まだ第一の現役時代からそうだが、私にとって絶対に日程が入らないのがお盆とお正月。誰一人として訪ねてくることもなく、誘われることもない。そして、誘っても、誰も相手にしてくれないのがお盆とお正月。今年もそんなお盆を過ごした。
そして、今日8月15日は、終戦記念日。日本国民を塗炭の苦しみに陥れたあの忌まわしい戦争は絶対にしてはならない。誰も殺してはならないし、殺されてもいけない。少しだけ長くなる。スルーして。
その、先の戦争後の引き上げ者は、ずいぶんと以前の新聞資料だが、629万人余(軍人・軍属と民間人がほぼ同数)とのこと。その内、中国から引き揚げ者は154万人余、韓国59万人余、台湾47万人余、北朝鮮32万人余となっている。
私は北朝鮮からの引き揚げ者で、終戦後両親と兄の家族四人で引き上げてきた。私は終戦の翌年の3月17日生まれで、生後間もない乳飲み子の私を抱えて。昼間は倉庫などに隠れ、夜動いて何とか引き上げてきた。連れて帰ってくれた両親に心から感謝している。
私は北朝鮮からの引き揚げ者で、終戦後両親と兄の家族四人で引き上げてきた。私は終戦の翌年の3月17日生まれで、生後間もない乳飲み子の私を抱えて。昼間は倉庫などに隠れ、夜動いて何とか引き上げてきた。連れて帰ってくれた両親に心から感謝している。
両親は戦争の悲惨さをいやというほど体験し、引き揚げ者として極貧の暮らしを余儀なくされてきた。私は戦争は絶対に許してはならいと考えている。「二度と戦争をさせない」、これは困難な中で私を連れて帰ってきてくれた両親への感謝を伝える思い。
吉永小百合は『私が愛した映画たち』(集英社新書刊)の中で、「私は1945年、日本が敗戦した年に生まれ、戦後とともに年を重ねてきました。私の中には、戦争の時代が再び来ないように、『戦後』という言葉を大切にしたいという思いが強くあります」と語っている。
6年前に亡くなられた故高畑勲監督が「永瀬清子詩の世界」のご講演で語られた「『戦後73年』って、スゴイですよ。この間、誰も殺さず殺されなかったんだから。戦後がいつまでも続いて欲しい」の言葉を再び噛みしめている。
そして、柳澤桂子さんは「私は戦争の悲惨さをこの目で見ました。いま、生命科学を学んできたからこそ、長い時間を病と共に過ごしてきたからこそ、一人ひとりが奇跡的ないのちであることを実感しています。だからこそ、若い人たちに伝えたいのです。いのちを大切に。戦争ほどばからしいことはありません」(2017年「図書」8月号の巻頭に掲載「戦争体験を語れる最後の世代を生きて」)。
(この写真は昨年の酔芙蓉)
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