きたみりゅうじ氏の振り返った30歳代の人生を、私と重ね合わせてみた
いつもの「読書ルーム」に、昨日の午後に行った。駐車場はほぼ満車。店内もほぼ満員。平日なのに、どうしてこんなにお客さんが多いのだろうと思ったりもした。
それ故か、店内はとても騒々しかった。いつもは慣れているのだが、昨日は少しだけ閉口した。幾組かのお客さんが、笑顔で語り合っておられた。その笑い声が店内に響き渡っていた。これなら自宅の書斎が良かったのにと、そんな後悔もした。それでも、楽しそうに語り合っていらっしゃる光景は、決して悪い感じではなかった。好感すら持てた。
そんな雰囲気の中で読んだのが、きたみりゅうじ著『人生って、大人になってからがやたら長い』(幻冬舎)だ。ある意味私小説的で、作者の30歳代の人生を振り返りながら、「人生」を考えている。
翻って、私のその年齢の頃はどうだっただろうかと、振り返ってみた。この頃は私的なことでは念願であった書斎を備えた家を建てた。仕事では、初めて役付きに昇進するなど充実していた時期でもある。そんなことを振り返るのはまだ早いが、ひととききたみりゅうじ氏の振り返った30歳代の人生と、私の過ごしてきた人生を重ね合わせてみた。
今カフェを「読書ルーム」としている、以前は「思索ルーム」で大切な時間だった
最近はカフェは「読書ルーム」とすることが多いが、現役で働いていた頃は、朝のカフェは「思索ルーム」だった。朝6時半ばの一番のバスで出勤していた。その途中の駅前のカフェでコーヒーを飲みながら、仕事の進捗状況を確認したり、新たな企画を考えたりもした。
それらを常にノートに書き込み、その都度進捗を確かめたり、企画を深めていた。たくさんのノートがあったが、退職と同時に全てを処分した。私はあまり後ろを振り返らない性分だ。
ともあれ、当時カフェで企画を考えたりする時間は、私にとってとても大切な時間だった。楽しく大好きな時間でもあった。昨日、カッファでランチを食べながら、いよいよ今週の土曜日に近づいた「備前おかやま大歌舞伎公演」のことを考えていたら、そんなことを懐かしく思い出した。
もう少しだけ、そんな進捗を確かめたり、企画を考えることができる状態でいたいとも思った。その意味では、今いただいている監事のお役とともに、「おかやま・歌舞伎・観る会」の活動は私にとってはとても大切だ。
土曜日に近づいた「備前おかやま大歌舞伎」、準備の会議で昨日は盛り上がった
最近は、晩秋を通り越して冬が到来したような寒さ。体調維持が悩ましい。毎朝天気予報をチェックしている。そのお天気で気にしているのは、今週の土曜日のことだ。そう、尾上菊之助座頭の「備前おかやま大歌舞伎」公演の日だからだ。幸い、雨ではないので、一安心している。と同時に、風邪を引かないようにと気を付けている。体調管理も大切だから。
さて、その「備前おかやま大歌舞伎」の成功へ向けた「おかやま・歌舞伎・観る会」のSTAFF会議が、昨日開催され私も参加した。何しろ広い岡山市民会館(1700席余)を満席にして開催する公演であり、想定できる様々なアクシデント等にも対応できるように、綿密な打ち合わせをした。会議は楽しく、大いに盛り上がった。
事務局の方が、とても素敵な「STAFFの手引き」を作成してくれて、それに基づいて各係の役割も確認しつつ、みんなで思いを一つにした。そして、その会議の最後には、鳩居堂の「大入り袋」が用意されていて、今回の公演の「大入り袋」づくりもした。みなさん輝いていて笑顔いっぱいだった。
そんな笑顔と輝きで、当日は来場される方々をお迎えしようと思う。混乱なく、そしてみなさんが素敵な歌舞伎の公演を楽しんでいただけることを、心から願っている。不安もなくはないが、ワクワクしている。
来年の手帳を購入した、進歩とかは無縁のアナログな暮らしだ
