旧篠山市(ささやまし)は兵庫県中部に位置した町です。兵庫県域の約4.5%、県内では第8位を占める自然環境の豊かな地域で、古来より旧丹波国として京都への交通の要として栄えてきました。「篠山」の名は築城の礎となった丘陵「笹山」 の名に由来し、独立丘を崇拝した往古の思想からサ(聖)で聖々山(神聖なる山の意、佐々婆夜麻)の転訛した 名称であるといわれています。笹山の東中腹に東面して貞観のころから春日神社 がまつられ神山として崇められていました。西に丹南町、西紀町、南に三田市、猪名川町と、県をまたいで大阪府能勢町。更に東は京都府瑞穂町、丹波町、園部町に隣接。江戸時代初期に農民の間で歌われていた盆踊り唄が起源とされる、篠山市無形文化財「デカンショ節:発祥地」としても知られ、2015年4月24日に文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれました。
旧キャッチフレーズは「緑と文化 幸せ多いデカンショの町」
篠山市東部の日置地区は“波部黒”と呼ばれた丹波黒大豆発祥の地として知られ、目につく畑のそこかしこに丹波黒大豆が栽培されています。「市の木:松」「市の花:ササユリ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により多紀郡篠山町・八上村・畑村・城北村・岡野村・日置村・後川村・雲部村・福住村・大芋村・村雲村が発足。
1955年、日置村・後川村・雲部村が合併、城東村が発足。福住村・大芋村・村雲村が合併、多紀郡多紀村が発足。
1955年、篠山町が、八上村・畑村・城北村・岡野村と合併。改めて多紀郡篠山町が発足。
1960年、多紀村が町制を施行、多紀郡多紀町となる。
1960年、城東村が町制を施行、多紀郡城東町となる。
1975年、城東町・多紀町と合併、改めて多紀郡篠山町が発足。
1999年、今田町・西紀町・丹南町と合併、篠山市となりました。
マンホールには篠山城址と「市の花:笹百合」「市の木:松」がデザインされています。(大正ロマン館近くの舗道に敷設)
村雲(むらくも)地区集排マンホールには、「市の花:笹ゆり」と、「市の木:松」、中央に「清流・篠山川と鮎」がデザインされています。
雲部(くもべ)地区集排マンホールには、「多岐連山と田園風景」「市の花:笹ゆり」、周囲に「市の木:松」がデザインされています。
大芋(おくも)地区集排マンホールには、「多紀連山」と、「田園風景・稲穂」、「篠山川の鮎」がデザインされています。
三岳地区集排マンホールには「多紀連山と篠山川」、「市の木・松」「市の花:笹百合」がデザインされています。
昭和9年6月8日制定の町章は「ささやま」を図案化し、「ささ山」で形どったもので、旧・篠山町制時に制定され、新町制施行後に継承されました。」旧公式HPより
文字から古いものと思われる「ガス」用の小さい角蓋。
撮影日:2009年5月30日&2017年9月12日