車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県宝塚市

2023年06月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

宝塚市(たからづかし)は兵庫県南東部、阪神間北部に位置しており、西は六甲山系、北は長尾山系に囲まれた市です。市名の「塚」は、「盛り土をした墓(古墳)」を意味し、宮の町地区に門を構える「宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺」の地に、神功皇后の母である『高額比売命(たかぬかひめのみこと)』を祀った古墳があり、この「高額塚(たかぬかつか)」が「宝塚(たからづか)」へ転訛したと言われています(他にも諸説あり)。神戸市、伊丹市、西宮市、川西市、三田市、猪名川町に隣接。市の中心部を流れる武庫川の畔には阪急阪神東宝グループの創始者:小林一三が手がけた宝塚歌劇団の本拠地:宝塚大劇場があり、『歌劇の街』として全国的に有名。「市の木:山茶花・山法師」「市の花:スミレ・ダリア」「市の鳥:ウグイス・セグロセキレイ」を制定。

また漫画家:手塚治虫が青少年期を過ごした町としても知られており、宝塚市武庫川町に「宝塚市立手塚治虫記念館」を設立。全国から多くのファンが訪れています。

キャッチフレーズは、「市民の力が輝く 共生のまち宝塚」

明治22年(1889)、町村制の施行により、川辺郡小浜村・長尾村・西谷村、武庫郡良元村が発足。

1951年、小浜村が町制を施行して改称、川辺郡宝塚町となる。

1954年、武庫郡良元村と合併、宝塚市が発足。

1955年、宝塚市大字荻野・荒牧・鴻池・大野新田を伊丹市に編入。

1955年、川辺郡長尾村、西谷村を編入、現在に至っています。

マンホールには「市の花:すみれ」と、「ベル」がデザインされています。

池田市マンホールサミット展示蓋

名古屋市下水道科学館:展示蓋

下二枚は同一に見えるマンホールですが、外枠に小さく入れられた矢印(↓ ↑)の向きが異なっています。この矢印によって流れの方向を表示しています。

「市の花:スミレ」がデザインされた小型マンホール

昭和29年4月10日制定の市章は「「タカラ」の⽂字を表し ています。 中⼼の太い⾈形の線は、武庫川 をはさんで合併した川辺郡宝塚町 と武庫郡良元村の融和を意味する 架け橋を表現しています。」公式HPより

街歩きの途次で見かけた建物は、昭和10年(1935)に建てられた「旧宝塚音楽学校校舎」。戦前戦後を除き、1998年までの約45年間にわたって、多くの卒業生を送り出してきた施設です。現在は「宝塚文化創造館」として、舞台芸術に関わる市民の活動の場となっているそうです。

中国自動車道:西宮名塩SA記念スタンプ:「宝塚歌劇団のラインダンス」

撮影日:2008年5月17日&2019年8月12日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「宝塚市」のマンホールカードは、「宝塚市上下水道局総務課」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「スミレ」と「ベル」がデザインされています。

「宝塚市の花「スミレ」、観光ロゴマークにも採用された「ベル」がデザインされたマンホール蓋です。 スミレは明るさと清潔感を出すためにスミレの花を中央に大きく、そして音楽の町・宝塚を表現するために楽器のベルを周辺に散りばめ華やかさを演出しました。 蓋のデザインについては汚水、雨水共通です。蓋に書かれている文字は当初、ローマ字表記でしたが、近年ひらがな表記に変更を行い、より分かりやすくしています。 「スミレ」という名の由来は、一説に、花の形が大工道具の「墨入れ(すみいれ・墨壺)」に似ていることからこの名があるとされています。」

訪問日:2018年8月12日

 


