「江戸時代、観音霊場巡礼は民間信仰と民衆のレクリエーションであり、心の安らぎでもありました。しかし西国までの巡礼の旅は誰もが出来るものではなかった為、当時岩角山を唯一の祈願寺としていた二本松城主 丹羽公が、名僧とうたわれた住職 豪伝和尚と力を合わせ当山を再興し、線彫仏 造立に心血を注ぎ、西国三十三観世音の霊場から御分霊を岩角山に勧請して、巡礼者のための便宜を計ると共に信仰の中心としたものです。
岩角山全山に露出した巨岩の岩肌には、三十三観世音をはじめ天神仏神の像が八百八躯彫刻されており、それぞれの仏像には奉納された信者と石工の名前と思われるものが刻まれていて、当時の人々の信仰の篤さを物語っています。」公式HPより
数多の神仏を尊い存在として敬ってはいますが、恥ずかしながら私には仏の姿を見てその御名を言える知識はありません。ここでは岩角山で出会った御仏のお姿のみを紹介させて頂きます。
うっそうとした杉木立の中、花崗岩の巨石、奇岩が露出する山容は霊場にふさわしく、 全山が名勝天然記念物に指定されている岩角山。
その地に静かにおわすお姿は、信仰の有無にかかわらず、ただひとえに美しく尊いもの。
「ほう除け苦抜き観音」
「伝教大師聖区 山家学生式」「国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を名付けて国宝と成す 故に古人言わく 径寸十枚(けいすんじゅうまい)是(これ)国宝に非(あら)ず 一隅を照らす 此れ則(すなわち)国宝なり」
法灯を頭上に捧げ持つ力神
訪問日:2015年6月25日
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上記に紹介した「伝教大師聖区」は、以下の文言で締めくくられます
「道心あるの仏子(ぶっし) 西には菩薩と称し 東には君子と号す 悪事を己に向かえ 好事を他に与え 己を忘れて他を利するは 慈悲の極(きわ)みなり」
『菩薩』:さとりを求め修行をしつつ、他者をもさとりに到達させようと努める存在。
『君子』:徳行がそなわり、学識、人格ともにすぐれた立派な人。
たくさんの線刻観音や摩崖仏を拝見しました。
これは当時の二本松城主であった 丹羽公の思いが反映したのではと思います。
西国観音巡礼が容易でない地にあって、それを希う思いがこうした仏の姿を生み出したのではと思います。
かの地に深く思いを馳せさせてくれるコメント、有難うございます
こちらもやっとクーラーのいらない日を過ごせるようになりました
奥様と一緒のお花屋さん、
良いですね~~😊
仲の良いお二人の姿を想像して
思わず顔がほころびます
あと恥ずかしながら二本松の藩主が信長配下の丹羽長秀の係累だったと初めて知りました。
二本松と言えば北畠という印象が脳に刷り込まれていました。
こんばんは!
今日は朝から嫁さんに連れられてまたまた
お花屋さんに行ってきました。
朝晩もすっかり涼しくなったので
過ごしやすくなりました。