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玉﨑(たまさき)神社~其の二 in 千葉県旭市飯岡

2019年08月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

玉﨑(たまさき)神社」の境内紹介、続きます。『平田篤胤』が御神威によるものと感動した夫婦木は、安政三年(1856)の大風で倒れてしまいました。 が、今、玉﨑神社の拝殿前には、樹齢500年という御神木の「槙の木」が大きく枝を広げています。

境内の一画に「霊石:天の石笛」と呼ばれる、大人の一抱え程の大きさの石が奉納されています。 頭部と側面に溝穴があり、風が吹き込みむと不思議な音が聞こえてくるとか。海に出る者たちは、その妙音で海の荒れを占いました。龍神の姫から賜ったとも伝えられる霊石は、昭和62年(1987)放映の「漫画日本昔話」の題材にもなりました。

「天の石笛」の先には、我が故郷の生んだ著名な画家で詩人「竹久夢二文学碑」「九十九里にて」と題し1907年5月に讀賣新聞に連載され、当神社の「大銀杏に夕日がかかり云々」と、飯岡を訪ね、人情の厚い浜のことが書かれている。」神社HPより

この歌碑も境内の一画にあったものですが、特に何かの説明も無く内容は不明。 旅先などで歌碑や句碑を見つけると、よほど嫌いな😅人物の碑でない限りは紹介したいと思っている私としては、不本意です。

「玉﨑神社」の広い境内には、いわゆる「頌徳碑」と思われる碑が沢山建立されています。 それらの内容は地元に詳しい方にお任せして、境内に祀られる境内社から。柔らかな緑の中に鎮座される「厳島神社」。御祭神は『宗像三女神』

比較的新しい石の祠は「阿夫利神社」。御祭神は『大山祇大神』

同じく石の祠は「招魂社」。明治維新以降、戦で亡くなられた地元の方々の御霊を御祭神とします。 離れた場所ですが、一段高い場所には「忠魂碑」も建立されており、今在る平和に感謝を捧げて来ました🙏🙏。

海上安全の守り神とされる「金毘羅神社」。御祭神は『大物主神』

境内入口近くに鎮座される「八重垣神社」。御祭神は『素盞嗚尊・櫛稲田姫』

『伊弉諾尊、伊弉册尊』を御祭神とする「三峯(みつみね)神社」

「大漁稲荷神社」。稲荷神に大漁を冠するのは、いかにも漁業を生業とした飯岡らしい御名です。

境内の森の一段小高い場所に建立されているのは、昭和4年(1930)8月に作られた「飯岡助五郎碑」。 碑の前に置かれた丸い石は「力石」で、助五郎が力比べや雇用の条件に使用したものだそうです。 力比べはよく耳にしますが、雇用の条件と言うのは、さすが網元らしい発想ですね😊

境内の奥には、その『飯岡助五郎』が信仰していたと伝えられる、「稲荷神社」が鎮座されています。『飯岡助五郎』というと、映画や時代劇、歌舞伎や講談、浪曲では相当の悪役として有名な人物。 なぜそんな悪人の碑が??ですが、実際には売れて何ぼの人達が生み出したフィクションの世界。 これに関しては相手役の登場を待って、改めて私流の解釈で😉紹介したいと思います。

最期に神社の入り口近くに奉納されていた金ピカの「玉崎の姫龍」、何と言うか・・・😅 社伝にある「龍王岬」に座す「海神の娘:玉依姫尊」に因んで製作されたという事ですが、もしも私が当人なら断固拒否したい😣

「玉﨑神社」では2010年に「御創建壱千九百年祭」が執り行われており、その記念碑が建立されています。記念碑の横には、銚子ホトトギス会創立百年を記念した『虚子(多分)』の句碑があります。 もの凄く達筆な文字で刻まれており、実のところ『虚子』かどうか、モチロン句も読めません😅
 

参拝日:2019年3月11日


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