愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原に門を構える「善光寺東海別院」、正式には「双蓮山・善光寺」と称します。信州善光寺をはじめとする各地の善光寺との区別のため「祖父江善光寺」・「尾張善光寺」とも呼ばれます。
縁起に【天正十年(1582)織田信長・信雄によって善光寺ご本尊如来さまが岐阜より尾張甚目寺へ御遷座の途中、祖父江付近に立ち寄られたとあり、その場所に明治四十二年・四十三年と蓮田であった境内地に1本の茎から二つの花が咲くという奇瑞を縁として、開基旭住上人が信州善光寺本坊大勧進より善光寺如来さまを勧請して善光寺東海別院を創立】
本堂は善光寺特有の撞木(しゅもく)造りで、間口14間・奥行20間の総欅造り。 信州善光寺の本堂の約3分の2の大きさだとか、という事は、長野の善光寺さんはこの建物より更に一回り大きいんですよね。いつかは果したい善光寺参り。その時は牛に曳かれてではなく、ご亭主殿に手を曳かれて(笑)
それから二年と五か月後の2013年9月22日、私たちは仲良く揃って「信州信濃の善光寺参り」を果たしました。そのお話は、いつかまた。
それはさて置き、観光バスの到着と共に「お戒壇巡り」のツアー客で一気に境内は人で溢れ、本堂周辺はかなりの混雑。人混みが大の苦手なご亭主殿、速攻で本堂から離れて「不動堂」へと移動。
こちらでは時々に応じて厄除けの祈祷なども行われるとか。堂内には「病気平癒」「無病息災」と墨書された蝋燭が用意されています。
戒壇巡りが終わるまでの時間を利用して境内を・・と思ったのですが、次の予定も押しているし、とりあえずは目についた処々にお参りをすることに。「忠魂碑」の前で・・尊い命の購いによって得られた今の日々に、心から感謝を。
何とも不思議な印象の「寝釈迦様」・・・なんだろう? これまで拝観したどの涅槃仏とも一線を画すお釈迦様。限りなくオリエント風味(笑)の原因は、多分とってもスマートで仏様らしからぬお顔のせいかも知れません。
「寄り添って おぼこ夫婦 船旅立ちへ」、いつか私たちもこうして彼岸に行ければと願い・・
「「おぼこさん」は信者さんがお墓の代わりや、水子さんの供養の為にご安置されたものです。参道の脇にたたずみ、参拝客の皆さんを暖かく出迎えます。」公式HPより
参拝日:2011年4月25日