車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール~其の二 in 愛知県稲沢市

2018年03月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

昨日に続いての稲沢市ご当地マンホール、その種類の多彩さにはビックリしましたが、さてすべてを網羅出来たのかどうか・・

旧暦正月13日に国府宮(こうのみや)で行われる「はだか祭り」が描かれたマンホール。

「メタウォーター下水道科学館あいち」マンホール拓本

国府宮駅前には、勇壮な「はだか祭り」が描かれた大きなタイル画が敷設されています。

中央に「Inazawa」の文字、左右に「旧市の木:黒松」下に「旧市の花:紅サザンカ」と上に「馬酔木」の花がデザインされています。

市章を中心に「旧市の木:黒松」と「旧市の花:紅サザンカ」が三対ずつ交互にデザインされています。

中央に大きく「旧市の花:紅サザンカ」を配し、周囲に「旧市の木:黒松」と市章がデザインされています。

市章を中心に松葉で区切った四方に「旧市の花:紅サザンカ」。周囲に「旧市の木:黒松」がデザインされています。

市章を中心に、大きく枝を広げた「旧市の木:黒松」がデザインされています。

市章を中心に中央に「旧市の花:紅サザンカ」を散らし、周囲に「木の葉」を配したデザイン。

同デザインの集落排水マンホール。合計八種類のデザインマンホールは、一自治体では最高だと思います。

旧平和町デザインのマンホール。自治体名がINAZAWAに変わっています。

昭和57年4月1日制定の市章は「稲沢の「い」を図案化したものです。円は、大きく抱く力と、円満、充実の意を表し、とがったかぎは、光明達成を暗示しています。この市章は、稲沢町当時の昭和27年、公募制定した町章を受け継いで使用しているものです。」公式HPより

仕切弁

防火水槽

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日&2018年3月23日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県稲沢市

2018年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

稲沢市(いなざわし)は愛知県の西部、濃尾平野のほぼ中央に位置し、かつては尾張国の政治・文化の中心地として国衙が置かれていました。江戸時代には東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場町としてにぎわい、また天下の奇祭として有名な「国府宮はだか祭」で知られます。植木・苗木の産地としても有名で、国府宮で開催される「稲沢植木まつり」には、県内外から多くの買い物客が訪れます。「市の木・松」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「自然の恵みと心の豊かさ 人が輝く文化創造都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により中島郡稲沢町、一治村・国府宮村・山形村・下津村・中島村・稲保村・大江村・大里村・千代田村・明治村が発足。

1906年、中島郡一治村・国府宮村・山形村・下津村・中島村の一部・稲保村の一部・大江村の一部と合併、新たに稲沢町が発足。

1955年、中島郡大里村、千代田村、明治村と合併、新たに稲沢町が発足。

1958年、中島郡稲沢町が市制を施行、稲沢市が発足。

2005年、中島郡平和町・祖父江町を編入、現在に至ります。

マンホールカードに採用されたマンホールには、市章と市制50周年記念事業で誕生したマスコットキャラクター「いなッピー」、周囲に種々の植木がデザインされています。

稲沢市役所内展示マンホール

稲沢市役所内展示マンホール

汚水マンホール

雨水マンホール

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示マンホール。

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示マンホール。子供たちが彩色したマンホール~Ⅰ~。

同上~Ⅱ~

「メタウォーター下水道科学館あいち」マンホール拓本

稲沢市市役所内のマスコットキャラクター『いなッピー』2種。頭は稲沢市特産の植木とアシタバ。黄色い体は祖父江のイチョウ。 はちまきにフンドシ姿なのは 「国府宮はだか祭」のいでたちで、稲沢の緑の精です。

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日&2018年3月23日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードが配布されました。稲沢市のマンホールカードは稲沢市の訪問と入れ違いの配布でちょっと悲しかった「メタウォーター下水道科学館あいち」で頂けます。

2011年に設置されたマンホールには「いなッピー」と「植木」、「市の花:さくら」「市の木:イチョウ」がデザインされています。

【稲沢市のご当地キャラクター「いなッピー」のデザイン蓋です。 いなッピーは頭が特産品の植木とアシタバでできており、体はイチョウ、はちまきとフンドシは天下の奇祭「国府宮はだか祭」の装いとなっています。 中央に大きく描いたいなッピーは、元気な稲沢市のイメージそのもの。 そのまわりを市の木「クロマツ」、市の花「キク」、市内のお祭りを彩る「さくら」、「あじさい」、「イチョウ」、「梅」で飾り稲沢らしさを強調しました。 このデザインのマンホール蓋はメタウォーター下水道科学館あいちに展示されていますので、是非お越しください】

