三重郡朝日町(あさひちょう)は三重県北勢地域に位置し、三重県で一番面積の小さい自治体です。 町の北西側半分は丘陵地であり、更新世(洪積世)に形成された低い丘陵地で桑名市と。南東側半分は沖積になった平野の水田地帯で構成され四日市市と。東側は川越町に接し、主に住宅地は丘陵の裾の旧東海道沿いに立地します。町名は、日本書紀に『天武天皇』が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだとの故事から引用されました。「町の木:白梅」「町の花:ヒマワリ」「町の鳥:鶯」を制定。
キャッチフレーズは「住みよさの 魅力輝く歩みのまち」「萬古焼発祥の地」
町役場入口前には、伊勢国朝明郡小向村(現・朝日町)の庄屋の家に生まれ、江戸時代後期の国学者で天保の国学四大家の一人とされた「橘守部(たちばなもりべ)生誕之地」碑。
国学の研究を深める中で「古事記」よりも「日本書紀」を重んじ、神話の伝説的な部分と史実の部分との区分の必要性を説いた人物として知られています。碑は『佐佐木信綱』の揮毫により昭和27年に建立されました。
明治22年(1889)、朝明郡朝日村が発足。
1896年、朝日村の所属郡が三重郡に変更、三重郡朝日村となる。
1954年、朝日村が町制を施行、三重郡朝日町となりました。
マンホールには「町の木:白梅」と町章がデザインされています。
昭和39年年7月24日制定の町章は「朝日の「ア」を三つ重ね合わせ「アサ」を表し、外円は. 太陽を図案化したものです。」公式HPより
仕切弁
右から左に文字が書かれた「制水弁」
役場近くに建つ「国登録有形文化財:朝日町資料館」。大正5年(1916)に旧朝日村役場として建てられ、昭和39年(1964)まで使用。その後公民館として活用され、昭和53年からは町内の民俗資料を展示する資料館として活用されています。
撮影日:2011年4月9日&2017年3月26日