tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

多様性の「共生」を認め合う社会を

2015年08月15日 07時53分21秒 | 社会
多様性の「共生」を認め合う社会を

 今年も8月15日が来ました。戦後70年です。日本中が晴れて暑かったあの日を思い出します。国民学校の6年生の夏休みでした。住んでいた甲府市は7月6日夜の空襲で焼け野原、先生も生徒も散り散りになり、そのまま夏休みに入っていました。

 突然に住む所を失い、親の実家、現在の笛吹市に疎開、生活の再建に親子4人で取り組んでいる最中でした。雑音混じりの玉音放送の中の辛うじて聞き取れた個所から、戦争が終わった、日本は負けたと理解し、これからどうなるのかと思ったことを覚えています。

 今年も8月15日を前に、連日TVで戦争の悲惨さ、戦争の不条理さが報道されていますが、古来、人間は、どうして、こうも懲りずに戦争を繰りかえすのでしょうか。
 ユネスコ憲章の前文にあるように「戦争は人の心の中で始まるものであるから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない」と解っていながら戦争を繰り返すのです。

 そうした中で、戦後70年、日本は戦争をしませんでした。これは貴重だという意見が聞かれ、その通りだと思う方も多いでしょう。
 さらに言えば、日本列島では、縄文時代の1万年以上の間、戦争がなかったと考えられています。征服、被征服が無く、奴隷制もなかったというのが研究結果のようです。

 日本人は、世界でも最も多様なDNAを含むというのが定説で、北からも南からも西からも、いろいろな人々が来て極東の日本列島に吹き溜まったようです。
 そしてその人たちは、一万年以上の長い時間をかけて狭い列島の中で、均質といわれる日本人を形成し、争いを好まない文化を作り上げて行ったのでしょう。
 これはある意味では、人類の歴史の中で、多様性の平和共存という生き方の典型の一つではないでしょうか。

 こうした日本人、日本文化の源流の認識に立てば、ここ70年の戦わない日本は、今後何万年かの戦わない日本の新たな出発点なのかもしれません。
 
 その日本人も、弥生時代、明治以降、外来文化を積極的に取り入れ、それを進歩・発展の原動力にする中で、優れた先進文化とともに、戦争も取り入れてしまいました。
 
 これからの日本は、外国から戦争という悪い文化を取り入れるのをやめ、逆に、多様性の平和共存・共生という日本伝統の文化、人間の生き方を輸出することに尽力すべきではないでしょうか。
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(併せてご覧ください:「日本人と平和のルーツ」 同じ趣旨で6年前に書いたものです。