車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

出雲大社(いずもおおやしろ)~其の三 in 島根県出雲市大社町 

2018年05月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

三日目となりました「出雲の大社」、今日は境内・外の摂社末社などの紹介です。まずは御本殿西面に向かい合って鎮座される「素鵞社(そがのやしろ)」。御祭神は大国主命の親神様『素戔嗚尊』。大国主に国づくりの大任を授けられました。

向かって右手に檜皮葺:方形造り越屋根付きの「文庫(ふみぐら」。大社に関する古文書などが収蔵されていた建物と思われます。

出雲大社に参拝に行きながら、意外と見過ごしてしまう人が多い「御饌井(みけい)」。 拝殿の西隣にある「御饌井」は神への供物に用いる聖なる井戸で、厳重に囲いがされ神職以外は立ち入れません。

旧暦10月は「神無月」と呼ばれ、日本全国から八百万の神々が出雲に集まって神議を行ないます。その為、出雲では旧暦の10月は「神在月」と呼ばれ、神々の宿所となる社が東西に用意されています。
「摂社:十九社(じゅうくしゃ)」。御祭神は『八百萬神』。10月以外は全国各地の神々の遙拝所となります。画像「西・十九社」は延享元年(1744)の造営。「東・十九社」と共に、国重要文化財の指定です。

神楽殿の裏手に鎮座される「国造家鎮守社」。「稲荷社・天夷鳥命社・天穂日命社」が祀られます。 ご亭主殿、一応自主規制で顔は隠していますが、実はこの時、物凄~~~~~~い満面の笑み。

理由はこの「稲荷社」を守護されている神狐さん。ぱっと見たら神牛みたいですが、狐です! 阿の狐は巻物を加え、吽は固く口を結び、長い尾を体に引き寄せて優雅に箱座り。今まで色んな神狐さんを見てきましたが、これは本当に初めて。そりゃぁ、顔もにやけます(笑)

神狐と言えば「境外摂社:都稲荷社(みやこのいなりしゃ)」。御祭神は『宇迦之御霊神、佐田彦神(さたひこのかみ)、大宮能売神、田中神、四神(しのかみ)』。由緒「江戸時代末期、出雲大社76代宮司の弟・千家俊信(としざね)が伏見稲荷大社より勧請、その由縁から都稲荷神社として創建。」

朱の鳥居の左右より神域を守護される神狐さんが・・・まぁ、何ともお可愛らしい事と言ったら。つけて貰った赤い前垂れが大きすぎて、足元まで引き摺ってるし・・。

境内の内より神域を守護される神狐さん一対。何と、こちらは阿吽ともに「お手」(^^;)。 全国に名を馳せる「出雲大社」の摂社。さすがに奉納される神獣のお姿も千変万化。

「都稲荷社」の前に建つ「出雲大社教祖霊社」。仏教でいうところのお寺さんと同じ役割を担います。

2000~2001年に八足門前より「宇豆柱(うずばしら)」とともに発掘された、「古代神殿心御柱」のレプリカ。直系1.35mの杉を3本束ねて1本にし、御本殿の中心を支えていたと推定されています。

出雲大社境内の八足門前より発掘された「宇豆柱(うずばしら)」の写真。

「道の駅:大社ご縁広場」館内に展示されていた、古代の出雲大社の模型・制作されたのは出雲工業高校の学生さんだそうです。

明日は出雲大社境内に建立された碑・像などを紹介します。

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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出雲大社(いずもおおやしろ)~其の二 in 島根県出雲市大社町  

2018年05月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

縁結びの神・福の神として名高い出雲大社(いづもおおやしろ)」。今回はちょっとした「成程情報」を取り混ぜての紹介。まずは意外と知らない人が多い出雲大社の4つの鳥居。車で参拝するとき最初に潜るのが、神門通りの鉄筋コンクリート製の白い大鳥居。高さは出雲大社の本殿より1m低い23m。鳥居の額の大きさは畳6畳分で、我が家の寝室並み(^^;)

続いて、勢溜(せいだまり)の木製鳥居。(勢溜・・人の勢いが溜まる所)。 個人も団体も含めて、参拝者の多くの方たちがこの鳥居の中央で記念写真を撮っており、誰もいない瞬間を捉えるのは早朝か夕方以降(笑)ここから本殿までは約900mです。

昭和60年に史跡に指定された「出雲大社参道の松並木」。出雲大社の参道は、三の鳥居から「祓端(はらえのはし)」までずっと下りになっており「下り参道」と呼ばれます。これは全国的にも珍しく・・この参道に関してはさまざまな説があり、調べれば調べる程深みにはまって抜け出せなくなり途中で止めました(-_-;)

「下り参道」の右手に「祓社(はらいのやしろ)」が鎮座。参拝者は、まずこの社で知らぬ間に身についてしまった日々の汚れを祓い清めていただきます。

「祓端(はらえのはし)」を渡り松の参道を進むと荒垣正門に。

拝殿前に立つ銅製の明神鳥居は、寛文六年(1666)に戦国武将として名高い『毛利輝元』の孫『毛利綱広』によって寄進。銅製の鳥居としては日本最古のもので、国重要文化財の指定。

鳥居の先にはパンフレットや観光案内ですっかりお馴染みの美しい拝殿・・出雲大社での拝礼は通常と異なり、二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。拝礼の際には両手は体に沿って真っ直ぐ。たまに両肘を張ってお腹を押さえるような姿勢の人(特に女性に多い)を見かけますが、かなりみっともないです。

公式HPによれば「昭和28年5月、荒垣内にあった古い拝殿・鑽火(さんか)殿・庁舎が不慮の火で焼亡。高松宮宣仁親王を総裁に、全国の崇敬者の浄財により、昭和34年に総工費1億1千万円をかけ、戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿を竣功。設計は『福山敏男博士』、大社造と切妻造の折衷した様式。銅版葺き、木曾檜材の木造建築で、建坪:約147坪、高さ12.9m。」

拝殿に掛けられた長さ6.5m、重さ1tの注連縄。出雲大社では古来より神様に向かって左方を上位、右方を下位としています。その為、一般的な神社の注連縄と異なり、向かって左から始め、右を終わりにします。

拝殿の奥に位置する桧皮葺切妻造の「八足門(やつあしもん)」。寛文七年(1667)頃の創建と伝えられており、重要文化財の指定。神幕には「二重亀甲剣花角」の御神紋。

拝殿西側には昭和56年(1978)に造営された神楽殿があり、御祈祷や祭事行事などが執り行われます。撮影不可の為紹介できませんが、正面破風の装飾にステンドグラスが使われており、一見の価値有りです。

神楽殿前庭には高さ47mの国旗掲揚台があり、畳75枚分という日本国内で最大の日章旗が掲げられています。縦8.7メートル×横13.6メートル、重さは約50kg、あまりにも桁違いだと数字を見てもピンときません(^^;)

出雲大社、明日は境内・境外のお社を中心に紹介します。

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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出雲大社(いずもおおやしろ)~其の一 in 島根県出雲市大社町  

2018年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大社町杵築東に鎮座される、出雲国一宮「出雲大社(いずもおおやしろ)」。正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」と称し、縁結びの神として全国的に知られています。

御祭神は『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』。実に多くの御名をもたれ、『国作大己貴(くにつくりおほなむち)』『大穴牟遅神』『八千矛神』『大物主神』『杵築大神』など、他に24もの別名で称される事もあります。

古事記に【大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造って頂けるならば、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。】

日本書紀では「高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。」とし、また出雲国風土記:楯縫郡では「神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の宮として造れ」と述べた。」。出雲大社の社伝に「垂仁天皇の御代に第一回、斉明天皇五年(659)に第二回の造営とされる。」

大社では、約60年に一度、本殿の建て替えに際して神体が仮殿に遷御される「遷宮」があります。 最初に私たちが参拝をしたのは2011年。このとき既に「平成の大遷宮」は進行していました。

神が鎮まられる座を新しくする事で、新たな力を呼び込み、そこに座す神の御威光に力を与える。 実際の理由はどうであれ、そこには永遠の再生、永遠のご神威を祈願する想いが籠められています。

「本殿遷座祭」は二年後の五月。60年に一度の「遷宮」に立ち会える機会など、もう二度とありません。 可能であるならば・・・神のご神威がいや増す「本殿遷座祭」の時期に参拝しよう!!

私たちには珍しく長い潜伏期間を置き(笑)、二年後の五月、拝殿の前に立つ事ができました。 参拝者の姿もほとんど見えない早朝、拝殿の後方には新しく再生されたご本殿の千木が見えています。

2011年の参拝では見ることが出来なかった御本殿の姿。まさに国の宝に相応しい佇まいに思わずこみ上げるこの気持ちは・・何と表現すればよいのでしょう。玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されて座す御本殿は正しく神の住まい。御神座に向き合い参拝させて頂く幸せを噛み締めています。

見上げる先、凛として気高く美しいその姿に、身内を走る泣きたいような、身震いするような感動。ああ・・!そこにはまさしく神がおわし給うのです。

そう言えば、長い旅の途中で予期せぬ雨に祟られるというのはよくある事。なのに、出雲大社への参拝はいつも青空の下。初夏の日差しが心地よく降り注ぐ中を玉砂利を踏みしめて参拝させて頂きました。

明日から暫くは、出雲大社の境内、隅から隅まで紹介してゆきます。

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧大社町(出雲市)

2018年05月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧簸川郡大社町(たいしゃまち)は島根県のほぼ西端、日本海に面した町です。町名の由来でもあり、数千年の歴史を持つ「出雲大社」の鳥居前町として栄えてきました。

また、出雲大社の親神様とされる「日御碕神社」や、島根半島西端に建つ白亜の「日御碕灯台」などを有し、多くの観光客が訪れる事でも知られています。

日御碕にある「経(ふみ)島」は、「ウミネコの繁殖地」として国の天然記念物に指定されています。「町の木:クスノキ」「町の花:菊」「町の鳥:ウミネコ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により簸川郡杵築町・杵築村・荒木村・日御碕村・鵜鷺村・遙堪村が発足。

1925年、簸川郡杵築町・杵築村が合併、簸川郡大社町が発足。

1951年、簸川郡大社町が荒木村、日御碕村、鵜鷺村、遙堪村と合併、改めて大社町が発足。

2005年、旧出雲市、平田市・簸川郡湖陵町・多伎町・佐田町と合併、出雲市大社町となりました。(読みが「たいしゃちょう」に変更)

マンホールには柱状節理の「日御碕」を背景に、「日御碕灯台」「町の鳥:ウミネコ」がデザインされています。

「世界の歴史的灯台百選」の一つに選ばれた、美しい石造り白亜の「日御碕灯台」。そして、日御碕の「経島」を繁殖地とする「ウミネコ」。海面近くを飛翔する姿はとても優雅です。

昭和36年9月26日制定の町章は「頭文字の「大」を表したもの。」

撮影日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 

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雲根(くもね)神社 in 島根県出雲市大津町

2018年05月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大津町に鎮座される「雲根(くもね)神社」。『延喜式神名帳』にある「神産魂命子午日命神社(出雲国・神門郡)」に比定される式内社の論社。御祭神は『素盞鳴尊・稲田姫命』

【始めは「稲田姫社」と称し、『稲田姫命』一神を祀っていたが、いつの頃からかこの社近くに、八岐大蛇の荒魂を鎮め、『素盞鳴尊』の神霊を祀る「石塚社」あるいは「石神社」という社ができた。また社名が元でこの地一帯を石塚郷とも石塚村とも言ったが、近世の始めに当社に合祀し、石塚の石の異名である「雲根」をもって社号とした。】境内案内板

鳥居前左右より神域を守護されるのは「昭和八年(1933)十月吉日」建立の出雲丹後狛犬さん一対。 

大きな毬を手に、阿形さん足の間に収まる子狛の何とも可愛いこと。

参道正面に拝殿

拝殿近くより神域を守護されるのは「文政十一年(1828)」建立、来待石の出雲丹後狛犬さん一対。その材質ゆえに細かい細工を可能にした来待石は、また相反して、長い年月に耐えられない面も併せ持ちます。損傷が酷い為同方向の画像。

御本殿向かって左に鎮座される境内社「稲荷社」

社殿内の奉納神狐

社殿近くより神域を守護されるのは、まだあどけなさの残る神狐さん一対。

社殿玉垣の外より神域を守護される神狐さん一対。先ほどの神狐さんから見るとかなり大人の雰囲気。

「境内社・石神社」。「石塚」とも呼ばれており、社は無く『八岐大蛇荒魂』を祀ります。「昔、退治された大蛇の頭がここへ流れ着いたので、村人が哀れんでこれを祀り、石で塚を作りました。ところが、塚から夜な夜な怪火がでて、村人は安心して眠れません。そこで素盞鳴尊の神霊を祀ったところぴたりと止まった」素盞鳴尊さん、最強(^.^)

境内社「石神郷総荒神」。社殿は無く狛犬に守護される御神木のみ。

境内社「欠所荒神碑」「弥八荒神」「昭和荒神社」

「境内社・速玉社」・「社日祠」

本殿裏に「旅伏(たぶし)大神」

参拝日:2011年5月17日

 

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大山(おおやま)神社 in 島根県出雲市小山町

2018年05月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市小山町に鎮座される「大山(おおやま)神社」。「延喜式神名帳」に「大山神社 出雲国 神門郡鎮座」と記される式内社。御祭神は『大山津見命(おおやまつみのみこと)』

「創祀年代不詳。由緒が明らかでないのは、源頼朝の八幡信仰により、出雲周辺の住民は、すべて八幡宮の氏子となったため、出雲風土記記載の、比奈社、大山社、阿利社等の祭祀が断絶した為とする。棟札で最古のものは寶永五年(1708)で、寶暦四年(1754)の「神門郡萬指出帳」によると「三尺に四尺板葺、 境内東西七間、南北五間四尺」とあるやうな小祠であつた と見える。明治五年村社に列せられた。」

確かに、この出雲において『大国主命』を手助けした神を祀るには、些か殺風景な境内。 とはいえ、時の権力者に逆らうよりも右に倣えの方が庶民の生き方としては正しいかも・・です。

拝殿近くより神域を守護されるのは出雲丹後の狛犬さん一対。台座には「石工・今市三京 佐藤石材店 昭和二年十一月建立」の刻。阿形さんは、さも愛おしそうに子狛を抱いてます。

境内の一角に建立されていた「土貢(とこう)神」碑。「土貢」とは、その土地からの貢ぎ物という意味で、いわゆる租税の事。そこに神の名がつくと???貢物の神様??・・・よく分かりません。

そのよく分からない神域を健気に守護されるのは、相方をなくし一方だけになった狛犬さん親子。 多分先代さんだろうと思われますが、こうして大切にされているのを見るのは狛犬ファンにとっては嬉しい事です。

参拝日:2011年5月17日

 

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大土(おおつち)神社 in 島根県出雲市平野町

2018年05月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市平野町に鎮座される「大土(おおつち)神社」。御祭神は『素盞嗚尊』『誉田別尊』を配祀。

【日御碕神社の上ノ宮の御分霊を勧請創立、寛永10年の斐伊川洪水に古記流失のため詳細は不詳】島根県神社庁HPより

拝殿に掛けられた大注連縄。この太い注連縄を見ると出雲の地に座すお社にお参りしていると実感します(^^♪ 

鳥居の内より神域を守護されるのは、大正十二年(1923)十一月十日建立の出雲構え狛犬さん一対。 全体的に大振りな顔立ち、すくい上げるように参拝者を見上げる様子が・・凄くフレンドリーで微笑ましい。

境内社「高浜美魂神社」

境内社「大年神社」。御祭神は『大年神』。『素盞嗚尊』と『神大市比売』の御子神で、農耕生産を司ります。

 

境内社「天満宮」。御祭神は『菅原道真公』

境内社「愛宕神社」。御祭神は『火伏の神』。

境内の一画に据えられていた「磐座」?それとも何かの記念碑?。少なくとも注連縄が掛けられている限り、神社にゆかりの深い「何か」なのは確か。

「大土神社社殿改造正還宮記念碑 大正十二年十一月十日」。「粟津稲生神社」と同時期に立てられた碑のようです。

何らかの祈祷・祈願・祭祀の為と思われる「幣帛(へいはく)」。仔細は不明。

参拝日:2011年5月17日

 

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粟津稲生(あわずいなり)神社 in 島根県出雲市平野町

2018年05月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市平野町に鎮座される「粟津稲生(あわずいなり)神社」。御祭神は『倉稻魂神(うかのみたまのかみ)・稚産霊神(わくむすびのかみ)・有気持神(うけもちのかみ)』。
一般的には「稲荷神社」と表記されますが、こちらは全国でも20数社のみに見られる「稲生」の字が当てられています。

一畑電車・高浜駅と遙堪駅の間にあり、朱塗りの鳥居20基が続く参道を・・・何と!線路が横切っています!?(゚〇゚;)

由緒は不詳「京都の「伏見稲荷神社」の分社として勧請・創立と伝わるが、古記の流失により年代は定かではない。現存の記録では貞享4年(1687)の文書に《八幡宮(大土神社)の末社 粟津村に若宮の神社御座候》とあるのが最も古く、宝暦9年に「稲生大明神社 旧号若宮社」の記録がある。」

出雲の神社に来たことを実感させてくれる極太の注連縄。

鳥居と拝殿の間にあって神域を守護されるのは、穏やかに年を重ねた風格の素敵な神狐さん一対。 体のあちこちに剥落は見られますが、本当に優しい表情。

【現在のご本殿は文政三年の造営に成るもので、春日作変態。小社殿ではあるが総欅材の優れた建築である。平成元年の遷宮を機に、従来の杮葺を銅版葺きに改めた】 境内案内より

拝殿左右より神域を守護されるのは、時代を経たように見えますが、実はまだお若い出雲丹後型の狛犬さん一対。 狛犬さんが置かれていた場所の足場が悪く、同じ方向の画像(^^;)

境内の一隅に奉納された沢山の神狐たち。画像にはありませんが、左右の羽目板の段にも、小さいお狐様が隙間なく奉納さられています。

「大正十二年十一月十日 遷宮記念碑」。境内一角に建立されていた「社日碑」。

境内入り口の玉垣に刻まれた奉納者名の「一畑電鉄会社」。参拝を終えて帰りかけたとき、後ろで踏み切りの警報が鳴り始めました。

こんな珍しい状況の電車が見られる!!こんな幸運に巡りあえるなんて、早速の「粟津稲生神社」の御利益(〃∇〃) 急いで踏み切りを超えて反対側に走り、二人がかりでシャッターチャンスを狙ったのですが・・ 狙いすぎたご亭主殿は、電車のスピードに間に合わず(笑)、撮れたのはこの一枚だけ。

去ってゆく一畑電車を見送る二人(笑)

参拝日:2011年5月17日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県出雲市&旧出雲市

2018年05月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

出雲市(いずもし)は島根県の中東部に位置する市です。神話の国出雲として全国に知られており、出雲大社・日御碕神社、西谷墳墓群・荒神谷遺蹟など、多くの歴史文化遺産を有し、古代史文化のシンボル的都市として知られています。2005年3月22日に旧出雲市・平田市・簸川郡大社町・湖陵町・多伎町・佐田町が新設合併して発足。さらに2011年10月1日に斐川町を編入し現在に至っています。

出雲平野を中心として、北部は出雲神話でも知られる島根半島と日本海、南部は中国山地に接し、市の東部には斐伊川が流れて、宍道湖に注ぎ、海・山・川・湖・平野・峡谷・温泉と多彩な地勢を有しています。「市の木:黒松」「市の花:菊」「四季の花:桜・ツツジ、紫陽花、コスモス、椿」を制定。

キャッチフレーズは「西部日本海域の中心都市 神話の夢舞台出雲 世界を結ぶご縁都市」

マンホールは旧出雲市のデザインで、市章を取り囲むように「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」が描かれています。

八つに分かれた「八岐大蛇」と、四隅に「市章」が描かれた量水器。

2005年3月22日制定の市章は、【頭文字の「出」を図案化したデザインです。大空にはばたく鳥や、大きく手をひろげる市民をイメージし、. 全体として飛躍発展する出雲市を表しています。】公式HPより

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明治22年(1889)、町村制の施行により神門郡今市町・古志村・高松村・高浜村・四纏村・川跡村・大津村・塩冶村・鳶巣村が発足。

1896年、神門郡が簸川郡に変更。

1941年、簸川郡今市町・古志村・高松村・高浜村・四纏村・川跡村・大津村・塩冶村・鳶巣村が合併、簸川郡出雲町が発足。

1941年、簸川郡出雲町が市制を施行、出雲市が発足。

1956年、簸川郡朝山村、上津村、稗原村、神西村、神門村、長浜村を編入。

1970年、簸川郡大社町大字入南・遥堪の各一部、飯石郡三刀屋町大字高窪の一部を編入。

1971年、飯石郡三刀屋町大字高窪の一部を編入。

1991年、簸川郡湖陵町大字三部の一部を編入。同時に出雲市西神西町の一部を湖陵町に編入。

1994年、湖陵町大字三部の一部を編入。同時に出雲市西神西町の一部を湖陵町に編入。

マンホールには、市章を取り囲む「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」がデザインされています。

昭和22年11月3日制定の市章は「頭文字の「出」を図案化したものです。」 

出雲市トキ分散飼育センターのマスコット『ミコトッキー』。何故、出雲にトキが・・(笑) 将来、出雲の野外でトキが生息できるようになることを目指し、様々な取り組みがなされているそうです。「ニッポニアニッポン」の学名を持つ美しい鳥が日本中の空を舞う時を願って!

撮影日:2013年5月24日&2015年4月21日

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マンホールカード、頂きました。

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「出雲市」のマンホールカードは、「日御碕ビジターセンター」でいただけます。

1985年に設置開始されたマンホールには「出雲日御碕灯台」と「経島のウミネコ」がデザインされています。

「石造り灯台としては日本一の高さを誇る「出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい)」と「経島(ふみしま)のウミネコ」がデザインされたマンホール蓋です。 紺碧の海と空に映える白亜の灯台は、歴史や文化的な価値の高さから「世界の歴史的灯台百選」にも選ばれ、「恋する灯台」にも認定されました。 灯台内部のらせん階段を上った展望台からは、日本海と島根半島の全景が一望でき、その眺めはまさに絶景です。 また、お経の巻物を積み重ねたように見えることから名づけられた経島は、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されており、数千羽のウミネコが飛び交う姿は迫力があります。」

 

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掛戸松島と潮止め水門 in 島根県大田市久手町

2018年05月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

大田市久手町波根西、日本海に面した海岸沿いに、絶壁と奇岩からなる「掛戸松島」。【作られたのは鎌倉時代。地元の郷士『有馬次郎左衛門』と二代目『次郎座衣文』が千数百人の夫役を指揮し、7ヶ年余の歳月を費やして開拓。 当時、波根湖は増水期になると水が氾濫して住民は難渋しており、度々の災害に遂に山岳を開掘して湖水の水を日本海へ疎水する事を遂行したのである。】現地案内より

文章では何となくすごいんだ・・程度の感覚でしたが、眼前の絶壁に思わず絶句。約50㍍、高さは約30㍍の切り通し・・人の力で山を切り削り、人の手で作られた水路・・・山肌には確かに人力で削られた痕跡が見て取れます。

私たちが立っている場所と、向こうに見る山がかって一つの山であった・・想像するのさえ難しいのに、それをここまで切り離した・・それも人の力で!

切り通しの間には、日本海の荒波に洗われて塔状に屹立する奇岩「松島」。岩の上には「松島」の由来となった一本の青松が潮風を受けて屹立しています。【明治45年、東宮殿下であられた『大正天皇』が、山陰行啓の折にしばし御高覧されたこと。また昭和6年には、高松村出身の日本画家『竹田霞村』が「掛戸松島」を描き、広く世に紹介して以来「石東(せきとう)の名所」とよばれている。】現地看板より。

「掛戸松島」の手前には山陰本線が走っており、それと並行するように海側に石のアーチが見えます。

大正7年(1918)に築造され、近代土木遺産に指定された石造りの「潮止め水門」。 通常はレンガで築造されるのですが、これは石で組まれており、水門としては非常に珍しいとか。昭和25年に廃止されましたが、それでも残ったアーチ水門の全幅は約40mもあります。

屈みこんで見とれていると電車が近づく気配!・・・こんなチャンスは滅多にない(^^;) とはいえ、足場の良くない海岸では自在に走ることも出来ず、見上げるアングルが精一杯。でも!!何とか電車の姿を捉えられました。

切り離された山の全景を見る為には、道路を渡ってここまで離れてしまわないと、見る事が出来ません。それも全容ではなく切り離された両側だけ・・。これを削って波根湖の水を日本海に流そう・・その発想の大胆さと、それを人力のみで実際にやり遂げた凄さ。また一人、偉大な先駆者の存在を知る事が出来ました。

訪問日:2013年5月23日

 

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