21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

大震災から半年、政治の茶番に怒り

2011-09-10 09:41:59 | 政治にモノ申す
 大震災発生から今日で半年になる。依然、復興の遅れは深刻だが、その間の政府の対応に感じたのは、本当にこの国の政治は災害に弱かったことに尽きる。

 あれだけ大地震の発生を想定していながら、結局は空振りだった。どの程度の規模を想定し、震災後の対応をシミュレーションしてきたか。答えは想定外の規模になす術がなかったということだ。

 だらしない民主党政権の対応をかって政権の座にあった自民党が責め立てるが、立場が逆でも変わらないだろう。それは霞が関が機能していないからだ。霞が関は親方が誰であれ、この国の行政の実務部隊であり、政権が代わろうが何だろうが、当然、実務上の備えがあったはずだ。出なければ政治の混乱のたびに行政は停滞する。つまり、災害対応で陣頭指揮を執る作業服姿の政治家の指示など本当は大した意味はないパフェオーマンスなのだから。

 つまりこんな時こそ官僚が実力を発揮すればいいわけだ。しかし、何故かそうはならない。官僚主導の政治が、何故か肝心な時に機能しない。役人は指示待ち人間と化し、その責任を無能な政治家に押し付ける。おかしな話である。

 そんな頼りない政治家と官僚をあざ笑うかのように地震と津波がこの国を飲み込んだのだ。今、政治の最優先課題は復興と経済の立て直しである。その背後でこれまでの喫緊の課題がどんどん後回しにされいる。もちろん、震災復興が優先されるのが当然だが、だからといって政治が重要課題を後回しにしていいわけがない。

 未だ雇用状況は深刻で、社会保障だってまったなしである。

 政治家や官僚が全員被災地の復興に携わるわけではあるまい。むしろ、被災地が求めるのは確固たる方針と迅速な対応である。政治家や官僚の視察ではない。つまり、他の案件を後回しにする理由などどこにもないのだ。要は方針と予算の確保を決めるのが政治であり、迅速に対応するのが官僚の役目である。ここんところをしっかりやれば、あらゆる課題をなおざりにすることはないいはずだ。

 もちろんメディアの報道にも問題があるだろうが、実際、政治家がただただ踊っているのだからしょうがない。

 とにかく政治はやることをきちんとやる。この一言に尽きる。あれもこれもすべてやらなければならないのが政治である。政治課題の優先順位を頭から否定するつもりはないが、優先度を理由に仕事を後回しにするのはいただけない。これまで官僚主導の政治が跋扈してきた日本である。こんなときこそ、その貪欲な官僚パワーを発揮すべきだ。政治家が震災対応にあたふたするのを指をくわえて見ていていいわけがない。システマチックに機能する霞が関の底力を見せてみろ。まさか、震災でシステムダウンしたわけではなかろう。

 震災から半年、無能無策な政治家を霞が関の官僚たちがただただ指をくわえて傍観者をきどっているとしか思えない。これじゃ民主党が掲げた政治主導などまったくの茶番ではないか。だからといって自民党なら良かったとはならない。なぜなら、そんな霞が関を培養したのはじみんとうなのだから。その犠牲に晒されている被災地を思うと胸が詰まる。

 

 

  
コメント (2)
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