車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

御仏供(おぼけ)杉 in 石川県白山市吉野

2017年10月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

雲龍山の麓、「吉野工芸の里」の敷地に「御仏供杉(おぼけすぎ)」と呼ばれる杉の巨木があります。その形が「御仏飯(おぶっぱん)を盛ったように見える」と言う事から、いつの間にかその名で呼ばれるようになりました。

樹齢は約700年。白山市吉野の山中に祇陀寺(ぎだじ)を開いた『大智禅師』がこの地を去る時に、杉の小枝を逆さに地面に挿したのが今の御物供杉であるといわれ「さかさ杉」とも呼ばれています。

昭和13年8月8日、日本の名木百選にも選ばれた「国指定天然記念物 :御仏供杉」。この木を見る為に訪ねてきた私たち。これが一本の杉の木だと誰が想像できたでしょう。あの杉林の中に目指す「御仏供杉」があると信じて疑わなかった程、その姿は巨大で際立っていました。

「御仏供杉」からさして遠くない高台に座していた『大智禅師』坐像。

高さ約19m,地上1mほどのところで約40本の枝が四方に広がった様はまさに圧巻。じっと見上げていると緑の中にあらゆる物の姿が見えてくるような・・・御仏杉の真ん中に立って目を閉じると、まるで木々の胎内に居るような不思議な感覚に襲われます。

それは700年もの長い時間を生きてきた樹木の生命の力なのか、ただの思い込みなのか・・なんだか、考える事が面倒なような、ただそこに居る事が幸せ・・そんな気持ちになれるのです。

「吉野工芸の里」にある江戸時代の古民家「鶉荘(うずらそう)」。文化交流サロンとして活用されているそうですが、生憎と早朝だったせいか人の気配も無く、聞こえるのは山の息遣いと小鳥の声だけ・・

そんな私たちの目の前に現れた小さな子猫。もしや捨てられた子猫では!?と胸を痛めましたが、お世話をされる方がおられたようで他に何匹か仲間の猫さんたちも居ました。 雨露をしのげる場所を作ってもらって、ご飯も用意してもらっている様子に、思わず「良かった・・」。冬になればこの辺りは豪雪地帯だと言います。どうか元気で生をまっとう出来ますように・・

訪問日:2015年10月21日

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ご当地マンホールin旧吉野谷村(白山市)

2017年10月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡吉野谷村(よしのだにむら)は石川県の南に位置し、村域に聳える「三方岩岳(さんぽういわだけ)」を境に岐阜県の白川村や富山県南砺市と境を接した村です。村内には開湯1200年の歴史を有する「中宮温泉」や、手取川の流れがつくりあげた手取峡谷があり、中でも32mの高さから流れ落ちる「綿ヶ滝」は観光の名所として有名です。

1889年、町村制施行により吉野村、中宮村、木滑新村、木滑村、市原村、瀬波村、佐良村が合併し吉野谷村が成立。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併し白山市となりました。

デザインマンホールは作られていませんが、村章が記載されたマンホールはあります。

昭和46年4月1日制定の村章は「三つの山は中宮地区、中部地区、吉野地区を意味し、「吉」を三地区が囲み、村の融和・平和・団結、未来に向かって限りなく発展する姿を表します。」HPより

二基の石碑は旧役場の近くで見つけたものですが、表面が磨耗して判読が出来ません・・きっと長い年月、この地にあったのでしょう。

旧役場からはるか向こうに見えた手取川に架かる赤い橋。そういえば名所案内に「手取峡谷」の名がありましたが、それはまだずっと遠いのでしょうか?高いところが苦手で、足場が平坦でないとダメな私には、きっと無縁の名所・・・(_ _。)

撮影日:2015年10月20日

 

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福岡第一発電所 in 石川県白山市河内町

2017年10月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

白山市河内町福岡、手取川の中流部に位置する北陸電力:水力発電所「福岡第一発電所」。赤煉瓦の美しい建物は明治44年(1911)に辰村組により設計施工、現在も発電所として稼働している現役の建物です。