来年の手帳を買った。ここまでともあれは元気で過ごせているので、何とか来年を迎えられそうな気がして、手帳を購入することとした。私の場合には、全ての日程は手帳に書き込むので、手帳がないと何もわからない。でも、最近は書き込む欄を間違えたりもするので、いささか切ない思いもしたいる。
最近は多くの方がタブレット等での日程管理をされているが、アナログ人間の私であり手帳での管理だ。正直に告白すれば、タブレットなどではできないのだが・・・。
ところで、私の使っている手帳は、現役当時から能率手帳(WIC 1)だ。もう30年以上も使い続けているだろうか。散髪屋さんも含めて、私は基本的には変えないでいる。そう、私の暮らしぶりは進歩とか革新とは無縁で、保守的だ。もう少しだけ、新しいものに挑戦する努力もしてみたいとは思っているのだが・・・。
人の衰えは「はめまら」と言われるが、私は歯だけは今も全て揃っていて健康だ
「はめまら」、男性の老化現象として「歯の衰え」「視力の低下」「精力減退」が語られる。私の場合には、健康なのは歯だ。一昨日、歯科の診察を受けた。これまでは6ヶ月に一回のメンテナンスでOKだったのだが、前回少しだけ歯が浮いた感じがあり、歯周病と診察された。それ故、2ヶ月後の受診を指定された。そこで、一昨日受診した次第。
この間、朝晩とていねいに歯磨きし、寝る前には口腔内の消毒剤でうがいもした。私は既に書いたが、今も奥歯まで完全に揃っている。お医者さんからは「この年齢でこの状態を保っているのは素晴らしいし、経年で記録を残しておきたいくらい」と言っていただいたりもした。次回の受診は4ヶ月後だ。
ともあれ、様々な機能でその衰えを感じる日々だが、歯だけは、まさに歯だけは健康だ。それが嬉しい。丈夫な歯を持って生んでくれた母に感謝だ。健康な歯があればこそ、美味しいものも食べられるというもの。このままずっと、自分の歯で美味しいものを食べられることを願う。その意味では、日常の暮らしの中で、歯のメンテナンスに留意したいと思う。
美味しいお食事そして素敵な語らいの時間、寒い昨日は至福の時を過ごした
昨日は今シーズン一番の寒さで、外は寒かったが私の心は温かかった。それは、憧れている人と素敵な時間を過ごすことができたからだ。畠瀬本店でランチをし、語り合った。ふと気がつくと、2時間近くが経過していた。
それにしても、美味しいお食事、そして素敵な語らいと、まさに至福の時であった。感謝。我が人生は残り少ない中で、こうした幸せな時間をあとどれくらい過ごせるのだろうか。
それにしても、季節は晩秋から冬へと向かっている。いや、正確には秋を抜いて冬と言うべきか。畠瀬本店の中庭の木々も、次第に色づいている。しかしまだ、美しい紅葉というところまではいかない。ジングルベルの鐘の音が次第に大きくなってきている。クリスマスが近づいている。ワクワクしている私がいる。
雑誌「文藝春秋」を衝動買いした反省から、今日は県立図書館に雑誌を読みに行った
昨日は何とも寒かった。今シーズン一番の寒さだったようで、蒜山では初冠雪が記録されている。今朝も寒い。お野菜を植えて、今一つ育ちの悪いものもある。これから寒さに向かうと、いっそう育ちが悪くなり収穫できないのではと心配する。
さて、昨日は県立図書館に行った。衝動買いで雑誌「文藝春秋」を買ってしまったので、その反省として大江健三郎の最新刊『晩年様式集』(講談社刊)関連の特集が掲載されている雑誌「新潮」と「群像」を読みに行った。
そんな雑誌が並べられている雑誌架には、誰も読むものがないであろう雑誌「文藝春秋」があった。少しだけ苦々しく、その光景を見つめた。これから、ゆっくりと大江健三郎の『晩年様式集』をゆっくりと読もうと思う。
「岡山日本舞踊協会公演」に行った、各流派の素晴らしい踊りに魅了された
私は文化行政を担当していた頃、岡山市の舞踊協会の事務局を担当していた。その頃から、各流派の先生方には大変にお世話になり、かつご指導もいただいた。
そして今は、「備前おかやま大歌舞伎」のチケットの件で、これまた各流派のみなさんに大変にお世話になっている。またこの日本舞踊の世界で、我が同級生や友人も大いに活躍している。
