が町制を施行、土佐郡土佐町となりました。

マンホールには「早明浦(さめうら)ダム堰堤」と、「町の花 :紫陽花」がデザインされています。

農集排のマンホールには、「さめうら湖」と「早明浦ダム」「町の花 :紫陽花」がデザインされています。

仕切弁にも「早明浦ダム」がデザインされていますが、やはりカラーだと綺麗ですね。

消火栓には、人造湖として四国最大と言われる「さめうら湖」がカラーでデザインされています。

昭和39年7月24日制定の町章は「「土」の輪は町民和合一致をあらわし、円内の二葉は若木の成長を象徴。特に中心軸と輪では「山」を表現し、土佐町の町態をあらわしたもの」公式HPより

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マンホールカード、頂きました。

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「土佐町」のマンホールカードは、「道の駅:土佐さめうら」でいただけます。

2007年に設置開始されたマンホールには「早明浦ダム堰堤」と「町の花:あじさい」がデザインされています。

「土佐町は四国のほぼ中央に位置し、四国のへそともいわれ美しい自然に囲まれた水と森の豊かな町です。 この豊かな水は町の基幹産業である農畜林業を支えており、農業では棚田地形を活かした県下でも有数の良質米の産地、畜産においては高知県特有の和牛「土佐あかうし」の県下最大の産地でもあります。 マンホール蓋は、四国の水がめとも呼ばれる西日本最大級のダム「早明浦ダム」と、町花である「あじさい」をモチーフにしてデザインされています。 カラーのマンホール蓋は、道の駅土佐さめうらに展示しており、国道439号線やその他県道等にはモノクロのマンホールを設置しています。」

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ご当地マンホールin高知県須崎市

2020年07月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

須崎市(すさきし)は高知県のほぼ中央部に位置する市です。土佐市、高岡郡中土佐町・佐川町・津野町に隣接。市域の大半が山林の町で、南は太平洋に面しており、国の重要港湾に指定された「須崎港」は貿易港として貨物取り扱い量は県内一を維持しています。農業では全国一の販売額を誇る「ミョウガ栽培」が有名。また市の西部を流れる「新荘川」では、昭和54年(1979)にニホンカワウソの生息が確認されましたが、それ以降の目撃例はなく、市民憲章にも「のこそう かわうそのまち すさき」と制定されました。「市の木:桜」「市の花:山桜」「市の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「安心で住み心地のよい 海洋都市」

1889年、町村制の施行により高岡郡須崎町、多ノ郷村、浦ノ内村、吾桑(あそう)村、上分(かみぶん)村、新荘村が発足。

1941年、高岡郡須崎町が新荘村を編入。

1954年、高岡郡須崎町、多ノ郷村、浦ノ内村、吾桑村、上分村が合併、市制を施行し須崎市となりました。

マンホールには「市の鳥:翡翠(かわせみ)」と、周囲に「市の花 :山桜」がデザインされています。

昭和30年10月3日制定の市章は「須崎のスの字を円型波頭状に図案化したもので、 躍進須崎市を平和と飛躍発展の象徴として表現したものです。」公式HPより

樹木カバーには、市民憲章にも謳われた「ニホンカワウソ」のキャラクターがデザインされています。

路上タイルは重「須崎港」に停泊する「大型船舶」。

太平洋に面した市らしく「太平洋の荒波と魚たち」

「市の鳥・カワセミ」

須崎市マスコットキャラクター『しんじょう君』。新荘川で、最後に目撃されたニホンカワウソがモデルです。頭の上にご当地グルメの鍋焼きラーメンをのっけ、絶滅種指定されてしまった仲間を探して、四国中を旅しています。仲良しの『とさけんぴ君』とのツーショットの記念に、頭の飾りを交換してみたけど似合ってるかな?

撮影日:2013年3月23日&2018年6月15日

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