訪問日:20218年3月23日

 

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愛西市内ぶらっと散歩 in 愛知県愛西市

2018年03月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛西市佐屋町宅地に、ご贔屓の芭蕉の句碑があるとの事。場所は「佐屋八幡社」とありましたが、境内なのか境外なのか今ひとつ判然としません(^^;)

さんざんウロウロしてやっと見つけた『荻原井泉水』筆の「水鶏塚」碑。でも句は刻まれていません。

再びウロウロ(笑)見つけました!!愛西市(旧佐屋町)指定文化財「水鶏塚(くいなづか)」

【 水鶏(くいな)鳴(なく)と  人乃云へ者(人のいえば)や  佐屋泊 】

由来記【元禄7年5月芭蕉翁が江戸から故郷伊賀の国へ帰る途中、佐屋御殿番役の山田庄左衛門氏の亭で泊まられた。そのあたりは非常に閑静な幽地で昼さえ藪のほとりで木の間がくれに水鶏が鳴いた。翁がこられたと聞いて遠方からも俳人集まり千載不易の高吟が続いた。そのときうたわれた初の句が「水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 はせを」である。翁逝って40年余後さきに坐を共にした人達により、翁がうたったこの現地でそのときうたった句を石にきざみこみこの碑がたてられた。ときに正に享保20年5月12日のことである。昭和35年大字佐屋故黒宮庸氏の御意志によってこの水鶏塚(土地共)は黒宮家から佐屋町へ寄贈された。】

無時に芭蕉さんの句碑も発見できました。何度も素通りしていた「八幡社」に改めて参拝。

愛西市須依町屋敷に鎮座される「佐屋八幡社」。御祭神は『応神天皇』

創建等は不詳、佐屋村の氏神として清須より勧請されたと伝えられています。

御本殿近く、左右より神域を守護される狛犬さん一対。阿形さんは口中に玉を含み、吽形さんはその名の通り、固く一文字に口を引き結びます。

境内の一角にあった碑、かすかに地蔵像らしき輪郭が見られるのですが、摩耗が進み過ぎて仔細は不明。

八幡社を後にして見かけた「佐屋代官所跡」碑。

碑文「徳川方がこの地から船出し、1615年「大坂夏の陣」で大勝した吉祥の地であったことから、1634年尾張初代藩主徳川義直は、佐屋街道に佐屋宿、佐屋湊、佐屋御殿を設け、1653年船番所を置いた。1695年奉行所が廃され、1781年所付代官所制実施の際、同地に佐屋代官所が置かれ、将軍上洛時に大役を果たした。」

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鵜戸川沿いの一画、「富岡神社」に残る「古木江(こきえ)城跡」

古木江城の鎮守社であったと伝えられる「富岡神社」

【古木江城は織田信長の弟、織田信興(信与)が対岸の長島一向宗に対して築いた城です。1570年(元亀元年)に尾張・伊勢長島一向一揆衆に包囲され、6日間は耐えたものの落城し、信興は自刃しました。この一件を機に信長の一向宗への憎悪はより強まり、門徒約2万人が焼き殺されたとされる1574年(天正2年)の長島焼き尽くしにつながります。現在、遺構はありませんが、城址にある富岡神社には城址碑が建てられています。】

鵜戸川の向こうに見える「道の駅・立田ふれあいの里」

「道の駅・立田ふれあいの里」で見かけた「縁結びの松」。傍らの碑には『加藤倉一』作とあります。良く分かりませんが・・きっと「御縁を結ぶスポット」的な存在かと(((((^_^;)

「縁結びの松」

愛知県愛西市森川町井桁西にある「道の駅・立田ふれあいの里」。県道125号佐屋多度線沿いに位置し、尾張地方では初、愛知県内では10番目の施設。2011年4月の愛知県蟹江・あま・清須・稲沢方面への車泊旅。また、2014年7月には津島市の「尾張津島天王祭」朝祭りを見る為に、車中泊で利用させていただきました。お土産に購入した現地特産のレンコン、偏食過ぎる私ですが大層美味しく頂きました。

車で旅をするものにとって、このような道の駅は本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました m(__)m

訪問日:2011年4月24日&2017年3月27日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧八開村(愛西市)

2018年03月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡八開村(はちかいむら)は愛知県西部に、海部郡の北西部に位置し、養老山系を背にした木曽川のデルタ地帯の一角に位置した村です。町域の約半分が田畑で緑豊かな町です。村名は、合併した「八輪村」と「開治村」からそれぞれ一字を取って付けられました。「村の木:槇」「村の花:ハス」を制定。

