車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧見付学校 in 静岡県磐田市

2019年03月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

磐田市見付にある白亜の5階建ての洋館風建築・・・「黎明期の時代に建築された日本最古の小学校。」このフレーズだけでもう心を鷲づかみにされた私。時間にせかされないようにと、朝一で訪問を果たしました。

「磐田市のシンボルともいわれる建造物、「旧見付学校」は明治5年(1872)の学制発布を受け、翌年8月に宣光寺、省光寺などを仮校舎として開校しました。新築工事は、名古屋の堂宮棟梁 伊藤平右衛門(後の9代目伊藤平左衛門)に委嘱し、明治7年(1874)10月に工事着手、翌年1月11日に上棟式を行い8月7日に落成、開校式が挙げられました。」磐田市観光協会HPより

【開館時間】午前9時~午後4時30分  入場料・無料(こんなに凄い文化遺産なのに!?)。開校を祝って浜松県令・林厚徳から寄贈された入口の扁額。

【木縄を受くれば則ち直く、金礪(きんれい)に就けば則ち利(するど)し(曲がった木も墨縄を当てて切ればまっすぐに切れ、金物も砥石で磨けば切れるようになる)

館内には教育資料の展示や授業風景が再現されています。

先生の話を一生懸命聞く子供たち、音読をする級友、その中に混じって違和感が無い私って・・(^^;)

昔の校長先生って威厳があったんだなって思う一場面。こういうのを見ると「形」と言うのは大事なんだと思わさせられます。

ちゃぶ台を机代わりにして勉強をする子供。傍らでは飼い猫のチャ~ちゃん(勝手に命名)が遊んでくれるのを待ってます。

当時の小学生の子供たちが学ぶ教科書の文章の、なんと綺麗な日本語。「お母さんがおっしゃいました」などという美しい言葉、今の子供たちに使えるでしょうか?否、そのような美しい日本語を、今の教師たちが知っているのでしょうか?そんな事を、ふっと思って「ああ、私も年を取ったんだ・・・」と苦笑い(笑)

建物の五階は太鼓楼として使われており「伝:酒井の太鼓」が展示されています。三方原の合戦の際、浜松城で『酒井忠次』が打ち鳴らしたと伝えられている太鼓だそうです。

教育関連の資料以外にも、郷土の歴史・民俗に関するもの等、興味深いものが目白押し。

学校の北側には「磐田文庫」と呼ばれる二階建ての蔵があります。淡海国玉神社の神官で国学者であった『大久保忠尚』が自宅で私塾を開き、図書館として、境内に磐田文庫を創設。その後の明治12年、建物と蔵書のすべてが見付学校に寄贈されました。

一通り見学したところで名残惜しくも「旧見付学校」とはお別れ。最後にもう一度建物の全体像を目に納めるべく周囲を一周。

改めて見上げる正面玄関の美しさに感動しつつ・・

係りの方の優しいお申し出に甘えて、三人一緒の記念写真

訪問日:2010年4月18日

 

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ご当地マンホール in 静岡県旧磐田市

2019年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

前回に引き続き、合併以前の旧磐田市のご当地マンホールですが、前回書き残した市の紹介をもう少し。旧磐田市は県西部天竜川東岸に位置し、遠州灘に面していた市です。北は豊岡村、北西に浜北市、西に豊田町、浜松市、南西に竜洋町、南東に福田町、東は浅羽町、袋井市と隣接。また、遠江国分寺の建立以来、この地方の中核都市として1200年余の歴史を持つ、文化の香り豊かな町として知られています。さらに、日本一のトンボの宝庫「桶ヶ谷沼」に象徴される豊かな自然に恵まれる一方、輸送機器関連の機械工業を中心とする県下有数の工業都市でもあります。最近では多くの日本代表を輩出する「ジュビロ磐田」のホームタウンとしてスポーツのまちづくりに取り組んでいます。「市の花:ツツジ」「市の昆虫:ベッコウトンボ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、磐田郡見付町、豊田郡中泉町・梅原村・天竜村・岩田村、山名郡西貝村が発足。