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4 コメント

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憧れの阪急宝塚線 (まっち)
2023-06-29 14:00:52
父は大阪市交通局(大阪市営地下鉄)に勤務しており、当時公務員天国だった大阪市では職員の福利厚生のために数々のサービスが準備されていました。
その一つが阪急が経営する今はなき宝塚ファミリーランドの家族パス。
小学生の間は春秋と年に2度家族で宝塚を訪れたものです。
おかげで地元のあやめ池遊園地やドリームランドにはほとんど行かず終い。
生まれ故郷の高取からは近鉄~地下鉄~阪急と乗り継ぎになります。
高取から大阪に出るのに使うのが近鉄南大阪線、沿線通じて柄が悪く民度の低い地域をつないでいますから車内も駅の雰囲気もこてこての関西。
車内に響く言葉も「われ!しばくぞ!あほ!ぼけ!!」笑
一方で阪急梅田駅といえば、巨大なコンコースには大理石の柱が立ち並びまるで欧州の宮殿のよう、そこに歌劇団の音楽が流れおまけに9番線まである巨大ホーム。
ちなみに当時の阪急梅田駅は乗降者数日本一を新宿駅と争う日本屈指のターミナルでした。
赤一色の近鉄車両に対し、阪急はマルーンの洒落た塗装、車窓の景色も樹林で覆われた近所の山と違って、北摂の緩やかな斜面に広がる優雅な住宅地、
車内には「あほ」「ぼけ」等と話す乗客はだれもいません。
子供心に大人になったらこういうところに住んでみたい、阪急宝塚線は幼少期の憧れでした。
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宝塚と言えば (tibineko)
2023-06-29 14:53:29
昔、相生に住んでいた従姉が熱狂的な宝塚ファンで、お泊りで遊びに行くと必ず宝塚雑誌を見せられ、半ば興奮気味に舞台の話や、お気に入りの組について話してくれました。
当時そんなこじゃれた物に縁の無かった田舎者の小学生にとって、話の内容はお伽噺の世界。
写真で見せられたトップスターの化粧の濃さだけが、今でも鮮明に思い出されます(笑)

関西に移り住んで、実際に宝塚に足を踏み入れたのも、2008年にご当地マンホール目当てのバイクタンデムが初めて(^^;)

帰省の折には毎回宝塚の側を通るのですが、バイクから車になって高速を使うようになり、尚更立ち寄る機会もなくなりました。
2018年にマンホールカードを頂く時、当然車で行ったのですが、道のややこしさ+頻繁な渋滞、更に新たなマンホールを発見しても路駐できない不便さに閉口し、以降一度も訪問した事がありません。
いつも思うのですが・・路上の芸術品探索には都会は・・優しくありません (>_< )
返信する
Unknown (まかろん)
2023-06-29 20:39:45
すみれの花だけのマンホール、
この写真だけみると硬貨みたいですね😊

可愛いです。


最近、駅で宝塚の公演ポスターを見かけました。
男役の方がほーんとに男性みたいで、カッコ良かったです。
(男性はどう思うか知りませんが💦)

生まれついての身体適性もさることながら、
こういう方はきっと、元は女でありながらも
男の仕草、歩き方、目つき顔つき、話し方、
すべてを研究するのだろうなと思います。

でも、宝塚は年齢制限があるのですよねー・・。

歌舞伎では女形は老齢になっても女形でいられるのに。

ある一定の歳まで、男性であることを追求させておいて、
ある時からもうお前は女なのだよ、って
どう適合するのだろう、辛くないのか、大丈夫なのかと心配をいつも感じてしまいます。

個人的に大学入学の際に、似たことを経験したので。

三つ子の魂百まで、と言うように、
・・私は今も適合しきれておりません。


どうこのコメントを締めれば良いか、
落とし所を見失っていますが、宝塚と聞いて私が思うことはそういうことばかりです😅

梅雨らしからぬ暑い日がつづいていますが、
そちらでもそうでしょうか。
お体を労ってゆるゆるとお過ごしください😊
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宝塚 (tibineko)
2023-06-29 22:53:33
まかろんさんの経験がどのようなものであったのか
私には到底分かり得ないものだろうと思います。
なので、安易な相槌も賢しらな言葉も言いません。

そもそも・・
宝塚歌劇そのものが、私には遠い世界
だからそこに起こり得たであろう葛藤も
複雑な思いも、推し量る事ができないのです。

こちらは時折雷を伴う一時的な激しい雨と
うんざりするような暑さが交互で
いささか体調に影響を感じています
が・・まぁ歳を重ねた所為という事にして(笑)
とりあえず本日も無事に終わりそうです。
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