車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

出雲大社(いずもおおやしろ)~其の四 in 島根県出雲市大社町

2018年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

国宝の本殿を中心として、重要文化財、登録有形文化財の建物が目白押しの出雲大社。続いては本殿の北西方にある宝物館「彰古館」。大正3年の建造で国登録有形文化財。

入り口で出迎えてくれるのは『野見宿禰命(のみのすくねのみこと)』。怪力の持ち主で「相撲の神様」とも云われています。出雲国造の祖先神『天穂日命(あめのほひのみこと)』の、14代後の子孫だそうです。

「彰古館」には出雲国造家に伝わる様々な資料が展示され、特にご祭神と呼び名を同じにするという理由から、大黒様関連が充実しています。その中から特に選りすぐりを数点。まずは江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人『左甚五郎』「恵比寿・大黒」。その箱書きがあるだけで「すごく」見えるから単純(笑)

で・・大正甚五郎?。さらに昭和甚五郎??。疑問は調べなければ!と言う事で「大正時代に、当代の左甚五郎とも言われた長谷川喜十郎氏」。でも昭和の甚五郎さんは、結局解明できませんでした(-"-)

こちらも超がつくほど有名な『一休禅師』作の「大黒天」。

続いて、越前国大野の人で、大野出目家初代となった『出目是閑吉満(でめぜかんよしみつ)』。豊臣秀吉から天下一の称号を許された能面作者です。
並んだ「恵比寿・大黒」の顔を見ていると、世の中の悩み苦しさなど、吹き飛んでいきそう。

『高村光雲』作の恵比須大国様。なんとはんなりと優しいお顔をされているのでしょう(〃∇〃)

紹介し始めると際限がなくなるので・・(^^;) 続いては三十分の一の出雲大社の縮尺模型。立ち入りできない場所や、実際には屋根の一部しか見えない建物も、全て拝観できます。

他にも珍しいものが沢山ありますが、百聞は一見にしかず。興味ある方は是非出雲まで!(笑)大黒様の彫刻類はたくさんありますが、本来の主祭神『大国主』の姿を写したものは少なく・・「彰古館」展示最後の一枚は、お軸に描かれた「因幡の白兎」。

出雲大社境内にも、「因幡の白兎」のブロンズ像が建立されています。

大社の入り口に建立された「結びの御神像」。黄金の玉を乗せた波と、それを仰ぐように両手を広げる大国主の像は「幸魂・奇魂」

「幸魂・奇魂・守給・幸給(さきみたま・くしみたま・まもりたまひ・さきはへたまへ)」。この言葉は、大国主大神の祭祀をなされた『天穂日命』より、出雲国造家に伝えられた神語と伝えられています。第八十代出雲国造『千家尊福(せんげ‧たかとみ氏』「神拝の前後には勿論、常にも唱えて神護を仰ぐべきなり。」と言われていたそうです。

その『千家尊福氏』。境内の入り口に近い静かな場所に銅像が建立されています。名前を聞いても馴染みの無い人に思うかもしれませんが、お正月になると一度は耳にした、または口にしたことのある「一月一日」の歌。
【  年の始めの 例(ためし)とて  終りなき世の めでたさを~略~祝う今日こそめでたけれ 】 この歌詞を作詞した方と言うと、凄く親しみが湧きますよね d(-_^) 。

拝殿前の銅鳥居を通って左手に、「神馬(しんめ)・神牛(しんぎゅう)」の像。 神馬は「かねおまさん」と呼ばれており、鼻の部分を触ると子宝を授かると言われています。

神牛は・・特に別名がありませんが、たくさんの観光客に触られてお鼻がピカピカ(笑)。

最後は私の身長よりも大きな「細石(さざれいし)」。

「千代に八千代に、砂粒のごとき小さな石が、やがて巌となって苔むす迄、この麗しい豊葦原瑞穂の国が栄えますように。」

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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