旧庁舎の一画に建立されていた「村の木 村の花制定記念碑」

明治22年(1889)、町村制の施行により海西郡開治村・八輪村・六ツ和村が発足。

1906年、開治村・八輪村・六ツ和村大字塩田が合併、海西郡八開村が発足。

1913年、海西郡と海東郡が合併、海部郡八開村となる。

2005年、海部郡佐屋町、佐織町、立田村、八開村が合併、愛西市となりました。

マンホールは農集排、真空共に、村章のある規格蓋のみです。

昭和52年制定の村章は「「八、カ、イ」を左右一対の飛鳥にデザイン化し、雄飛を表し、全体で農作物の若い芽をも表現しており、豊かな農村づくりを意味しています。円形は融和、協調、団結、平和を、左右への伸びと上への伸びは、限りなき躍進を象徴。」旧HPより

旧庁舎近く、玉垣の中の「砲弾」はおそらく、旧陸海軍に対して廃兵器の下付を申し出た時のものと思われます。 この存在を今の価値観でとやかく言うべきではないと・・私は思います。

旧八開村のあちこちには、泥を掘り起こした沢山のレンコン畑が広がっています。

愛西市の旧自治体マンホールはこの旧八開村で最後。八開支所内でお目にかかった『あいさいさん』。 

撮影日:2017年3月29日

 
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ご当地マンホール in 愛知県旧立田村(愛西市)

2018年03月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡立田村(たつたむら)は愛知県の西部に位置した村です。村域の西側を木曽川・長良川が流れ、川を境に三重県・岐阜県と接していました。「村の木:黒松」「村の花:アカハス」を制定。

全国有数のレンコン産地で「備中」「ロータスホワイト」「金澄」の3種が、露地栽培・ハウス栽培等で1年中を通し出荷されています。また花ハスの栽培も盛んで、開花時の初夏には「森川花はす田」で蓮園が開催されます。

明治22年(1889)、町村制の施行により海西郡早尾村・五会村・立和村・川治村・六ツ和村が発足。

1906年、海西郡早尾村、五会村、立和村、川治村、六ツ和村二老・葛木・戸倉地区が合併、海西郡立田村が発足。

1913年、海西郡と海東郡が合併、海部郡となる。

2005年、海部郡佐織町・佐屋町・八開村と合併、愛西市となりました。

農業集落排水マンホールには、「Tatsuta Village」の文字と「村の花:赤ハス」がデザインされています。

農集排点検口マンホール

農集排真空弁マンホール

森川花はす田のアカハス

昭和52年年2月1日制定の村章は「「立田村の「立」を鳥の羽ばたく姿に図案化し、円は内に平和と団結、外に雄飛発展することを表したもの」旧HPより

「海部南部水道企業団(給水区域:旧佐屋町・旧立田村・弥富市・飛島村・蟹江の一部)」空気弁。

真空下水区間弁:規格蓋

愛西市役所で頂いた下水処理施設のパンフレットより転載

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧佐織町(愛西市)

2018年03月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡佐織町(さおりちょう)は愛知県西部に位置し、町内の勝幡町(しょばたちょう)は、隣接する稲沢市とに跨る「勝幡城跡」の所在地として知られています。昭和54年には、櫓台とされる位置の3m地下から基石が発見されており、現:愛西市佐織支所に保管されています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により海東郡勝幡村、藤浪村、川淵村、草場村、諸古村が発足。

1906年、海東郡勝幡村、藤浪村、川淵村、草場村、諸古村が合併、海東郡佐織村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1939年、佐織村が町制を施行、海部郡佐織町となる。

2005年、海部郡佐屋町、立田村、八開村と合併し、愛西市となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:松」「町の花:菊」、「コミプラ(コミュニティ・プラント( 市町村による小規模な汚水処理施設)の略)」の文字がデザインされています。

昭和54年制定の町章は「四個の舟形は、織物(佐織縞)発祥地にちなみ、織機の「杼」を図案化。四学区の団結と融和並びに協調を外円で、また中のダイヤ形と佐の字は、佐織町の発展(横)と飛躍(縦)をそれぞれ象徴。」旧HPより

仕切弁

消火栓

量水器

空気弁「農水」

水準点(水準測量の際に標高の基準となる測量標の一つで永久標識)

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日
 
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ご当地マンホール in 愛知県旧佐屋町(愛西市)