1896年、郡制の施行により、磐田郡・山名郡、長上郡・豊田郡の一部をもって、改めて磐田郡が設置。

1929年、磐田郡中泉町が、梅原村を編入。

1940年、磐田郡見付町・中泉町・西貝村・天竜村が合併、磐田郡磐田町が発足。

1948年、磐田郡磐田町が市制を施行。磐田市が発足。

1956年、磐田市が磐田郡岩田村を編入。

2005年、豊田町、竜洋町、福田町、豊岡村と合併、新たに磐田市となりました。

磐田市磐南浄化センターの旧磐田市展示蓋には、鮮やかに「ベッコウトンボ」が描かれています。

(磐田駅南口の歩道に設置 )

少し小さいサイズの、ベッコウトンボのカラーマンホールですが、退色が進んで残念な姿です。

こちらは数年前にマンホール友達から頂いた画像、本来はこんなに鮮やかだったようです。

聞くところによると、「ベッコウトンボ」のマンホールは沢山のサイズ違いがあるとか。私が見つけることが出来たのは、それらのホンの一部。

画像は、市内岩井の「桶ケ谷沼」で生息が確認された、絶滅危惧種の「ベッコウトンボ」。 貴重な生物が身近に見られる環境は、同じ地上に住む全ての生き物にも大切な場所ですね。

側溝蓋にも、「市の昆虫・ベッコウトンボ」が、旧市章と共に描かれています。

別の側溝蓋には「市の花・ツツジ」と旧市章、二つのシンボルは新たな磐田市に継承されています。

市章は昭和22年10月1日に磐田町章として制定されたもので、初代市章として継承「周りの丸は「い」を表し、同時に「わ」は和に、さらに「田」を表現し、中央にダイヤを配しています。」

消火栓・耐震性防水層・防火貯水槽・側溝蓋、いずれにも旧磐田市の市章があります。

「スポーツのまち」として知られる磐田市。市内にはジュビロ磐田関連の色々が沢山。お馴染みジュビロのマスコットは『ジュビロ君』『ジュビィちゃん』

タクシーだってこの通り

磐田市福田支所に展示されている消火栓は、はしご車とジュビロのマスコット『ジュビロくん』

展示蓋と同じ消火栓。

撮影日:2010年4月17日&2016年12月15日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県磐田市

2019年03月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

磐田市(いわたし)は静岡県の西部、天竜川の左岸(東側)に位置する都市です。市域の中央部は磐田原台地が南北に広がり、台地を中央を分断するように南北に今之浦川が流れ、台地の東西は崖になっています。浜松市南区・東区・浜北区・天竜区、袋井市、森町に隣接。律令時代以降は遠江国の国府・国分寺が置かれた政治文化の中心都市として、戦国時代から江戸時代にかけては、東海道「見付宿」の宿場町として発展して来ました。またjリーグのジュビロ磐田のホームタウンであり、ジャパンラグビートップリーグのヤマハ発動機ジュビロの本拠地であることから、「スポーツのまち」として全国的に知られています。「市の木:クスノキ」「市の花:ツツジ」「市の昆虫:べっこうトンボ」を制定。
キャッチフレーズは「光と風・水と緑 ひとが、まちが、いま輝き出す~自然あふれ、歴史・文化薫るゆとりと活力のまち~」

2005年4月1日、(旧)磐田市、磐田郡豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村が合併、改めて磐田市が発足しました。
新しいマンホールには、磐田市のイメージキャラクター「しっぺい」がデザインされています。(磐田駅前の「しっぺい」像の周辺歩道に設置。)

磐田市となった旧竜洋町のデザインマンホール、自治体名が「いわたし」に変わっています。

磐田市となった旧福田町のデザインマンホール、自治体名が「いわたし」に変わっています。

磐田市となった旧豊田町のデザインマンホール、自治体名が「いわたし」に変わっています。

2005年6月5日制定の市章は、【「い」をモチーフに、「新しい時代」を創造するまちの躍動感を表現しています。未来へ伸びる青のラインと緑の円弧は、豊かな自然環境や文化、歴史を活かした、うるおいのある「ゆとりと活力のまち」を、また中央の赤の太陽は、未来への限りない「希望」といきいきとした市民の一体感を象徴しています。】市HPより

新市章と「市の花ツツジ」の側溝蓋。

磐田市のイメージキャラクター『しっぺい』。市内に伝わる霊犬伝説「悉平太郎(しっぺいたろう)」をモチーフに、2011年に誕生しました。 紅白の綱と褌を身につけ、メロンが大好き。磐田の平和を守るかしこくて優しい『しっぺい』君は、磐田市を広くPRするために日夜頑張っています。(許可を頂いてのツーショット)

磐田市消防イメージキャラクター『べっくん』。モデルはもちろん「ベッコウトンボ」。

磐田市社会福祉協議会キャラクター『ふくぴ-』、社協窓口には、BIGふくぴーがいるそうです。

撮影日:2016年12月15日&2018年11月15日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「磐田市」のマンホールカードは、「磐田市観光協会」でいただけます。

2016年に設置開始されたマンホールには「サッカーボールで遊ぶしっぺい」がデザインされています。

「磐田市内の見付天神に古くから伝わる霊犬伝説の主人公、「悉平(しっぺい)太郎」をモチーフに生まれた市のイメージキャラクター「しっぺい」のマンホール蓋です。 しっぺいは、紅白の綱と真っ赤な褌をつけたふくよかな体型が特徴です。 磐田の平和を守る賢く優しい犬で、市の名産・アローマメロンが大好物です。 趣味は、まちめぐりとスポーツ観戦。 市内のイベントや、サッカーJリーグのジュピロ磐田、ラグビートップリーグのヤマハ発動機ジュピロのホームゲームにもよく姿を現します。 本マンホール蓋はJR磐田駅北口にあり、観光やスポーツ観戦等で磐田市に訪れる人々を出迎えてくれます。」

配布先のマンホールカードホルダー

見付天神の「悉平太郎像」

訪問日:2018年11月15日

 

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周智(しゅうち)郡役所と遠江一宮駅 in 静岡県森町

2019年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

森町森の「蓮華寺(れんげじ)」境内にある、「森町歴史民俗資料館 旧・周智郡役所(しゅうちぐんやくしょ)」。 現存する明治前期の郡役所の建物としては県内唯一で、森町指定文化財となっています。

【もとは現・森小学校の校庭にあり、明治18年(1885)、地元森町・上山梨の大工『本間藤四郎』ほか6名によって建てられました。その後、地方事務所として使用され、また商工会が使用し、昭和49年(1974)には「森町立歴史民俗資料館」として現在地に移築されました。】現地案内より

じつはここに来るまで、「旧・周智郡役所」がお寺の境内にある事を全く知りませんでした。 さらに、内部の見学が何時でも可能では無いことも、現地に来て玄関の張り紙で初めて知りました(-_-;)。
だから、建物の片隅に整然と並べられた沢山の「五輪塔」を見た時は、ちょっと吃驚。

【戦国時代、武田軍と徳川軍の合戦により三十六坊の堂宇を焼失、多くの戦死者の慰霊の五輪塔なり】

敷地内の一画に建立されていた風吹梢作聲(村松 梢風)」碑

生憎と「正伝清水次郎長」の作者である事、また新派の演目として有名な「残菊物語」の原作者である事くらいしか存じ上げなかった方。森町の飯田地区には彼の生家跡が残されているそうです。

時間的なものもあって、本家(?)である「蓮華寺」には足を踏み入れなかったのですが・・ 資料を調べるために確認したら「遠州三十三観音霊場・一番札所」との事、特別にお寺好きという訳では有りませんが、ここまで足を運びながら、勿体無かったかな・・。

訪問日:2011年11月16日

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二度目の訪問となった森町ラストは、「遠州の小京都」と書かれた大看板が出迎えてくれる、天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線「遠江一宮駅」

昭和15年6月1日に鐵道省二俣線所属駅として開業した「遠江一宮駅」。現在の駅舎はその時に建てられたもので、かっては「小國神社」への参拝客で賑わっていたと言いますが、今は無人駅になって随分と静か。

決して鉄道駅が身近ではなかった筈の私なのに、何故か古い木造の駅舎は郷愁を呼び起こします。 こんな風に古い、不思議に懐かしい木の匂いのする待合室に座って、オレンジと緑の電車を待っていたのは幾つの時だっただろう・・・。

遠くに見える電車に目を輝かせて、待合室の父や母を呼んでいたのは・・あれは幾つの私だろう。 そんな懐かしさを呼び覚ます「駅舎・上りプラットホーム」は、2011年に国の有形文化財として登録。

ああ、電車が入って来たよ!見知らぬ色合いの電車だけど、それでも何故か懐かしい。初めての町、初めての駅で見る初めての電車なのに・・変だね。

大国様と白兎が、お出迎えもお見送りもしてくれる「遠江一宮駅」。ほんのつかの間の旅人気分を味わったなら、さて、そろそろ森町ともお別れ。

ここでも記念写真はJさんと

また是非おいで!!と・・誰かに声をかけられたような気がして辺りを見回せば、なんだ「森の石松さんじゃないですか(^-^)。あれぇ~山頭火さんまで! ステキな時間をたくさん、有難うね~」

訪問日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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小國(おくに)神社~其の三 in 静岡県森町

2019年03月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

小国神社~其の三のスタートは、参道左手に見えて来た「神幸所」。しっとりと苔に覆われ、大木に囲まれた神域は、一年に一度、4月の御例祭の時だけ、御祭神が神輿にのって渡御される聖地。

遠江國一宮の境内には、全国一宮の御祭神73柱が祀られる「全國一宮等合殿社」が鎮座されます。かつては73柱の神々を祀るお社が境内各所にありましたが、明治初年の火災により焼失。 その後は「八王子社」に合祀されていましたが、1989年に独立の境内社として再建されました。

二の鳥居近くには、樹齢1000年とも伝えられる御神木の、「大杉」の根元が大切に保存されています。 約400年前の慶長の古図にも記された御神木でしたが、昭和47年の台風で折損してしまったとか。

大きな袋を肩にかけた大国様が、因幡の白兎と出会い、傷を癒す有名な場面が描かれた御祭神の案内。出雲の国造りの神様は、少年のように涼やかなお姿。太鼓腹でも無いし、頭巾も被ってなければ、米俵を踏みつけたりしない。ついでに打ち出の小槌も持っていません(笑)

それでも、奉納の絵馬はやっぱり「打ち出の小槌」。まぁ・・本家の出雲でさえそうなんですけどね。

御祭神「大己貴命(だいこくさま)」の御神宝で、招福・縁結びの「大宝槌(おおたからづち)」
この文章は、公式HPに記載されていたもので、決して私の本意ではありません (ーー゛);  と、しつこく!『大国主命』と『大黒天』は別の存在なのだと、個人的に拘り続けてます。だってね!!大黒天はヒンドゥー教の主神の一柱で、青黒い身体をもつ破壊神「大自在天」の別名なんですよ!!絶対に同一神じゃない!! (>_< )

さて、静岡と言えば行く先々で何度も『徳川家康』の名前を目にしました。実はここ「小國神社」の境内にも「家康の立上がり石」なるものが大切に保存されています。
天正2年の犬居城攻略の折「小國神社」に参拝した家康が、この石に腰かけて休息したんだとか。 日本各地に残る「○○の腰掛石(岩)」、誰がそれを見て、言い伝えてきたんでしょうね(笑)

こちらは「2011年森町民俗芸能・民俗行事公開大会」で、勅使役を勤めた県知事が詠んだ歌碑。

【しきしまの やまと想ほゆ 森町の 小國神社に 勅使出で立つ】

大宝元年(701)の勅使参向の際はここで下馬されたとか。歌碑の後ろには「駒止めの杉」が見えます。

「宮川」にかかる朱塗りの橋、それを更に赤く染めあげてゆく、約千本のもみじの紅葉・・ この画像は2011年の参拝の折に写したものですが、惜しいことに駆け足で眺めただけで、いわゆる紅葉狩りには無縁。

せっかくの紅葉の季節、しかも名だたる紅葉の名所に来たというのに、今思えば間が抜けてますが・・・まぁ、目的は神社参拝だったのだから・・。

二度目の小国神社、女同士の連れがいると、参拝を終えた後の境内や付近の散策はまるっきりの観光気分。御朱印も頂いたしという気持ちがあるからか、多分これで終わりという名残惜しさゆえか・・・
参道の入り口付近にある「小國ことまち横丁」の店舗内には、らしいものからそうでないものまで色とりどり。 旅の楽しみは素敵な景色、楽しい時間、珍しい物・・そして待つ人を思いながらのお土産選び。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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小國(おくに)神社~其の二 in 静岡県森町

2019年03月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

昨日に続いての小国神社境内の案内、~其の二では鳥居を潜った先から順を追っての紹介です。

神橋を渡り、深い緑の参道をすすんだ先に鎮座される、末社「飯王子社(いいおうじしゃ)」。 御祭神は『保食神(うけもちのかみ)』、旱魃(かんばつ)への祈願を行う為に祠を建てたのが創建とされます。

樹齢数百年の杉並木の中に続く自然道は「勅旨参道」。勅使とは朝廷や君主が出す使者のこと。勅使参拝の際に使用した専用の参道跡で、一般の人は通行できません。

神前に進む前に穢れを清める手水舎。手水の「16菊花紋章」が朝廷との縁の深さを物語っています。

参道途中、緑の腕(かいな)に抱かれるように鎮座されるのは、「鉾執社(ほことりしゃ)」。 「鉾執」とは「仲立ち」を意味し、神社に奉仕された代々の杜家・神人の御霊が祀られています。

木立の隙間から漏れる光を反射してキラキラとゆらめくのは、鏡池とも称される「事待池」。 朱塗りの太鼓橋が池の面に映り込むさまは、俗界から遠く離れた神の領域にも思えて・・。

神社に願い事を祈願して事のままにじっと待ち、願いが叶ったらお礼に池に鯉を放つ・・ 事のままに待つ池・・「ことまち池」と呼ぶそうで、分かったような、分からないような(^^;)
更に池の水を汲み、「いぼ」に付けると、「いぼ」が取れるので「いぼとり池」とも・・・なんかいきなり現実的になりました(笑)

朱塗りの太鼓橋を渡った正面に鎮座されるのは「八王子社」。御祭神は、天照大神と素戔嗚尊の誓約時に出現したとされる『五男神・三女神』。 さらに、天地開闢の最初にあらわれた造化三神の一柱で、神稲を植える土の神『国狭槌命(くにさづちのみこと)』

「八王子社」の隣に鎮座されるのは「宗像社」。御祭神は『田心姫命・田霧姫命・市杵嶋姫命』。女性守護の神で水神とも称され、御祭神は『宗像三女神』と称されることもあります。

朱塗りの橋と対を成す陶器製のきらびやかな橋は、2011年6月に設置された「事街(ことまち)橋」。 同行の友人と二人、「なんかイメージが・・・」「だよね~」などと言いつつ、しっかりツーショット(笑)

こんな調子では、拝殿に辿り着くのはいつの事になるのやら(笑)。崇敬篤い方々にはお叱りを受けそうですが・・・。
という事で続きはまた明日・・・大きな神社はどうしてもこのパターンが多いねぇ~(^^;)(^^;)(^^;)

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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小國(おくに)神社~其の一 in 静岡県森町

2019年03月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

森町一宮に鎮座される「小国(おくに)神社」。式内社で、遠江国一宮。

願い事が意のままに叶う神社「事任神社(ことのままのかみやしろ)」として広く知られます。

社名の「小国」は、出雲の「大国」に対する遠江の美称とされ、紅葉の名所としても有名。 御祭神は『大己貴(おおなむち)命』で、国津神の最高神とされる『大国主命』と同一神です。

【創祀は神代と伝へられ上代のことは詳でないが、社記によれば人皇第二十九代欽明天皇の御代十六年(557)2月18日、本宮山に御神霊が出現せられ奇瑞あり天聴に達し、勅使を差遣せられ社殿を造営し正一位の神階を授けらる。第六十代醍醐天皇の延喜七年(907)に勅して、社殿を改造せられ延喜式内社に列す。】由緒より

二の鳥居から真っ直ぐ、参道正面に建つ木造大社造桧皮葺の拝殿は、明治19年(1886)の造営。 清流宮川のほとり、本宮山の山麓に抱かれるように、美しい姿で参拝者たちを出迎えてくれます。

残念ながら大社造の御本殿を垣間見る場所は無く、拝殿の後方にわずかに屋根が見えるのみ。

拝殿右手前には、2003年に『秋篠宮両殿下・妃殿下』が御参拝された事を記念した碑が建立されています。 「お遊びのみ皆勤」できる便利な体調の波を持つ誰かと違い、心から御尊敬申し上げます。

拝殿右には、明治19年(1886)に造営された、桧皮葺・木造入母屋向拝付の「幣殿」

桧皮葺・木造入母屋造の「舞殿(ぶでん)」では、「田遊神事」「十二段舞楽」が舞われます。 二つの神事は昭和35年に県無形文化財に、2007年には国重要無形民俗文化財に指定されました。

杉の巨木に見守られるように続く参道は、ただよう空気までもが深い静寂の色。「小国神社」の境内には、まだ多くの素晴らしい建物や見どころが有りますが、それはまた明日。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 静岡県森町

2019年03月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

周智郡森町(もりまち)は静岡県西部に位置する町です。三方を小高い山々に囲まれ、町の中央を清流「太田川」が流れるその様子を、大正12年(1923年)7月に森町を訪れた地理学者『志賀重昂(しがしげたか)』は、山紫水明の「小京都」と称賛し、以来遠州の小京都と呼ばれるようになりました。近世には秋葉山本宮秋葉神社へ通ずる秋葉街道の宿場町として賑わい、また 遠江国一宮:小国神社が鎮座されることでも知られています。浜松市、掛川市、袋井市、磐田市、島田市に隣接。静岡県内で唯一、「ちょう」ではなく「まち」と呼び、「治郎柿発祥の地」としても有名。「町の木:山茶花」「町の花:ユリ」「町の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「ええら森町! ~ みんながチカラの郷づくり 古きをいかして新しきを創る ~」

明治22年(1889)、町村制の施行により周智郡森町・天方村・一宮村・園田村・飯田村・三倉村が発足。

1955年、周智郡森町、天方村、一宮村、園田村、飯田村が合併し、新たに森町が発足。

1956年、周智郡三倉村を編入し、現在に至っています。

マンホールには「町の花:ユリ」「町の木:山茶花」と、「シンボルのカワくん」が描かれています。(展示蓋は、森町役場内の玄関)

マンホールに描かれている『カワくん』は、町の鳥・カワセミがモデルで森町の©キャラです。

昭和40年9月24日制定の町章は【「もり」を図案化したもので、もりの「も」は銛(もり)を形どっています。銛は石器時代、人間が最初に考えだし、生活の先駆をなしたものであり、文化の前進を意味するものであります。全体で飛躍と伸張、融和と団結を表わしています。】HPより

最近、主要道路では、こんなスリップ防止型のマンホール(長島鋳物・製作)が増えてきました。 道路上の蓋としてはこうした工夫は非常に重要ですが、マンホール愛好家としては淋しい限り(^^;)

制水弁・空気弁・消火栓・側溝蓋、良くある規格品ですが、自治体章や自治体名が刻まれています。

「遠州水道(遠州広域水道用水)」は、「浜松市、磐田市、袋井市、湖西市、森町」へ水道用水を供給しています。

森町非公式キャラクター『森のいしぽん』。森町出身の大スター?『森の石松親分』に憧れてます(笑)

「遠州森町PA」限定の『森の石松にゃん』。猫好きは、キャラにだってえこひいきします(笑)

撮影日:2011年11月16日&2016年12月14日

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マンホールカード、頂きました。

2023年4月28日、第19弾として全国7自治体プラス特別版で26種(累計941種類 656自治体・団体)のマンホールカードの配布が 開始されました。「森町」のマンホールカードは、「森町役場」でいただけます。

2007年に設置開始されたマンホールには「清流太田川で遊ぶカワくん」と「サザンカ」、「百合」がデザインされています。

「森町のキャラクター「カワくん」が緑濃い山々と清流太田川、町の特産品の茶(畑)、次郎柿、森山焼き、代表的観光名所の神社、町の木さざんか、町の花ゆりなど森町全体のイメージをシンプルでわかりやすくまとめ紹介しているデザインです。 森町合併40周年記念事業の一つとし選定された町の鳥カワセミは、コバルト色とオレンジ色の対比が美しく水環境回復のシンボルとされ、美しい山々や川など自然にあふれる森町にふさわしい鳥です。 またこのマンホールのデザインには下水道の普及により生活環境の向上と美しい水辺などの自然環境を保護し美しい地球を守りたいとの思いも込められています。」

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ご当地マンホール in 静岡県旧浅羽町(袋井市)

2019年03月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧磐田郡浅羽町(あさばちょう)は静岡県遠州中部の太平洋に面していた町です。浅羽とは、岸の近くや川の瀬などの、水深の浅い場所を意味します。袋井市、磐田市、福田町、大須賀町に隣接。

日本一のメロン生産地として知られる浅羽。一つの果実に、「1本の木の全栄養」を注ぎ込んで初めて誕生するという「クラウンメロン」。浅羽町は、マスクメロンの中でも最高級品として知られる「クラウンメロン」の生産地としても有名です。「町の木:黒松」「町の花:ツツジ」「町の鳥:ツバメ」を制定。画像は、浅羽支所前に整備された、軽便鉄道駿遠線をテーマにした「浅羽記念公園」

明治22年(1889)、町村制の施行により山名郡幸浦村・東浅羽村・西浅羽村・上浅羽村が発足。

1896年、郡制の施行により磐田郡・山名郡および豊田郡の大部分、長上郡の一部の区域をもって、磐田郡が発足。

1955年、磐田郡幸浦村、東浅羽村、西浅羽村、上浅羽村が合併し、磐田郡浅羽村が発足。

1956年、浅羽村が町制を施行、磐田郡浅羽町が発足。

2005年、袋井市と合併、現在に至っています。

マンホールには「浅羽の【a】をデザインしたシンボルマーク」「メローなまち あさば」、周囲に「メロン」が描かれています。「メロー」とは、果物などが熟している・香りや甘みが豊かな様子・を意味します。(袋井市浅羽支所付近のタイル歩道上に設置。)

昭和35年4月1日制定の町章は「頭文字の「ア」を図案化したもの」です。

上水道関連は自治体章つきの制水弁。

浅羽町独自の蓋ではありませんが、袋井市、磐田市を中心とする「中遠水道」のマンホール。

浅羽支所付近に設置されていた「建設省国土地理院」の「水準点 基本」のハンドホール。

やはり支所近くで見つけた「千葉県富津市の制水弁」。いわゆる越境蓋と呼ばれるものです。

最期は支所近くの樹木カバーにあった「ぼたん」。旧浅羽町の花は「ツツジ」で、町の木は「黒松」・・普通こうしたモノにも、自治体の花木がデザインされるのですが、もしかしたら樹木カバーも越境でしょうか?

撮影日:2011年11月16日&2016年12月15日

 

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可睡斎(かすいさい)~其の三 in 静岡県袋井市

2019年03月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

境内から護国塔へと向かう一画に、「勅題・海上風静」と刻まれた歌碑。帰宅後に調べたところ、昭和2年(1927)の歌会始の儀で出されたお題だとわかったのですが・・実はこの年の歌会始の儀は『大正天皇』大喪儀の為に中止されており、お歌は公表されていません。この歌碑がその時に詠まれた誰かの歌なのか?・・文字の判読も出来ない今はただ謎のまま。

境内の外れに建つ「まとい殿」は、第51世可睡齋斎主によって昭和12年に建築。設計者は、『伊東忠太』の弟子で、内匠省技手(宮内省内匠寮)などを務めた『金子清吉』

「まとい殿」の中には、遠州一帯の地域に受け継がれてきた「まとい」がズラリと奉納されています。 火伏鎮護の威徳を持つ秋葉総本山において、これほどふさわしい奉納の品は無いかもしれません。

山門まで戻って改めて境内にご挨拶ですが、そうそう、「おさすり大黒様」を忘れてました。 一さすりで福を招き 、二さすりで徳を授かり 、三さすりで満足を戴く・・どれほどの数の手が行き来したのか・・お腹のあたりはピカピカのスベスベ(*^^*)

2011年9月21日、台風15号は強い勢力を持ち浜松付近に上陸し、袋井市内でも猛威を振るいました。 可睡齋では、白山権現堂の堂宇が倒木で全壊したのをはじめ、全山での倒木は78本にも及びました。11月の参拝の際に見かけた、伐採された木々の真新しい切り口・・今も痛々しく思い出されます。

そんな事情があって立ち入る事ができなかった「白山堂」、2016年に改めて参拝。【永平寺開祖道元禅師が宋の天童如浄禅師につて開悟され帰朝される前夜、碧巌録を筆写していると、白山妙理大権現が現れ助勢された(一夜碧巌)禅師はその奇瑞を歓び帰朝後終生白山妙理大権現を祀られた。】案内版より

「白山堂」の奥、水行池から放生池を経て水が流れる水路のほとりにある「弁天堂」。 祀られる『弁財天』は招福の神として、また水の女神として信仰され、七福神の女神としても有名です。

『秀甫(しゅうほ)』・皇紀二千六百年立春・八十翁。【日の本は 神代ながらの 山さくら】、静岡県森町文化財の句碑が何故ここにあるのかは謎。

門前町に向かう一画には「東陽軒」と呼ばれる地蔵堂があり、二体の観音様が奉納されています。
『恕仲天誾禅師』が座禅中に、毘沙門天のお告げに従い、久野城外の松樹下の大通庵のそばにお堂を建てたのが、可睡斎始まりの地「東陽軒で」す。 今の東陽軒は1985年に観音堂を移築した堂宇になります。

「東陽軒」の屋根の上から私たちを見下ろしているのは『恕仲天誾(じょちゅう てんぎん)禅師』でしょうか? 一般的な仙人や神仏とはちょっと一線を画した風体、改めて見ると、確かなモデルの存在を感じさせます。

2011年、2016年と清清しい姿で私たちを出迎えてくれた可睡斎総門・・ところがそれから二年後・・・
2018年10月1日、台風24号により可睡斎の総門が全壊・・そのニュース画像に唖然としました。 この時の台風では、突発的な竜巻の通り道となった我が家も、かなり大きな被害を受けました。それでもまさかあの総門が・・
平成以降の、飽く事を知らぬ災害の多さ・・只々、国の安らかなる事を祈るばかりです。

参拝日:2011年11月16日&2016年12月14日

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無残な総門のニュース画像で締めくくった可睡斎のブログですが、2019年11月、曹洞宗の名刹、総持寺の総門を参考に2019年11月末に再建されたと聞きました。小さな縁ですが、それでも見知った場所の朗報は嬉しいニュースです。

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