車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

多度大社~Ⅳ~ in 三重県桑名市多度町

2018年03月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

「歴代の桑名藩主により、手厚い保護のもと今日まで連綿と継承されてきた「多度大社」の御例祭。なかでも「上げ馬神事」は馬の状況を見て、その年の豊凶を占ったといいます。上げ馬は本来は神に良馬を献ずるものでしたが、後世変化して土壁を駆け上がる形になりました。信仰的な競技で、氏子各村から神馬を出し、競わせて急峻な坂を上がらせるのです。騎手を勤めるのは各字の少年。人馬一体となって約2メートルの土壁を駆け上がり、その数や順番によって、その年の豊凶を占首尾よく上がることが豊作の印とされてきました。」

画像左手に見える建物は「多度祭御殿」と呼ばれるもので、歴代の桑名藩主が上げ馬神事を拝観された場所です。

坂の手前に一際高く聳える「御神木・楠」。上げ馬神事の前には、空馬による「楠周り」と呼ばれる仕儀が行なわれます。

境内左手に築かれた「上げ坂」。多度祭の上げ坂は5月2日に新たに築かれ、5月4日に上げ坂が成功しやすいように築きなおされます。

もう少し近づいてみると、坂の上に約二メートルほどの土壁がたちはだかっているのが分ります、上げ馬は、この坂を駆け上るのですが・・・・最近では動物愛護の観点からの苦言などもあると耳にします。私には、そのことに対して何かを言う立場も権利もなく、ゆえに賛否のいずれも選べません。

下から見上げる「上げ坂」よりも、上から見下ろす「上げ坂」の方に、より足がすくみます。馬も、騎手もどんなに決死の思いでこの坂に挑むのか。色々と異論が有る事も承知で・・これは神と人が一体になって挑む神事なのだと・・結ぶことしかできません。

境内を後にして右に進むと神橋があり、さらにその先に朱塗りの鳥居が見えてきます。

「多度稲荷神社」。案内には「元治元年(1864)、多度の庄屋が伏見稲荷大社に参拝し、七日七夜の行を修め、御分霊を拝戴して現在のところにお祀りいたしました」と記されています。ちなみに多度大社とは無縁の神社でした(^^;)

稲荷社の左手奥に門を構える真言宗寺院「多度山:法雲寺」。伊勢西国三十三観音霊場第三十三番札所。『千手観音菩薩』を本尊とし「多度観音」と親しまれます。

縁起「天平宝宇7年(763)多度大社の東、鷲の倉の地に満願禅師が道場を開き、丈六の仏像を安置して礼拝、修行をしていました。ある夜、多度大神の神託を受けて、堂塔の建立を発願しこの地に堂を建立。神像を祀って多度大菩薩と号していました。」歴史を紐解き詳細にとなれば長くなりすぎる為、あとは概略で。

「その後信長軍の軍勢により、多度大社共々堂塔の全てを焼失。江戸時代に入り本多忠勝による多度神社復興を受け、承応2年(1653)住僧良心法師による大修理の後、多度大社の別当「宝雲寺」を再興。明治の神仏分離令を受け法雲寺は廃寺となり、御手洗川、落葉川の畔に観音堂を建て、本尊十一面観世音と千手観世音を併せて祀っていたが集中豪雨により観音堂は流失。翌年、小堂を再建。昭和38年に観音堂を改築、今に至っている。」

南北朝時代前後の作と伝えられる「十一面観音菩薩立像(桑名市指定文化財)」。

御本尊「千手観世音菩薩立像(桑名市指定文化財)

左の碑は神仏習合を広めたとされる『満願禅師碑』。昭和五年(1930)八月の碑陰。もう一つは『華山翁・瘞遺物碑』「享和癸亥(1803年)」の碑陰が残されています。

観音堂石段の傍らに建立された「鱗魚供養之碑」。文字通り魚類の供養の為に建てられた碑です。現世の万物全てを供養する風習は、日本独自の生命観・自然観を示すものとして心嬉しく感じます。

「平野翁頌德碑」。昭和七年(1932)三月の建立。

「多度観音」を辞し道沿いに暫く進むと「宮川 清めの池」と記された案内板が見えてきました。

「清らかな玉川の伏流水を利用して、宝暦年間には既にこの宮川の地に存在し、古くは垢離・掻池(みそぎ池)と称し、多度大社の参拝者は、ここで手を洗い、口をすすぎ身を清めて一の鳥居より神域に入ったと言われています。現在でも五月の多度大社の祭礼には、この池の水で御旅所行列の途中、各御厨(奉仕地区)の祭馬にそれぞれ水を飼い足を清める習わしがあります。」多度大社社務所案内より

もと来た道を引き返して駐車場へ、「丸繁」さんでご亭主殿リクエストの「クリーム大福」を購入したら、二度に渡った多度大社、および周辺社寺の参拝は終了です。

立ち去り際に見つけた「道中伊勢音頭」の幟。「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」。多度の御祭神『天津彦根命』が『天照大神』の御子神である事、また、多度大社の立地が伊勢参詣の為の街道沿いにある事から、このように詠われていたといいます。

参拝日:2011年4月9日&2017年3月28日
 
 
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