tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

人間とはここまで憎み合えるものなのか

2023年11月21日 21時03分26秒 | 文化社会

パレスチナ、イスラエル問題を見ていてつくづく思うのは、人間というのはここまで憎み合えるのかという恐ろしさです。

私も人間ですから、どこかにそんな「性(サガ)」を持っているのかと思うと、何と無く嫌悪感や不安感を感じたりします。

然し人間には「類化性能」の高い人と「別化性能」の高い人がいると言う折口信夫の説を聞きますと、多分私は類化性能の高い人間だから、あそこまで憎みあうような事はないだろうなどと思って少し安心するのです。

恐らくパレスチナにもイスラエルにも「類化性能」の高い人は大勢いて、そういう人たちはこんな人間同士の殺し合いはするべきではないと思いながら、リーダーが決めるのだから、我々にはどうにもならないと嘆いているのではないでしょうか。

「別化性能」の高い人は、俺は格別だ、気に食わない相手は倒す,という「争いの文化」に魅せられて、往々にしてリーダーになり、周囲に別化性能に根差す考え方を振りまきます。

その時に使う有効な方法は「我々は被害者だ。加害者は彼らだ」と敵を作り、被害者意識を梃子にして結束を図り、「争いの文化」の世界を作り上げるのです。

戦争はこうした「人の心の中で生まれる」(ユネスコ憲章の前文)のでしょう。

しかし、争いは人間を破壊し疲れさせますから、多くの人はやめてほしいと思い、その思いが広く共有されれば、休戦、講和も起きます。

パレスチナ、イスラエル問題では「オスロ合意」で争いに疲れた両者が、争そいは平和も幸せも齎さない事を悟り、仲介者の努力もあって安定の可能性を見出したのでしょう。

こうした合意は、その時点では当該国が共に納得したからこそ可能になったのですから、国連や当該国に関係のある国々は、それがまた双方に被害者意識を生まないよう充分留意し「類化性能」が当事国間で一般化するような環境を作らなければならなかったのです。

その意味では当該国をそれぞれ支援する国々が対立する限り、報復の連鎖は終わらないので、そうした国々、そして国連の対応にも責任があるのでしょう。

今回の最悪とも言うべき状態は、パレスチナ、イスラエル双方に多大の殺戮と破壊をもたらし、「争いの文化」の不条理を双方の国民の心に刻みつけたのではないでしょうか。

そうであってみれば、アメリカの努力もあり、近付いているように感じっれる休戦が、パレスチナ、イスラエル双方に「争いの文化」の終焉を齎し、より多くに人たちが持っていると思われる類化性能の高さが広く一般化するような環境条件を齎すものにするような形になることを強く願うところです。

世界の人々に報復の連鎖の無意味さを理解させるような解決の実現を心から期待するところです。