車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧上月町(佐用町)

2023年10月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧佐用郡上月町(こうづきちょう)は兵庫県南西部に位置し、岡山県と境を接していた町です。上郡町、佐用町、南光町、県を跨いで岡山県備前市、美作市と隣接。町域には、赤松氏の一族である『上月次郎景盛』が14世紀頃に築いたと伝えられる「上月城址」がありましたが、現在は土塁と曲輪跡が残るのみとなりました。「町の木:モクセイ」「町の花:花菖蒲」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により佐用郡幕山村・西庄村・久崎村が発足。赤穂郡赤松村が発足。

1940年、久崎村が町制を施行、佐用郡久崎町が発足。

1955年、佐用郡久崎町が、赤穂郡赤松村小赤松、大酒、旭日字抜位を編入。

1955年、佐用郡西庄村と幕山村が合併、佐用郡上月町が発足。

1958年、佐用郡上月町と久崎町が合併、新たに上月町が発足。

2005年、佐用郡佐用町、南光町、三日月町と合併し、新・佐用町となりました。

マンホールには、「町の花:花しょうぶ」と、町内の河川で見られる「ホタル」が描かれています。(179号線沿い上月郵便局付近)

昭和43年4月制定の町章は「頭文字の「こ」を円に図案化し、中央に月を白で抜き出して「上月町」を表現、太いところは波頭として町の躍進と発展を、円は円満・平和を象徴している。」合併協議会資料より


 

撮影日:2010年8月8日

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ご当地マンホール in 兵庫県... | トップ | ご当地マンホール in 兵庫県... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
上月城 (tibineko)
2023-10-14 18:12:59
尼子氏終焉の城だったのですね

吉川興経
陶隆房
山口県の旅の折々に登場する武将
名前だけは知っている・・という程度

「願わくば・・・」の名言で知られる山中鹿之助
彼が葬られている鳥取県の「幸盛寺」に詣でたことが有ります。
島根県にある月山:富田城は、入り口の坂道で挫折しました(^_^;)
返信する
上月城 (まっち)
2023-10-14 17:32:31
戦国マニアの間では近江源氏佐々木氏の係累で、尼子晴久の代に中国9か国の守護となった名門尼子氏終焉の城としてよく知られております。
一時滅亡した尼子氏ですが、信長傘下で家名再興を期して上月城に籠りますが戦雲拙く落城。
尼子氏はここで完全に滅亡となります。
有名な山中鹿之助の「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」というくだりはこの後のことです。
ちなみに尼子氏本流はここで途絶えますが、傍流の亀井氏が津和野藩主として明治維新まで続きました。
返信する

コメントを投稿

マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県」カテゴリの最新記事