諺から現実を見れば
前回、世界のいろいろな場面で起きている困った事柄について、いったいどっちに転ぶのだろうという心配について書きました。
現実に世の中は、何時もまともな方に物事が動くわけではありません。だから紆余曲折などという言葉もあるのでしょう。
昔からいろいろな人が多くの経験から言い慣わしてきた言葉が諺になっているのでしょうが、その知恵をお借りしようと、諺を引いてみました。
「無理が通れば道理引っ込む」というのがあります。
やっぱり、昔から、「無理が通る」ことはよくあるのでしょう。そうすると「道理」は引っ込むのです。
それでは無理と非道の世の中になってしまうのかというと、長い目で見れば、引っ込んだはずの道理が、確りと復元するから、この諺が言い継がれるのでしょう。
「負けるが勝ち」というのもあります。上と似たような状況をとらえて、その先の顛末まで見通しているわけで、無理を言われて徹底抗うよりも、当面負けておけば、結局はその方が勝ちという事になりますよ、という処世の術を言っているのでしょう。
正義感の貫徹という視点から言えば、「無理は通すべきではない」という事になるのでしょう。欧米や中国ではこうした柔らかな対応策は多分受け入れられないのでしょう。
しかし、そこで対立抗争してこじれた場合と、時の流れと自然法則の合理性を信頼して、当面我慢するという日本的なものとの違いも見える気がします。
トランプさんの関税問題では、米国内でも「経済合理性に反する、経済的にもマイナス」といった意見もあるようですが、恐らく高関税導入でアメリカの競争力が復活することはないでしょう。
「負けるが勝ち」という面から言えば、日本は高関税適用国という事態に対して、日本の当該産業は多分、より高度な技術革新に励むでしょう。高関税で守られたアメリカの鉄鋼業は弱くなり、日本は超ハイテン鋼などで、一層の進化が進めば、その行く先は明らかなような気もします。やはり「負けるが勝ち」という事になりそうです。
ただ、プラザ合意による円高の様に、我慢と努力の期間が長すぎたりすると、負担が大き過ぎることは当然考えられます。
諺は物事を巧みに言い当てるものだと思います。 一方、現実は極めて多様です。しかし、やっぱり何らかの役には立ちそうな気もします。
前回、世界のいろいろな場面で起きている困った事柄について、いったいどっちに転ぶのだろうという心配について書きました。
現実に世の中は、何時もまともな方に物事が動くわけではありません。だから紆余曲折などという言葉もあるのでしょう。
昔からいろいろな人が多くの経験から言い慣わしてきた言葉が諺になっているのでしょうが、その知恵をお借りしようと、諺を引いてみました。
「無理が通れば道理引っ込む」というのがあります。
やっぱり、昔から、「無理が通る」ことはよくあるのでしょう。そうすると「道理」は引っ込むのです。
それでは無理と非道の世の中になってしまうのかというと、長い目で見れば、引っ込んだはずの道理が、確りと復元するから、この諺が言い継がれるのでしょう。
「負けるが勝ち」というのもあります。上と似たような状況をとらえて、その先の顛末まで見通しているわけで、無理を言われて徹底抗うよりも、当面負けておけば、結局はその方が勝ちという事になりますよ、という処世の術を言っているのでしょう。
正義感の貫徹という視点から言えば、「無理は通すべきではない」という事になるのでしょう。欧米や中国ではこうした柔らかな対応策は多分受け入れられないのでしょう。
しかし、そこで対立抗争してこじれた場合と、時の流れと自然法則の合理性を信頼して、当面我慢するという日本的なものとの違いも見える気がします。
トランプさんの関税問題では、米国内でも「経済合理性に反する、経済的にもマイナス」といった意見もあるようですが、恐らく高関税導入でアメリカの競争力が復活することはないでしょう。
「負けるが勝ち」という面から言えば、日本は高関税適用国という事態に対して、日本の当該産業は多分、より高度な技術革新に励むでしょう。高関税で守られたアメリカの鉄鋼業は弱くなり、日本は超ハイテン鋼などで、一層の進化が進めば、その行く先は明らかなような気もします。やはり「負けるが勝ち」という事になりそうです。
ただ、プラザ合意による円高の様に、我慢と努力の期間が長すぎたりすると、負担が大き過ぎることは当然考えられます。
諺は物事を巧みに言い当てるものだと思います。 一方、現実は極めて多様です。しかし、やっぱり何らかの役には立ちそうな気もします。