そんな前段を書かないでも、単に一昨日は「岡山日本舞踊協会公演」に行ったとだけ書けばよいのだが。これが、我が文章のつたなさであり、悪癖だ。それはよく知ってはいるのだが、どうにも直らない。
ともあれ、一昨日は各流派を代表する方々の素晴らしい踊りを堪能した。ずいぶんとお稽古も重ねられているのだろう、全くの素人である私でも魅了され続けた。
この「岡山日本舞踊協会公演」には、広い市民会館いっぱいのお客さんだった。そうした客席を眺めながら、今週の土曜日には、私も参加している「おかやま・歌舞伎・観る会」が主催する「備前おかやま大歌舞伎」講演が開催される。既にチケットはソールドアウトであり、ありがたいことに当日券の販売もない程に人気だ。
満席の市民会館で、尾上菊之助丈が座頭のご一行が、素晴らしい舞台を魅せてくれることを確信している。何だか、ワクワクしてきた。
昨日はつい雑誌「文藝春秋」を衝動買いをしてしまった、悔しいし惜しい
昨日はつい衝動買いをしてしまった。無駄遣いをしてしまった。ショックで、昨晩は布団に入って寝てしまった。ま、寒いからでもあるが・・・。何を衝動買いをしたかって。それは、雑誌「文藝春秋12月号」。ナント、800円もした。悔しい、惜しい。貧しい暮らし故に、身を切られる思いだ。深く反省もしている。
衝動買いをしたのは、友人がFBに「村上春樹の新作が掲載される」と投稿したことを思い出して、昨日の朝コンビニで手に取った。書き下ろし86枚の短編となっていた。文藝春秋への小説掲載は、以前なら新年号に掲載されるパターンなのにと思ったりもした。
そしてその村上春樹の小説に加えて、私の目を惹いたのが五木寛之が選んだ「うらやましい死に方」だ。「読者からの投稿30編」が掲載されているようで、読んで見たいと思った。
そんなこんなで、つまりは衝動でセブンイレブン珈琲とともに、ついつい買ってしまった訳だ。しかし、しかし、本は図書館で借りて読むものと定年後は決めているのに、困ったものだ。
「貧しい年金暮らしであり、本は買わないで借りて読む」と決めてはいるものの、それでも講演会などでは、講師のサイン会があると買ってしまう。もう、入れる書棚とてないのに。
なのに昨日は、雑誌を買ってしまった。今月号(12月号)の雑誌「新潮」(定価900円)には「大江健三郎のロングインタヴュー 最新作『晩年様式集』と3・11後のこと」が掲載されているし、同じく雑誌「群像」12月号には「大江健三郎『晩年様式集』を読む」が特集となっていて、そのどちらも買っていないのに。
人が生きるためには、こうした後悔や悩みがつきまとう。朝になっても、まだ昨日のショックから抜けられないでいる。
今終活中、死はいつ訪れるか不明だが「逝き方」だけは考えておきたいと思う
「2012年、日本の死亡者数は126万人。一方、出生者数は104万人だった。死亡者数は2040年にピークの167万人を数え、以降、なだらかに減少する。少なくとも向こう30年近く、『死』を意識し、実際に迎える人間が増えていく」とある雑誌が書いている。
こうした状況を受けて、「終活ビジネス」が盛況となっている。何処でも「終活セミナー」は大いに賑わっていて、棺桶に入る体験コーナーもあると聞く。私は棺桶にはいつかは別として必ず入るので、格別体験したいとも思わないが・・・。
先の雑誌によると、「日本の葬儀市場は年間17兆円、仕入れ値7千円の棺桶が7万円となる」そうだ。私は、そうした葬儀ビジネスとは無縁に、誰にも知らせず葬儀もナシで、家族だけで送ってもらうことを決めている。
親しくしていただき、かつお世話になったのに、ご連絡もせずに永遠の旅立ちをすることをお許しを。ただ、それは今ではない。できるだけ先に、とは思っている。しかし、いつ訪れるか不明なので、「逝き方」だけは考えておこうと思っている。その意味では、私は「終活中」だ。