守田です。(20120117 10:30)
昨日朝10時、新幹線で福島駅につきました。あらかじめお約束していた中里見
博さんと改札で合流しました。中里見さんは、福島大学の教員ですが、事故後
にただちに家族を避難させるとともに、ご自身は、山形に生活拠点を作り、そ
こから福島まで新幹線で通勤しています。この日も僕が東北新幹線にのってく
るのにあわせて、山形新幹線でかけつけてくださいました。
改札で中里見さんをみるときっちりとしたマスクを着用。僕ももちろん着用し
ていましたが、長身でハンサムな中里見さんの顔が隠れているのはなんだか、
もったいないなあという気がチラリとしました。でもしっかりマスクをしてい
る姿は、中里見さんの生きる姿勢の象徴でもあり、そうだよな、これがかっこ
いいんだよなとも思いなおしました。こんなことを思うのは、福島駅で、ほとん
ど誰も、マスクをしていないからです。
駅を出るとロータリーに、深田和秀さんも車を止めて待っていてくださいまし
た。深田さんは、10月に除染活動で訪れたときに、いろいろとお世話になった
方。ある方の家の屋根の除染実験で、一緒に屋根の上に上って、計測を繰り返
し、屋根の除染の難しさを二人でしみじみと感じて、屋根上で話し合った仲で
もあります。深田さんについては以下の記事でも紹介しています。
明日に向けて(346)「除染に限界痛感」・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b378b00134b23473ccd556f0e8a43dad
僕は中里見さんの車に載せていただき、さっそく市内の渡利地区へと向かい
出しました。車の中で中里見さんといろいろとお話しましたが、健康被害は何
かないですか?という質問に、「印象深いのは、6月に電気の量販店の駐車場を
緊急除染したときのことです。150マイクロシーベルト毎時の放射線の出ていた
ところです。その後に、全身が筋肉痛に襲われました」と語られました。
それでどう対処したのかというと、破傷風の可能性もあるので、すぐに病院に
言った方がいいという京都精華大学の細川弘明さんのアドバイスもあって、受
診されたそうですが、破傷風の疑いはなし。何らかの感染症ではないかとのこ
とでしたが、ウイルスなども出てこなかったそうです。結局、原因不明のまま
に、だんだん回復していったそうです。
「被曝の影響かもしれませんね」と僕。「そうかもしれないと思うんです」と
中里見さん。実際、最近、いろいろな方から、これまでの人生で味わったこと
のないような体の不調を覚えたことを耳にしており、なおかつ免疫系にダメー
ジを与え、極微量な粒子が体の中に入っても、被曝する当該箇所にとっては高
密度、高線量の被曝になる内部被曝のことを考えると、十分にその可能性が
疑われます。
「診断書もあるでしょうが、克明に記録しておくといいですよ」と僕。中里見
さんもそうしたことには自覚的で、自らを含め、こうした健康上の問題を多く
の人々がきちんと記録化していくことの必要性を語り合いました。そうこうし
ているうちに一番目の目的地へ。
ついたのはNPO法人ILセンター福島です。ここは、東北で二番目に立ち上がった
障がい者自立生活で、1996年4月にオープンしたそうです。「自立生活センター
とは、障がい当事者自らが主体となって運営し、自立生活のための様々な活動を
行う団体です」とホームページに書かれています。素敵な建物も見れるので、
ぜひ以下をご覧ください。
http://www.d5.dion.ne.jp/~s-plan21/top.htm
ここでお会いしたのは中手聖一さん。深田さんなども参加する「子どもたちを
放射能から守る福島ネットワーク代表」を勤めるなど、早くから、福島市民の
先頭にたって、放射線から子どもたち、人々を守るために奮闘されてきた方で
その中手さんが、この日は急がしい間を縫って、僕に渡利地区の案内をして下さ
ることになったのです。
ILセンターも、もともと中手さんたちが、仲間たちと廃品回収などで資金を
