大田市仁摩町仁万、仁摩漁港の近くの古い町並みを残す一角に門を構える「浄土宗寺院:西往寺(さいおうじ)」。『阿弥陀如来』を本尊とします。
ネットで初めて「西往寺」の鏝絵を見た時、これは何が何でも実物を見なければ!!。思い続けた甲斐あって、最初の島根訪問でその願いが叶い、しかもそれを切っ掛けとして石見の鏝絵めぐりも出来ました。
まず本堂正面には三枚の鏝絵額が奉納されており、正面の山号額の位置に鏝絵の王道的存在ともいえる「双龍」。額の大きさは、幅3.8メートルとかなりの大作。
作者は『児島嘉六』で明治18年(1885)の製作である旨、本堂の片隅に墨書されています。百聞は一見にしかず、拙い画像でもこの素晴らしさは伝わる筈。
いやもうね、本当に惚れ惚れします。職人の技の凄さ・・まさしく「技の美」のタイトル通り!
冒頭に三枚の鏝絵額が奉納されていると書きました。双龍のすばらしさは改めて言うまでもありませんが、実は私が石見の鏝絵に心奪われたきっかけとなったのは、双竜の左右に奉納された「九尾の狐」「安珍清姫」。
平安時代末期、朝廷の転覆を図り日本国を我が物にしてこの世の栄耀栄華を手に入れようと企んだ、妖狐の化身『玉藻前』。
和尚の法力によって正体を暴かれた金毛九尾の白狐でしたが、自らの毛を武器に変えて和尚の動きを封じ、高らかに笑いながら空の彼方に去ってゆきました。
美しい衣装に身を包んだ金毛九尾の玉藻の前。しかし、鏝絵の作者である『安田伊三郎』は、見事逃げおおせた筈の玉藻の表情に耐えがたい敗北の屈辱感をにじませています。
最後は、恋に身を焦がし大蛇と化してしまった姫の、悲しくも恐ろしい物語「安珍清姫」。作者は同じく『安田伊三郎』。鐘に巻き付くのは龍蛇と化した清姫。
あれほどに美しかった面影は片鱗もなく、今はただ我が腕の中の梵鐘に潜む安珍の断末魔の叫びにウットリと酔いしれる清姫。
巻きつけた体中に、安珍の最後のあがきが伝わってくる・・それは何と甘美な事か・・
そうしてかすかに伝わって来た最後の息も止まってしまった・・・・
さて、この「金毛九尾の狐」ですが、石見神楽の演目「悪狐伝」としても有名な題材。でも、鏝絵の僧侶と、「悪狐」に食われてしまう「十念寺の和尚」は・・多分、別人です(笑)
訪問日:2011年5月16日