60年も生きているとさすがにいろいろなアメリカの大統領を見てきたわけで、むしろ自国の首相以上に顔も名前も覚えているかもしれない。ケネディにはじまり、ジョンソン、フォード、ニクソン、カーター、レーガン、ブッシュ、クリントン、w・ブッシュ、オバマ、そしてトランプ。そんな歴代の大統領を見てきて、印象が変わってきたのはたぶんレーガンあたりからだと思う。自分が大人になり、政治が少しわかってきたことと、メディアの扱いにいやらしさを覚えたことが原因だと思う。アメリカに取り入る日本の首相の姑息な姿とフレンドリーなふるまいとは裏腹な大統領の上から目線に日米関係の現実を見たからだと思う。それまでは日米関係を意識しない、ただアメリカの偉い人という見方をしていたと思う。
あの中曽根とニクソンのちゃんちゃんこ姿を見て、反吐が出そうになったものだ。それからは、日本にとっていいか悪いかという目線で大統領を見てきた。しかし、それがさらに変化したのが、オバマからだ。日米関係はもはや大統領が代わったくらいで変わりようがないという諦念から、政治パフォーマーとしてしか見られなくなったのだ。
その意味ではオバマはアメリカ人らしくない良識的なパフォーマーだった。そして、トランプである。政治パフォーマーとしては、今までの大統領にはいなかったタイプだ。顕示欲はレーガンに似ているが、中身はひどい。車と飛行機を売りまくった時代に戻りたいのだろうが、その発想は中国と同じだ。そういえばトランプと似た政治家が日本にもいた。そう、石原慎太郎だ。ナショナリズムをひたすら煽る、利己主義は元都知事そのものだ。騒ぐだけ、わめくだけ、結局は何も変えられない。それどころか、豊洲のような汚点を残すのがオチ。それが国境の塀にならなきゃいいが。
日本の偉い人に望むのは、とにかく三流パフォーマーに踊らされないことだ。