三重県四日市市大宮町に鎮座される「志氐(しで)神社」。御祭神は『気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)』、配祀『伊邪那岐命・伊邪那美命・他十二柱』。「気吹(いぶき)」は気を吹くを意味しており、海原にある風の動きを神格化した神とされています。『瀬織津比売(せおりつひめ)』によって運ばれた罪穢れは、『速秋津日売( はやあきつひめ)』により飲み込まれ、この『気吹戸主神』が根の国に吹き去ってくれると「大祓詞(おおはらえことば)」は伝えます。
境内由緒より「当社は垂仁天皇の御代の鎮座にて高野御前と称へ奉られ「志?」の名は天武天皇が皇子であられた頃壬申の乱を避け吉野から鈴鹿を経て桑名への途次、迹太川の辺で伊勢の神宮を望拝されたことに起因する。 シデとは御幣のことで天皇が四方に幣を班ち祓の神、気吹戸主神をお祀りし禊祓をなされた御跡を斎い奉れる神社である。」公式HPより
参道二の鳥居
鳥居の内、左右より神域を守護されるのは、昭和6年4月建立の狛犬さん一対。招魂社系の狛犬さんに若干に居ているようにも見えますが、吽形さんの表情はどことなく神楽面を思わせます。
拝殿
拝殿屋根、留め蓋の飾り獅子一対、首に巻かれているのは、命綱ならぬ命ワイヤー(⌒∇⌒)
僅かに御本殿屋根の鰹木・千木が見えます。
拝殿後方の御本殿前より神域を守護されるのは、おそらく焼き物と思われる神殿狛犬さん一対。透かし塀の隙間、夕方近い時間、さしてズームの効かないコンデジと下手な腕前・・・全部足すとこうなります(笑)
摂社「妻恋稲荷神社」、御祭神は『日本武尊・弟橘媛命・稲倉魂神』鳥居横の由緒碑には「妻は日本武尊、恋は弟橘媛命、そして稲荷は倉稲魂命であります。」と記されています。
「妻恋稲荷神社の本社は、東京都文京区妻恋坂の高台に鎮座する妻恋神社です。日本武尊がご東征の時「吾妻者耶(あづまはや)・・・」と恋い慕った故事から、妻恋明神と号されました。嘉永6年(1853)、妻恋神社の御分霊を神主宅の庭内にお祀りしたことが始まりです。昭和34年に志氐神社境内に遷座しました。」公式HPより
稲荷の証の深紅の御社殿は、走水海の水底に眠られる弟橘媛の神殿にも見えて、心を揺さぶられます。
「皇大神宮遙拝所」
日本の初代天皇とされる『神武天皇』を御祭神とする「橿原神宮・遙拝所」
『明治天皇・昭憲皇太后』を御祭神とする「明治神宮遥拝所」。
玉垣の内より「明治神宮遥拝所」を守護される招魂系狛犬さん一対。
市内に残る唯一の前方後円墳「志氐神社古墳」。4世紀に築造されたものと云われ、「伊勢名勝志」では『額田連』の祖『意富伊我都命(おういがつのみこと)』の陵墓と記されています。
「昭和18年、瀬戸内海で爆発沈没した「戦艦・陸奥」の第三砲塔破片」。こうした大戦の遺物を忌み嫌う人もいますが・・・多くの命によって購われた私たちの今が、決して当たり前では無い事を忘れてはならないと思います。
【 行く雁を 送りて立てり 鎌ヶ岳 村田青麦】
手水舎
東参道に架かる神橋
東参道・鳥居の内より神域を守護される狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を。阿形さんは毬を手に。
親狛の右腕に縋って背伸びする仔狛、何をねだっているのやら(笑)
参拝日:2011年4月9日
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