最近舞台やコンサートで会えていない、そうした寂しさに耐えかねての松たか子
今日は雨。雨が降れば本を読む。その「本」について、作家として活躍するとともに、「クレヨンハウス」という書店を主宰している落合恵子は、次のように語っている。
「専門書店のオーナーとして、また書き手として、私常々こう考えている。『本はなくともひとは生きられる』と。本こそすべて、ではない。本はなくともひとは生きることができる。が一方、本の楽しみを知っていたほうが、人生の風景は深まるに違いないとも思う」。(落合恵子著『孤独の力を抱きしめて』)
本に関しては、「飢えて死ぬ子供の前で『嘔吐』(サルトルの作品)は無力である」(サルトル)との発言について、大江健三郎は「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」と自問自答し、文学の可能性を語っている。
また、「人はパンのみにて生くる者にあらず」(新約聖書『マタイ伝』第四章)との言葉もある。
そんなことを考えながら、今日読もうと思っているのは、松たか子が2003年に出版したフォトエッセイ集『松のひとりごと』(朝日新聞社刊)だ。もう何度も読み返しているが、最近は松たか子の舞台やコンサートがないので、寂しさに耐えかねての松たか子だ。
落合恵子もサルトルも、大江健三郎も『マタイ伝』も関係ないような「本」を読む。申し訳ない。
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