室町時代に上総の武田信長によって築かれたという「久留里城(くるりじょう)」。別名「雨城・霧降城・浦田城」とも呼ばれ、戦国時代に里見氏によって再構築され、対北条氏の最前線を担っていました。 江戸時代には久留里藩の藩庁として整備され、近世城郭として明治維新まで維持されたそうです。 久留里城天守台跡には、昭和54年に浜松城模擬天守をモデルとした模擬天守が建造されています。 模擬天守は良いとして、何故浜松城(しかも模擬)だったのか・・・それより久留里藩当時の資料は一切無かったのでしょうか?
二の丸跡地に完成した資料館には「久留里」の歴史や民族に関わる様々なものが展示されています。 資料館前に建つ『新井白石像』、彼は久留里藩主『土屋利直』に仕えた事で知られる有名な学者です。
もう一つ、資料館前に展示された実物大の「上総掘り用具」。ご亭主殿が並ぶとその大きさが実感できます。
久留里城三の丸跡地には、実際に「上総掘り用具」の全容を見学できる場所があります。
「上総掘り」とは、千葉県の上総地方で考案された「掘り抜き井戸」の掘削技術の総称。 細長い鉄管と竹製のヒゴを用い、その自重と人力で帯水層にある地下水を掘り当てるのです。
久留里駅入り口にあるウエルカムアーケードは何とも可愛い「久留里城模擬天守」。 ここまでされると、モデルが浜松だろうと何処だろうと「良いか」という気持ちになりますね😄
城下の散策では、思わず足を止めてみたくなる、歴史を感じさせる建物にも出会えました。 時間に追われて急ぎ足で通り過ぎただけで、もう一度と思いながら、結局、二度目の訪問はありませんでした。
「道の駅:ふれあいパーク君津」では、久留里の伝統工芸、黒文字楊枝が実際に作られていました。 黒文字というクスノキ科の香木で作られた「雨城楊枝」、一度使うと二度と手放せなくなります。
近くの片倉橋には、「三島神社」の祭礼で奉納される「羯鼓(かっこ)舞」の像があります。 かっては雨乞いの為の奉納舞であったといわれ、その獅子面は龍神を現したものだそうです。
色々見所の有る君津ですが、江戸末期に千葉で初めてノリの養殖が行われた「上総ノリ誕生の地」。 その立役者となった『近江屋甚兵衛(じんべえ)』の像が、人見の青蓮寺境内に建立されています。
「君津漁業協同組合の解散記念碑」は、かつて主要産業であった漁業権の放棄により、臨海工業地帯の造成が進められ、次世代の産業が確立されたことを記し建立されました。
作者は不明・・【朝凪や 沖くろぐろと 海苔だたみ】沖黒々と・・その情景が目に浮かぶようです。
ほぼ駆け足状態で紹介した君津の散策、本当はもっともっと、素敵な場所も多いはずなのです。 でもそれは実際に訪ねて、自分の足で歩いてみないときっと見つけられない気がします。
訪問日:2014年5月24~25日
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