2001年に国登録有形文化財に登録された煉瓦造、瓦葺の美しい外観。その独特の佇まいは、他の同様の建物をいくら見てきても、決して見飽きることのない美しさ。

道路沿いに建てられている為、まずはその奥行きの深さから実感できるのもラッキー。 更に、建物がある場所よりも道路の方が高い位置なので、屋根の形状まで綺麗に見渡せます。写真は現地に向かう途中の車の中から、下の写真は車を降りて道路上から写したもの。

普通に歩いていて、こんな風に建物を見られるなんて今まで例の無い事。で、ついつい何度もデジカメを向けてしまいましたが、幸いにも交通量が少なく、思う存分上から目線(笑)で、この歴史的建造物を堪能しました。

入り口近くに有った「福岡第一発電所」の案内板。これで見ると掲載の写真は川向こうからですね。 建物の後方に見える巨大なパイプは、発電所の建物とは道路を挟んだ山肌側。お陰でじっくりとその巨大さを堪能できます。

手取川を眼下に臨む位置から振り返ってみた「福岡第一発電所」。秋の日差しを受けてキラキラと輝く川面。発電所のさらに向こうには人々の日常が広がっており、時間が許せばあそこまで行ってみたかったけれど・・。

訪問日:2011年10月12日

 

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ご当地マンホール in 石川県旧河内村(白山市)

2017年10月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡河内村(かわちむら)は石川県の南、手取川と直海谷川(のみだにがわ)の合流点に位置した村です。白山麓旧5ヶ村の中で最も金沢市に近く、集落はそれぞれの川岸に点在しています。また村域には縄文時代の竪穴住居跡が出土しており、原始時代より人間が居住していた事が証明されています。「村の木:桐」「村の花:藤」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により石川郡河内村が発足。

1951年、石川郡河内村より、中島・三宮・八幡・石切小原・白山地区が分離。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併、白山市となりました。

デザイン蓋はありませんが、村章が記載されたマンホールがあります。

昭和46年4月1日制定の村章は「河内村の「か」を図案化したもので、両端に走る二つの鋭角でのびゆく村を表現し、中心の円は発展と円満融合の和を表します。」合併協議会資料より

旧役場の近くで見つけた碑。左に「石川郡河内村字吉岡」と刻まれています。どういった趣旨での寄贈なのか不明ですが、これもかっての村の名残として貴重なものですね。

撮影日:2015年10月20日

 

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美川地区・ちょっと散策 in 石川県白山市美川

2017年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

昨日のブログで「おかえりの町 美川」と紹介した「おかえり」、実はこれ祭りの名称なんです。

旧町域に有る「藤塚神社」の春の祭礼「おかえり祭り」からで、美川駅内の観光案内コーナーには、祭りで使われる台車(だいぐるま)が展示されています。13台の台車と若衆の吹くラッパに先導されて神輿が町内を練り歩く、きっと賑やかでしょうね。

白山市向島町にある「牛乳村夢番地」、牛乳やソフトクリームなど美味しいものが一杯あるという事でやって来たのですが・・

どうです!この看板(⌒∇⌒) なんか如何にも美味しいソフトクリームですって感じ。「おまっとソフト」早速ご亭主殿と一緒に食してみましたが滑らかで優しい口触りでした。

美川の町域には「白山美川伏流水群」なるものが点在し、美味しいお水を頂ける事で有名だそうです。その一つ、白山市蓮池町には『弘法大師』伝説の湧き水「蓮池の水 」があります。全国各地に伝えられる「『弘法大師』がこの地に立って杖を三ヶ所突くとそこから水が湧き出した。その水は万病に効く水と云う」・・・説明板には「弘法大師 由貴の水」と書かれており、池の中央には『弘法大師』の尊像も建立されてます。

樋も作られ、小さなひしゃくが載せられた手水鉢も有ってと至れり尽くせりで、唯一無いのが「水」・・(ーー゛); ・・って、いや、私たち、ここでおいしい「白山美川伏流水」を頂こうと思って来たんですよ。真夏でもないのに全く水がないって、まるで昨日の鶴来の「手叩き清水」の悪夢の再来。

確かネットで調べたときには「白山美川伏流水群の中でも一番北に位置する有名な湧き水で弘法大師の像が見守る、昔からの謂れと風格がある霊水です。」と紹介されていて、かなり期待してペットボトルも用意してきたのに・・とは言え無いものは仕方ない・・・とにかく「竹蓮精舎(ちくれんしょうじゃ)」の参拝を済ませましょう。

本堂入口近くに、合掌姿で正座する『竹内 ユキ』という女性の像が安置されています。説明によれば、宗教家で福祉活動に熱心で元町長を勤めた『竹内信孝氏』のご母君とのこと。「神仏や自然に感謝することの大切さ」を身をもって示された方だそうです。

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2009年8月に北陸自動車道を走った折に見かけた「美川下水処理場:水槽塔」。そこには「美川 県一の町」の文字があり、ちょっとした珍名所となっていましたが、2010年に撤去されたとか。走り過ぎる車の中から捉えた一枚きりの写真ですが、今となっては貴重な思い出。ちなみに前述の『竹内信孝』さん、『美川憲一』さんから許可をもらって「美川 県一の町」の看板を建てた方だそうです。ちょっとビックリの偶然(^▽^)/


撮影日:2015年10月19日(看板:2009年8月14日)

 

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ご当地マンホール in 石川県旧美川町(白山市)

2017年10月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧石川郡美川町(みかわまち)は石川県の西、手取川流域の扇状地:扇端部に位置した町です。町域にあった本吉湊は、室町時代から三津七湊の1つといわれ、江戸時代には北前船の寄港地として賑わいました。「町の木:黒松」「町の花:アンズ」を制定。

町名は1869年に合併した能美郡湊村と石川郡本吉町の郡名から一字ずつ取り「美川」としました。 旧キャッチフレーズは「防火の町 おかえりの町 美川」

明治5年に金沢県を石川県と改称した際、約一年にわたって美川町に県庁が置かれたことから「石川県発祥の地」として記念碑が建立されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、石川郡美川町・蝶屋村・能美郡湊村が発足。

1954年、美川町、蝶屋村、能美郡湊村が対等合併、新に石川郡美川町が発足。

2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併し白山市となりました。

マンホールには、白山を背景に、帆柱に町章をつけた北前舟がデザインされています。

昭和39年9月21日制定の町章は「「力」の字を丸く三つ輪にし、現在の新町が力を合わせ円満に、しかも一町協和の精神をもって、町の将来を発展させることを象徴したも のです。」HPより

雨水用マンホール

撮影日:2011年10月13日&2015年10月19日

 

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神田(かんだ)神社 in 石川県白山市吉田町

2017年10月15日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

白山市吉田町に鎮座される「延喜式内社:神田神社」。御祭神は『饒速日命(にひはやひのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、武甕槌命(たけいかづちのみこと)、 経津主命(ふつぬしのみこと)、八幡大神(はちまんおおみかみ)』

「当社は景行天皇の御代式内宿彌が北陸及び東方の諸国の風土監察の為に下向の折、北陸守護の為吉ケ中と称する地に饒速日命を勧請し給えり、その際地名を神田村と唱へたりと社記に記されてある。第34代の神主岡本正親は近郷(石川郡60社、能美郡23社)83社奉仕をしていたとの記述あり、境内地は1242坪あり昔の面影を漂わせている。」石川県神社庁HPより

灯りが入った覆い屋の内の拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは明治三十年(1897)丁酉九月建立の加賀逆立ち狛犬さん一対。石工名はありませんが同じお顔を何度かお見掛けしました。

この神社が今日の最期の予定地。本当ならもっと明るいお日様の下で参拝したかったのに・・そうすればもう少し明るいお姿を残せたのに・・狛犬さん御免ね。

「境内社:高良社」

参道途中より神域を守護されるのは、広島型玉乗り狛犬と、某・量産型の狛犬をミックスしたような大型の狛犬:阿形さん。

向かい合う位置に奉納された青銅の御神馬、腹掛けには「梅鉢」の神紋。

つるべ落としの10月半ば、すでに夕闇の気配を漂わせ始めた空・・もっと余裕をもたなきゃね・・・(-"-)

参拝日:2011年10月12日

 

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春日(かすが)神社 in 石川県白山市七原町

2017年10月15日 09時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

石川県白山市七原町に鎮座される「春日(かすが)神社」。御祭神は『天児屋根命、 菅原道真』

「久安6年岡本正親の兼帯社八十三ヶ村の中に、七原村産土神が見えるので古社であると思われる。もと小字越田にあった菅原神社を明治36年7月30日合祀した。」石川県神社庁HPより

覆い屋の内に収まる拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和六年(1931)十二月十二日建立のちょっととぼけた顔立ちの加賀逆立ち狛犬さん一対。台座には建立年と『石工:山本太三郎』『彫刻:相森幹太郎』の刻。

阿形さんは口中に玉を含みながら豪快に大口。半ば呆れたように見つめる吽形さん。中々に素敵なコンビ。

半立ちの狛犬さんの足元には、お腹を見せて台座にしがみつく愛らしい子狛の姿が見えます。

「境内:末社」

参拝日:2011年10月12日

 

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乙劔(おとつるぎ)神社 in 石川県白山市曽谷町

2017年10月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

石川県白山市曽谷町に鎮座される「乙劔(おとつるぎ)神社」。御祭神は『彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)』

「久安年間すでに鎮座のあった旧社と伝えられ、明治15年(1882)9月30日乙剱神社と改称した。」石川県神社庁HPより

拝殿前左右より神域を守護されるのは、名石工『福島伊之助』が大正二年(1913)十月に建立した加賀逆立ち狛犬さん一対。見返る吽形さんは角を持ち、阿形さんは口中に玉を含み子狛と共に極上の笑顔。 

仔狛の背中に優しく手を重ねる阿形さん。その仕草の愛らしさに胸がキュン!

何もかもをゆだね切った顔で親狛の前足でくつろぐ仔狛さん。こんな表情が生み出せるのはきっと小さな動物を慈しんできたからではないか・・そんな事をふっと思わせる愛らしさ・・

参拝日:2011年10月12日

 

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乙劔(おとつるぎ)神社 in 石川県白山市坂尻町

2017年10月14日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

石川県白山市坂尻町に鎮座される「乙劔(おとつるぎ)神社」。御祭神は『彦火火出見尊、菅原道真』

「創立の年代は詳らかではないが、往古に神剱が天より降って、この地の妖異をはらって族人の苦悩を救ったといわれる。本殿と弊殿の間に石清水が湧出していて小池があり、鯉などが遊泳し神徳に浴している。明治19年11月8日に乙剱社を乙剱神社に改称した。」石川県神社庁HPより

拝殿前より神域を守護されるのは大正九年九月建立の加賀逆立ち狛犬狛犬さん一対。石工は、この加賀に多くの逆立ち狛犬を残した『福島伊三次』。ご亭主殿ご贔屓の石工さんです。

角を持つ吽形さん。口中に玉を含む阿形さんの黒い目、玉が嵌めこまれていたのか、単に光の加減なのか・・・

拝殿の縁より神域を守護されるのは、何故か真っ黒な狛犬さん一対。文久元年(1861)五月生まれなのでしっかり良いお年です(笑)。

角を持ち、ニヒルに口角を上げる吽形さん、楽しそうに笑う阿形さん。黒い体に真っ白な歯がとても印象的。

拝殿から奥へと延びる渡り廊下、その先に御本殿。どうやらそちらにも心惹かれる狛犬さんがいたそうですが・・・・後の祭り(^^;)

参拝を終えて石段を下る時、木立の間から溢れてきた光。時間的に何も不思議では無いのに、心が洗われるような清々しさに手を合わせ、境内を後にしました。

参拝日:2011年10月12日

 

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