2018年03月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡佐屋町(さやちょう)は愛知県の西南部に位置し、津島市・蟹江町・弥富町に隣接した町です。濃尾平野の一角にあり、広々とした沖積層からなるこの土地には善太川が流れ、また町内各地域には農業用水が多く見られます。合併後は愛西市の中心地として、庁舎が置かれています。旧庁舎は愛西市役所になった為、隣接する市立佐屋小学校校門前のモニュメント「愛に生きる」を。「町の木:アスナロ」「町の花:桔梗」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により海東郡佐依木村・八幡村・千秋村・大井村・神島田村、海西郡東市江村・市腋村・十四山村が発足。

1906年、海東郡佐依木村と八幡村が合併、海東郡佐屋村が発足。海東郡千秋村・神島田村・大井村が合併、永和村が発足。海西郡東市江村・市腋村の一部、十四山村の一部が合併、市江村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1955年、海部郡佐屋村と市江村西保・東保・西条・東条・本部田地区が合併、町制を施行し海部郡佐屋町となる。

1956年、海部郡佐屋町が、永和村大井・鰯江・大野・善太新田の一部を編入。

2005年、海部郡佐織町、立田村、八開村と合併、愛西市となりました。

マンホールには「人魚が住めるような水を目指して」をコンセプトとして左右に「人魚」。「町の花:桔梗」がデザインされています。

集落排水マンホール

真空下水道マンホール

昭和30年制定の町章は「毛利元就の教訓にある「三矢」を「佐屋」にたとえたものです。旧3村が三位一体となって佐屋町発展に一致協力するとともに、堅実安定、均等整備を意味し、人間性教育の指標として「知育」「徳育」「体育」の3大目標も表している。」旧HPより

防火貯水槽

愛西市役所で頂いた下水処理施設のパンフレットより転載

撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日

 
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ご当地マンホール in 愛知県愛西市

2018年03月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

愛西市(あいさいし)は愛知県西端に位置し、木曽川を挟んで岐阜県・三重県と隣接しています。隣接する津島市を北西からカタカナの「ヒ」の字の地形で囲み、それを境として市南部の大半は海抜ゼロメートル地帯となっています。2005年4月1日に、海部郡佐屋町・立田村・八開村・佐織町が合併し、県下32番目の市として誕生しました。「市の木:槇」「市の花:ハス」を制定。

市名は「愛」知県の「西」部に位置することから名付けられました。2014年には、神奈川県愛甲郡愛川町の呼びかけにより、全国の「愛」の付く自治体で構成される「市町村サミット:愛のまち交流」に参加。

キャッチフレーズは 「人々が和み、心豊かに暮らすまち」

訪問当寺、愛西市独自のデザインマンホールは無く、旧町村のデザインを用いており、市名、市章が変更されています。旧佐屋町のデザインで「人魚」と「町の花:桔梗」で3サイズ。

同じく旧佐織町デザインで、「町の花:菊」「町の木:松」。中央に愛西市章。3サイズ揃っています。

旧立田村農業集落排水用で「ハス」がデザインされた真空弁マンホール。

2005年2月10日制定の市章は「愛西市の頭文字である「あ」のローマ字「a」をモチーフに、濃尾平野の豊かな緑とすがすがしい空気、木曽川、長良川の恵まれた自然を表現。 人々が連帯し飛躍する市民の姿を思い、赤の太陽で地域の飛躍を表現。」公式HPより

仕切弁

真空下水点検口:汚水小型ハンドホール

愛西市PR大使『あいさいさん』は、愛西市の自然が生んだ「謎の生物」。おおらかでのんびりな反面、何事にもチャレンジ精神旺盛。野菜が大好きで、常に野菜の友達をポケットに入れています。

撮影日:2011年4月25日&2017年3月27~29日

愛西市役所で展示マンホールの有無に関してお伺いした折、下水道担当の方とマンホールに関して色々とお話をさせていただきました。 現時点で旧自治体の展示マンホールは、少なくとも佐屋町・立田村に存在している事を下水道パンフレットの写真から確認して頂きました。話の中で、他の自治体の展示マンホールの扱いに対し、とても興味を持って聞いて下さり、貴重な時間を過ごさせて頂きました。頂いたパンフレットを手に、いつか展示マンホールがどの支所にも展示される事をお願いして庁舎を後にしました。担当者の方・・その節には本当に有難うございました。
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庄野宿資料館 in 三重県鈴鹿市

2018年03月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

鈴鹿市庄野町「庄野宿資料館(旧小林家)」

「庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、主屋の一部を創建当時の姿に復元して、平成10年に開館しました。 庄野宿は東海道五十三次の四十五番目の宿として発展し、また歌川広重が描く「東海道五十三次」の風景版画の中の傑作といわれる「庄野の白雨」でもよく知られています。館内には、庄野宿の本陣・脇本陣文書、宿駅関係資料をはじめ、日本画壇で活躍された故小林彦三郎氏の絵画や文書の他、地域に残る民具、農具、日用品などを展示しています。」案内より

