同一労働同一賃金
このところ広く関心を集めている格差是正問題との関連で、同一労働同一賃金といった言葉が良く聞かれます。特に、正規雇用者であろうと非正規雇用者であろうと、同じ仕事をしていれば、当然同じ賃金を支払われるべきだという主張は多くの人に共感をもたれているように思います。
しかし現実の世界ではなかなかそう行きません。
企業サイドでは「一見同じ仕事をしているように見えても、正規社員は仕事を長期的に考え、周辺の関連する仕事にも配慮したりしているから、その仕事だけやっている非正規社員とは労働の質が違う」というような説明をし、「だから同一労働同一賃金ではなく、同一価値労働同一賃金でなければならない」といった主張をします。
労働組合側はどうかというと、組合員には圧倒的に正規社員が多いので、スローガンとしては「格差是正、同一労働同一賃金といっても、実際の交渉の場になると、どうしても正規社員中心になるようです。
お役所のほうはどうかというと、厚労省も、「同一労働同一賃金」に相当する「均等待遇」という言葉を避けて「均衡待遇」といったいい方をしていて、では具体的にどうすればいいのかといっても、もう1つ明確ではありません。
何故こんなことになってしまうのかという理由ですが、それは、もともと日本には同一労働同一賃金などなかったからです。サラリーマンあるいはサラリーマン経験者の皆様方ならすぐお分かりでしょうが、机を並べて同じ仕事していても、オレ/ワタシのほうが、能率がいいなと思っても、1年先輩の賃金にはなかなか追いつけないのです。そして、労組の代表である連合も「1年たったら、1年先輩に追いつく賃金を」といっているのです。
正規社員自体が、一時点で横に比べてみると、同一労同一賃金でも、同一価値労働同一賃金でも、均等待遇でもないのです。でも長い目で見ると、結果的には、より仕事の出来た人がより多くの賃金をもらうようになるという仕組みです。
これは日本の社会文化的背景から来るもののようです。だから、欧米流の「職務給」や「成果主義」を入れてみても、少し立つと反省が出てきて、そうしたものをプラスアルファ部分として残しながらも、基本部分は年功賃金的な色彩を含んだものに回帰してしまうのでしょう。
こうした問題は法律や制度で決められるものではありません。時間がかかっても、労使がお互いに納得出来るような形で、話し合って決めていくことではないでしょうか。
このところ広く関心を集めている格差是正問題との関連で、同一労働同一賃金といった言葉が良く聞かれます。特に、正規雇用者であろうと非正規雇用者であろうと、同じ仕事をしていれば、当然同じ賃金を支払われるべきだという主張は多くの人に共感をもたれているように思います。
しかし現実の世界ではなかなかそう行きません。
企業サイドでは「一見同じ仕事をしているように見えても、正規社員は仕事を長期的に考え、周辺の関連する仕事にも配慮したりしているから、その仕事だけやっている非正規社員とは労働の質が違う」というような説明をし、「だから同一労働同一賃金ではなく、同一価値労働同一賃金でなければならない」といった主張をします。
労働組合側はどうかというと、組合員には圧倒的に正規社員が多いので、スローガンとしては「格差是正、同一労働同一賃金といっても、実際の交渉の場になると、どうしても正規社員中心になるようです。
お役所のほうはどうかというと、厚労省も、「同一労働同一賃金」に相当する「均等待遇」という言葉を避けて「均衡待遇」といったいい方をしていて、では具体的にどうすればいいのかといっても、もう1つ明確ではありません。
何故こんなことになってしまうのかという理由ですが、それは、もともと日本には同一労働同一賃金などなかったからです。サラリーマンあるいはサラリーマン経験者の皆様方ならすぐお分かりでしょうが、机を並べて同じ仕事していても、オレ/ワタシのほうが、能率がいいなと思っても、1年先輩の賃金にはなかなか追いつけないのです。そして、労組の代表である連合も「1年たったら、1年先輩に追いつく賃金を」といっているのです。
正規社員自体が、一時点で横に比べてみると、同一労同一賃金でも、同一価値労働同一賃金でも、均等待遇でもないのです。でも長い目で見ると、結果的には、より仕事の出来た人がより多くの賃金をもらうようになるという仕組みです。
これは日本の社会文化的背景から来るもののようです。だから、欧米流の「職務給」や「成果主義」を入れてみても、少し立つと反省が出てきて、そうしたものをプラスアルファ部分として残しながらも、基本部分は年功賃金的な色彩を含んだものに回帰してしまうのでしょう。
こうした問題は法律や制度で決められるものではありません。時間がかかっても、労使がお互いに納得出来るような形で、話し合って決めていくことではないでしょうか。