旧八束郡鹿島町(かしまちょう)は島根県の東部に位置し、日本海側に面していた町です。町名は、1956年の合併に際し、四つの町村が秋鹿郡と島根郡に跨っていた事から一字ずつとって「鹿島」としました。町域には出雲風土記に登場する「出雲国二宮:佐太神社」や、弥生時代の銅鐸・銅剣が出土した「志谷奥遺跡」があります。
明治22年(1889)、町村制の施行により秋鹿郡恵曇村(えともむら)・佐太村、島根郡講武村・御津村が発足。
1896年、郡制の施行のため、島根郡・秋鹿郡・意宇郡の区域をもって八束郡が発足。
1947年、恵曇村が町制を施行、八束郡恵曇町となる。
1956年、八束郡恵曇町・佐太村・講武村・御津村が合併、八束郡鹿島町が発足。
2005年、旧松江市・島根町・美保関町・八雲村・玉湯町・宍道町・八束町が合併、松江市鹿島町となりました。
マンホールは規格蓋のみ、デザイン蓋はありません。
昭和46年5月8日制定の町章は「「カしマ」を図案化したものです」
松江市役所鹿島支所の敷地内にあった「中国文学者 増田渉(ますだ わたる)先生顕著碑」。恵曇村の出身。中国の思想家で小説家でもあった「魯迅(ろじん)」に師事し、彼に関する多くの作品を残した人物です。
撮影日:2011年5月19日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます