磐田市見付にある白亜の5階建ての洋館風建築・・・「黎明期の時代に建築された日本最古の小学校。」このフレーズだけでもう心を鷲づかみにされた私。時間にせかされないようにと、朝一で訪問を果たしました。
「磐田市のシンボルともいわれる建造物、「旧見付学校」は明治5年(1872)の学制発布を受け、翌年8月に宣光寺、省光寺などを仮校舎として開校しました。新築工事は、名古屋の堂宮棟梁 伊藤平右衛門(後の9代目伊藤平左衛門)に委嘱し、明治7年(1874)10月に工事着手、翌年1月11日に上棟式を行い8月7日に落成、開校式が挙げられました。」磐田市観光協会HPより
【開館時間】午前9時~午後4時30分 入場料・無料(こんなに凄い文化遺産なのに!?)。開校を祝って浜松県令・林厚徳から寄贈された入口の扁額。
【木縄を受くれば則ち直く、金礪(きんれい)に就けば則ち利(するど)し(曲がった木も墨縄を当てて切ればまっすぐに切れ、金物も砥石で磨けば切れるようになる)】
館内には教育資料の展示や授業風景が再現されています。
先生の話を一生懸命聞く子供たち、音読をする級友、その中に混じって違和感が無い私って・・(^^;)
昔の校長先生って威厳があったんだなって思う一場面。こういうのを見ると「形」と言うのは大事なんだと思わさせられます。
ちゃぶ台を机代わりにして勉強をする子供。傍らでは飼い猫のチャ~ちゃん(勝手に命名)が遊んでくれるのを待ってます。
当時の小学生の子供たちが学ぶ教科書の文章の、なんと綺麗な日本語。「お母さんがおっしゃいました」などという美しい言葉、今の子供たちに使えるでしょうか?否、そのような美しい日本語を、今の教師たちが知っているのでしょうか?そんな事を、ふっと思って「ああ、私も年を取ったんだ・・・」と苦笑い(笑)
建物の五階は太鼓楼として使われており「伝:酒井の太鼓」が展示されています。三方原の合戦の際、浜松城で『酒井忠次』が打ち鳴らしたと伝えられている太鼓だそうです。
教育関連の資料以外にも、郷土の歴史・民俗に関するもの等、興味深いものが目白押し。
学校の北側には「磐田文庫」と呼ばれる二階建ての蔵があります。淡海国玉神社の神官で国学者であった『大久保忠尚』が自宅で私塾を開き、図書館として、境内に磐田文庫を創設。その後の明治12年、建物と蔵書のすべてが見付学校に寄贈されました。
一通り見学したところで名残惜しくも「旧見付学校」とはお別れ。最後にもう一度建物の全体像を目に納めるべく周囲を一周。
改めて見上げる正面玄関の美しさに感動しつつ・・
係りの方の優しいお申し出に甘えて、三人一緒の記念写真
訪問日:2010年4月18日