地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

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松下竜一

2012年06月12日 | 読書

 

記録文学者・松下竜一著『暗闇に耐える思想』を読み、氏の不在を惜しんだ

 今朝書いた新幹線への忘れ物は、嬉しいことに出てきた。今日運賃着払いで送ってくれているので、明日には着くだろう。忘れた袋に入れていたと思うものが入れてなくて、一方では忘れていたものも入っていた。何ともの老人力だ。それにしても、JR忘れ物センターの方には本当にお世話になった。記してお礼としたい。また、ご心配をおかけしたことを、申し訳なく思う。

 そんな嬉しいことはあったものの、昨日は休んだので今日は出勤としたが、さすがにシンドかった。二泊三日の旅でも、いささかの疲れが残っている。今もその旅の中で感じたことが、いろいろと頭をよぎっている。

 今回は大震災・津波からの被災地を巡り、東電原発事故のフクシマについては、行けなかった。しかし、そのフクシマについても被災地を巡っている時に、頭を離れることはなかった。

 そこで思い出したのが、松下竜一だ。過日、県立図書館に行った際に新刊書コーナーに並んでいた松下竜一著『暗闇に耐える思想』(花乱社刊)を借りて読んだ、その印象が強く蘇った。

 

 松下竜一については、『豆腐屋の四季』(1969年、講談社刊)を読んだ以外には読んだことはなかった。先に読んだ本の『暗闇に耐える思想』の扉裏には著者の紹介があり、「生活(いのちき)の中の小さな詩を書き綴ったエッセイと、重厚な記録文学を書き続ける。『暗闇の思想』を提唱して豊前火力反対・環境権裁判を闘い、『草の根通信』を31年間発行。反戦・反核・反原発の闘いに邁進する」とある。

 この『暗闇に耐える思想』は講演録であり、とても読みやすかった。そして、その内容には衝撃を受けた。家業の「豆腐屋」を継いで、「ひたすら耐え続けるしかなかった20代の豆腐屋の、閉じ籠もった生活」」をしていたそうだで、その生活や詩などを『豆腐屋の四季』として出版された。その後は「模範青年を脱皮」され、様々に行動して行かれる。

 松下竜一の原点は『豆腐屋の四季』にあるとは言うものの、反戦・反核・反原発に関わっての重厚な思想家の側面というのを全く知らなかった。恥じ入るばかりだ。氏は2004年に鬼籍に入られているが、生前にその著者や発言などを聞いたり読んだりして学びたかった。

 それにしても、東日本大震災前に語られている「原発」等への発言は、リアルで大震災後の発言かと見まごうばかりだ。まさに今も通用する思想で、その先見性に驚くばかりだ。今、読んでよかったと思える一冊だった。そして同時に、東電原発事故に関わって、松下竜一の発言を聞きたかった。今、その思いは強い。

 氏の「だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるなら、その文化生活こそと問い直さねばばならぬ」という発言を、今回の旅で繰り返し思い出しつつ各地を巡った。

 

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予告編解禁

2012年06月12日 | 松たか子

 

松たか子主演の映画『夢売るふたり』の予告編が解禁された、公開が待ち遠しい

 三日間東北を旅して帰ると、畠瀬本店店主さんのフェイスブックの関わりから、「映画『夢売るふたり』 予告篇が遂に解禁になりました」との記事を始めとして、映画『夢売るふたり』関連の記事がフェイスブックにたくさんアップされていた。同じ時間の流れで、それを追えなかったことを悔しく思う。旅をすると、そんなことがたくさんある。

 予告編を見ても今回の西川美和監督作品・松たか子主演の映画『夢売るふたり』が、素晴らしい作品に仕上がっているように思う。どんな松たか子に出会えるのか、「代表作になるとの前評判がある」との記事に接するだけに、公開が待ち遠しい。

 それにしても、西川美和監督はどれだけ進化していくのだろう。これもまた、これからの楽しみでもある。

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旅の結末

2012年06月12日 | 食べ物

 

日本初の「みつ豆ホール」をオープンさせた舟和本店の喫茶で、そのみつ豆を食べた

 先に、「舟和本店が1903(明治36年)年にオープンさせた日本初の『みつ豆ホール』をオープンさせ、みつ豆の元祖であることは書いた。

 そのみつ豆も食べてみたいと思っていたのだが、昨日スカイツリー駅に行くのに浅草まで行ったので、せっかくだからと舟和本店まで足を伸ばした。今、浅草はスカイツリー人気で大いに賑わっているとのことで、大変な人出だった。浅草寺からも、スカイツリーはくっきりと見える。

 さて、浅草・浅草寺仲店にも舟和のお店は出店されているが、舟和本店は新仲見世通りの外れにある。本店喫茶部は二階にあった。一階のお店先だけでなく、二階にも「元祖みつ豆」について書かれたものが飾られている。昨日は、そんな元祖みつ豆に敬意を表して、プレーンなみつ豆とした。深く味わって食べた。

 そしてその後、銀座・空也へ行き予約していた「もなか」を購入した。午後2時過ぎに行ったが、「本日分は売り切れ」との張り紙がしてあった。やはり、大変な人気だ。久しぶりなので、帰って食べられると思うとワクワクした。

 ところが、である。今回の旅は、まさにお粗末な結末を迎えた。ナント、その「空也のもなか」や孫へのお土産を、新幹線に置き忘れてしまったのだ。「忘れ物センター」に電話を入れたが、20時を回っていたので、返事は今日になるとのことだった。今日、嬉しい電話があることを願っている。

 なお、東日本大震災・被災地巡りの旅については、一回は記録として書かねばとは思っているが、気持ちを整理する時間が必要なので、少しだけ時間を貸していただきたいと考えている。

 

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