大田市久手町波根西、日本海に面した海岸沿いに、絶壁と奇岩からなる「掛戸松島」。【作られたのは鎌倉時代。地元の郷士『有馬次郎左衛門』と二代目『次郎座衣文』が千数百人の夫役を指揮し、7ヶ年余の歳月を費やして開拓。 当時、波根湖は増水期になると水が氾濫して住民は難渋しており、度々の災害に遂に山岳を開掘して湖水の水を日本海へ疎水する事を遂行したのである。】現地案内より
文章では何となくすごいんだ・・程度の感覚でしたが、眼前の絶壁に思わず絶句。約50㍍、高さは約30㍍の切り通し・・人の力で山を切り削り、人の手で作られた水路・・・山肌には確かに人力で削られた痕跡が見て取れます。
私たちが立っている場所と、向こうに見る山がかって一つの山であった・・想像するのさえ難しいのに、それをここまで切り離した・・それも人の力で!
切り通しの間には、日本海の荒波に洗われて塔状に屹立する奇岩「松島」。岩の上には「松島」の由来となった一本の青松が潮風を受けて屹立しています。【明治45年、東宮殿下であられた『大正天皇』が、山陰行啓の折にしばし御高覧されたこと。また昭和6年には、高松村出身の日本画家『竹田霞村』が「掛戸松島」を描き、広く世に紹介して以来「石東(せきとう)の名所」とよばれている。】現地看板より。
「掛戸松島」の手前には山陰本線が走っており、それと並行するように海側に石のアーチが見えます。
大正7年(1918)に築造され、近代土木遺産に指定された石造りの「潮止め水門」。 通常はレンガで築造されるのですが、これは石で組まれており、水門としては非常に珍しいとか。昭和25年に廃止されましたが、それでも残ったアーチ水門の全幅は約40mもあります。
屈みこんで見とれていると電車が近づく気配!・・・こんなチャンスは滅多にない(^^;) とはいえ、足場の良くない海岸では自在に走ることも出来ず、見上げるアングルが精一杯。でも!!何とか電車の姿を捉えられました。
切り離された山の全景を見る為には、道路を渡ってここまで離れてしまわないと、見る事が出来ません。それも全容ではなく切り離された両側だけ・・。これを削って波根湖の水を日本海に流そう・・その発想の大胆さと、それを人力のみで実際にやり遂げた凄さ。また一人、偉大な先駆者の存在を知る事が出来ました。
訪問日:2013年5月23日