地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

梅雨入りした

2012年06月08日 | 読書

 

「食」の先達のお二人の著作を読んだ、美味しいものを食べると幸せを感じる

 今日、中四国地方は梅雨入りをした。昨年の梅雨入りは、5月21日でずいぶんと早かったが、平年よりは1日遅いだけである。我が野菜畑は水不足を指摘されていたので、その限りでは恵みの雨だ。

 さて、平年の梅雨明けは7月21日とのことで、これからは雨の日が多くなり、晴耕雨読で読書の季節となる。最近もいくつかの本を読んでいるが、その多くは小説であったり、東日本大震災関連の本であったり、生き方や逝き方な関わるものが多い。

 そんな中で、「食」の先達のお二人の著作を読んだ。岸朝子著『このまま100歳までおいしゅうございます』(東京書籍刊)と、料理研究家・辰巳芳子著『食といのち』(文藝春秋刊)だ。

 辰巳芳子さんは、その著書の中で、「箸の上げ下ろしの『食べる』世界は、風土、生産の場、食糧問題、各国間の食戦略、地球から宇宙に至る関係性に支えられている。『食』という言葉には、壮大な領域が内在している。『生命』とは、いわゆる生物学や生命科学の対象となるもの。一方、『いのち』は、より深く広く。魂そのものをも含み、ヒトを人にすることを可能にするものに他ならない」(「標題について」より)、と書いている。

 

 私は浅学非才故に難しいことはわからないが、美味しいものを食べることは大好きだ。美味しいものを食べると幸せを感じる。とは言っても味音痴故に、何が美味しいのかもわからないのだが。そんな私が今は、岸朝子さんの『東京 五つ星の手土産(正・続)』や『東京 五つ星の甘味処』(いずれも東京書籍刊)を読んだりもしている。

 これらの本の中には、私のお気に入りの「空也のもなか」ももちろん載っているある。そして、舟和本店が1903(明治36年)年にオープンさせた日本初の「みつ豆ホール」、その元祖みつ豆も食べてみたいと思ったりもする。

 この日本には美味しいものにあふれていて、私を悩ませる。それでも、こうした本を読んで、行ってみたいお店、食べてみたい品々が頭に浮かんでくる。そんないくつかを、いつか食べてみたいと思っている。

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冤罪

2012年06月08日 | ひとりごと

 

東電社員殺人事件の再審決定、何故冤罪はなくならないのだろうか

 昨日、東京高裁は「東電社員殺害事件」で強盗殺人罪で無期懲役が確定したネパール国籍の男性の再審を認める決定をした。

 この殺害事件は犯人よりも、殺された一流企業である東電女子社員の私生活などをクローズアップした報道の過熱ぶりは、プライバシー保護もどこへやらで、人権無視もいいところで極めて異様だった。

 さてその殺人事件だが、再審理由として「被害者の体内に残された精液、付着した陰毛、そして被害者の下半身や下着、コートなどから、犯人とされた男性以外のDNAが検出された」ことにより「元被告以外の男性が被害者を部屋に連れ込むことは考えにくい」との確定判決に疑問が生じたことによる。

 東京高裁・小川裁判長「第三者が室内で女性と性交し、殴打して出血させ、女性のコートに血液を付着させたとみるのが自然で、その後殺害し現金を奪ったとの疑いが生じた」(山陽新聞)としている。

 この「東電女子社員殺人事件」は、冤罪の可能性が極めて高い。元被告は既に15年間も服役を余儀なくされており、いったいこうしたもう戻らない歳月をどのようにして返せるというのか。冤罪事件をもうこれ以上引き起こしてはならないと考える。

 同時に、この「東電女子社員殺人事件」は、報道あり方をめぐっても様々な問題を惹起している。マスコミ関係者もこの機会に大いに反省して、人間の尊厳を大切にするという姿勢で、興味本位ではなく真実の報道に心して欲しいと願う。

 私もこの事件を振り返るため、少し時間を取って、書棚にある佐野眞一著『東電OL殺人事件』(2000年、新潮社刊)を読み直してみようと思っている。

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魅せられた

2012年06月08日 | 食べ物

 

「たのたの庵」でランチ、里みちこさんの「あじさい」の詩に魅せられた

 毎日午前6時50分から10分間、を大阪城公園内 天守閣前広場で開催されておられる詩人の里みちこさん。その里さんの直筆の「か行」の詩が、「たのたの庵」に飾られている。そして、その「たのたの庵」では、里さんの「詩がたり」をライブで魅せていただいたこともある。

 その里みちこさんが、6月号の雑誌「ミセス」に掲載されている。その雑誌を、昨日ランチに行った「たのたの庵」で拝見した。「たのたの庵」は、ホント久しぶりだ。いつもながらに野菜たっぷりのランチは美味しいし、庵主さんは魅力的だ。

 

 その「たのたの庵」に置かれている鉢植えのコーヒーの木には、たった一つ実をつけていた。

 

 ところで、昨日その「たのたの庵」で、里みちこさんの「あじさいによせて」という詩を拝見して、その素晴らしさにも魅了された。こんなステキな言葉をどうすれば紡げるのだろう。そんな感性は、どのようにして養われてきたのだろうか。ふと、そんなことも思った。

 

「あじさいによせて」  里みちこ

 いつするのでしょう あじさいの衣がえ
 どこにあるのでしょう あじさいの衣装部屋
 だれが決めるのでしょう あじさいの花の色
 なにを話しているのでしょう あじさいとかたつむり
 なぜか好きなのです 雨とあなたとあじさいが

 

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