車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

敦賀市内あちこちウォッチ in 敦賀市

2016年07月11日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福井県

2009年に初めて金ケ崎緑地を訪問したとき見かけた2棟の赤レンガ倉庫、何となく古そうに見えるけれど、今も現役なのだろうか?  帰宅後に、2009年1月に北棟・南棟・煉瓦塀が国有形文化財に登録されていた事を知って、ああ、それならもっとちゃんと見ておけば良かったと思いつつ・・・日が流れ

そうして三年後の2012年に再訪、「敦賀赤レンガ倉庫」は、こんなに開放的になっていました (⌒∇⌒)

明治から昭和初期、ロシアを経由し大陸ヨーロッパへと繋がる国際都市として繁栄した敦賀市。敦賀赤レンガ倉庫は、外国人技師の設計によって明治38年(1905)に紐育スタンダード石油会社の石油貯蔵用倉庫として建設。途中、軍の備品倉庫や昆布貯蔵庫としても使用され、福井県内でも有数のレンガ建築物。

煉瓦建築と言えば敦賀港駅には明治15年(1882)頃に建てられた「旧敦賀港駅ランプ小屋」があります。ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては主要な駅に一般的に存在したものです。

かって「金ヶ崎駅」と呼ばれていた時代、明治末期から昭和初期にかけて欧亜国際列車が運行され、ここからウラジオストク航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す人や荷物で賑わっていた時代・・想像は羽を持って膨らみ、気持ちを浮き立たせます。

昭和初期のモダンを感じさせる建物は、国重要文化財(建造物)の「旧大和田銀行本店」

敦賀の実業家、二代目『大和田荘七』が、大和田銀行を設立したのは明治25年(1892)のこと。

建物は大正14(1925)に起工し、昭和2年(1927)に竣工。鉄骨レンガ造一部鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階建で、当時の北陸地方では非常に珍しかったエレベーターを備えており、かつて敦賀の政治経済の中心地であった場所に位置しています。

その後吸収合併により三和銀行敦賀支店、福井銀行敦賀港支店として利用、昭和52年(1977)に敦賀市に寄贈され、翌年には敦賀市立歴史民俗資料館としてオープンしました。

私たちが訪問した2009年当時は福井県有形文化財でしたが、2012年から修復工事が開始され、2015年にリニューアルオープン。その後2017年に国の重要文化財(建造物)に指定されました。建物前の道路巾が少ないため、建物全体を正面から写せないのが残念です。

博物館の斜め前の路地を入ると、こじんまりとした「清明神社」が鎮座されています。案内に『安倍晴明』は10世紀末の頃にこの地で過ごし、陰陽道の研究を重ねたとか。バイクの駐車スペースが確保できず、参拝は鳥居の前から。

「敦賀市民文化センター」の建物横に建てられた碑は、明治19年(1886)から昭和20年(1945)まで、迎賓館兼会議場として使われた「萬象閣跡」。昭和20年(1945)、本土空襲の激化に対応するために断行された「建物疎開政策」で、市庁舎を守るために萬象閣が取り壊された経緯が傍らの説明に記されています。

「市民文化センター」が建っている場所には、旧敦賀市庁舎が建てられていましたが、その庁舎を寄贈した人物が先ほど登場した『大和田荘七翁』

もう一つ、『大和田荘七』にゆかりのある建物が、「金ヶ崎緑地」に復元されています。それが、旧大和田別荘洋館を復元した「人道の港敦賀ムゼウム・ 杉原千畝の資料館」。昭和15年(1940)に『杉原千畝』がユダヤ人難民に発給した日本通過ビザの話、何故か日本の歴史教育であまり語られないのが不思議です。

訪問日:2009年6月5日&2012年7月10日


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