館内展示の古瓦・・随分と変わった形だけど何処に使われていたのだろう?。

定番の鬼瓦

柔らかな自然光が差し込む座敷。こうしてみ有ると、昔の家の造りは、建具を外すだけで何十畳もの大広間に変身できたというのがよくわかる。

庭から見る縁先

御隠居さん気分で庭を愛でながら、猫をかたわらにお茶を飲んでみたい(笑)

数分だけの街歩き(^^;)で見かけた、鈴鹿市庄野町に門を構える「妙法禅寺」の屋根の留め蓋。

飾り瓦の獅子二対

訪問日:2011年4月10日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 三重県鈴鹿市

2018年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・三重県

鈴鹿市(すずかし)は三重県の北部に位置し、東に伊勢湾、西に鈴鹿山脈と恵まれた自然環境の中にあります。江戸時代には東海道「石薬師宿」「庄野宿」を擁し、また白子は伊勢参宮街道の宿場町として栄えてきました。

紀州藩の保護を受け、型を彫る職人と染める職人の協同で、発展をしていったといわれる「伊勢型紙」。白子地区には現代に通用する「伊勢型紙」を用いた工房を何店も見る事が出来ます。「市の木:ケヤキ」「市の花:サツキ」を制定。

鈴鹿市稲生町には、世界的にも有名な日本有数のレーシングコースである「鈴鹿サーキット」があり、近年では日本のモータースポーツの聖地とも言われています。

キャッチフレーズは「さぁ、きっともっと鈴鹿。海あり、山あり、匠の技あり」

1889年(明治22年)、町村制の施行により、鈴鹿郡国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村・河芸郡白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が発足。河芸郡栄村・天名村・合川村が発足。

1942年、鈴鹿郡国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村・河芸郡白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が合併して鈴鹿市が発足。

1954年、河芸郡栄村・天名村・合川村。亀山市小田町・和泉町・西富田町・中富田町を編入。

1957年、鈴鹿郡三鈴村大字下大久保・岸田・山本・小社・小岐須・大久保を編入。

1957年、鈴鹿市小社町・小岐須町を鈴鹿郡鈴峰村に編入。鈴峰村大字深溝・三畑町・追分を編入。

1967年、鈴鹿郡鈴峰村を編入、現在に至っています。

マンホールには「鈴鹿山脈」「鈴鹿川から伊勢湾に注ぐ川の流れ」が絵画風にデザインされています。(カラー蓋は白子駅前に設置)

鈴鹿山脈

鈴鹿市上下水道局展示マンホール

「小川を泳ぐメダカ」がデザインされたマンホール。下水道の普及によって美しい川を取り戻そうとの願いが込められています。

昭和19年1月1日に制定された市章は「円満な市政を願い「鈴」の丸い形をデザイン化。」公式HPより

制水弁

鈴鹿市マスコットキャラクター『ベルディ』「「鈴鹿」の地名の由来を表現し、だれもが身近に感じ、だれからも親しまれ、愛されるイメージを表現する「鹿と鈴」をモチーフに制作されました。」公式HPより

撮影日:2017年12月14日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)のマンホールカードが配布されました。カードは「平日:鈴鹿市上下水道局」、「休日:鈴鹿市観光協会」で頂けます。

1990年に設置されたマンホールには「鈴鹿の峰々から湧き出た清水が川となって緑の野を流れ、白砂青松の伊勢湾まで注ぐ様を表しています。」 (下水道公社HPより

【自動車産業やモータースポーツのまちとして全国的にも知られている鈴鹿市は、三重県の北中部に位置し、海・山・川などの自然に恵まれています。 一次産業は、お茶やサツキに代表される農業、イワシ・コウナゴなどの漁業が昔から盛んで、まちは多くの魅力と個性にあふれています。 本市のマンホール蓋は、鈴鹿の峰々から湧き出た清水が川となって緑の野を流れ、白砂青松の伊勢湾に注ぐ様を描いたもの。 鈴鹿の美しい自然を守りたいという想いを込め、市の伝統的工芸品である伊勢型紙をイメージした温かみのある色合いに仕上げました。 鈴鹿の豊かな自然を感じながら、ご鑑賞ください。】

巨大マンホールカードと、頂いたマンホールカードを手に

白子駅前の座標軸マンホール。上下水道局の方がとても丁寧に設置場所を教えてくれました。

訪問日:2017年12月13日

 

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