集めていくことなどからはじめて、苦労した末に立ち上げた拠点だそうで、
中手さんの今の活躍のバックグラウンドが一気に見えたような気がしました。
そんな中手さんたちが手塩にかけてきて育てたのであろうILセンターは、作り
からしておしゃれで、とても居心地がいい建物です。でも中にはいっても、
線量が0.6マイクロシーベルト毎時ぐらいは出ている。
もう一度外にでて、駐車場で渡利地区の概要を聞きました。渡利というのは
阿武隈川をわたってきた側という意味に由来としていること、もともとは住み
やすいところなのですが、この上を放射性ブルームが通り、雪が降って汚染
されてしまった。しかも背後にすぐに山々が迫っていて、そこの汚染が激しい
ため、市内の除染は困難を極めています。
「まずマイクロホットスポットを紹介しましょう」と中手さん。駐車場の外の
側溝にいってそこを指差しました。建物の屋根から落ちが雨水が流れてくる
ところです。「線量計があったらおいてください」という中手さんの言葉に
したがって、僕の「RADEX RD1503」をおいたら、「ああ、それじゃだめだな」
と中手さんが言う。事実、見る間にRADEXは上限値の9.99マイクロシーベルト
をさして、ピーッと警戒音を鳴らしています。
「ここはどのぐらいなんですか」と聞くと「180マイクロシーベルトぐらいで
す。立ち入り禁止にしようと思っているのですが、その前に市役所に何とか
してもらいたいと思って、連絡したのですね。でも何も対処してくれないので
す」という。「ひゃ、ひゃくはちじゅう?」思わず絶句してしまいました。
今にいたるも街中でそんな値が出ている現実、しかも障がい者自立センターの
駐車場横でそんな値が出ていることに胸が締め付けられるような気がしました。
続いて、中手さんの車に4人で乗って渡利地区を回り始めました。観光名所の
花見山、渡利小学校、焼却場と重要ポイントの3つを案内していただきました。
その詳細はまた次の通信で書きますが、この道中、とても印象的だったのは
渡利地区のどこからも、東方にある吾妻連峰が見えていることでした。雪を
かぶった吾妻連峰がとても美しい。
「どこからでも吾妻連峰がみえるんですね。きれいですね」と僕が言うと、
「そうでしょう。この季節になると、いつも町の電柱と電線を全部とっぱら
ってやりたいという気になるのですよ」と中手さん。その吾妻連峰は、福島
市に比べれば汚染は低い。その手前の谷間になる仲通りを放射性ブルームが
抜けていったからです。
だからこの美しい吾妻連峰をのぞむ、この渡利地区はどこもかしこも線量が
高い。しかも半端でなく高いのです。放射線管理区域の目安である0.6
マイクロシーベルトを各地で軽く越えてしまう。美しい吾妻連峰を眺めながら
僕はその理不尽さが納得できませんでした。こんなことがあっていいはずがない。
山々が美しければ美しいだけ、そんな思いがこみ上げてくるのでした。
・・・福島訪問記はまだ続きます。とりあえずたった今は、二つの放射線
測定室にむけて旅立ちます!
昨日朝10時、新幹線で福島駅につきました。あらかじめお約束していた中里見
博さんと改札で合流しました。中里見さんは、福島大学の教員ですが、事故後
にただちに家族を避難させるとともに、ご自身は、山形に生活拠点を作り、そ
こから福島まで新幹線で通勤しています。この日も僕が東北新幹線にのってく
るのにあわせて、山形新幹線でかけつけてくださいました。
改札で中里見さんをみるときっちりとしたマスクを着用。僕ももちろん着用し
ていましたが、長身でハンサムな中里見さんの顔が隠れているのはなんだか、
もったいないなあという気がチラリとしました。でもしっかりマスクをしてい
る姿は、中里見さんの生きる姿勢の象徴でもあり、そうだよな、これがかっこ
いいんだよなとも思いなおしました。こんなことを思うのは、福島駅で、ほとん
ど誰も、マスクをしていないからです。
駅を出るとロータリーに、深田和秀さんも車を止めて待っていてくださいまし
た。深田さんは、10月に除染活動で訪れたときに、いろいろとお世話になった
方。ある方の家の屋根の除染実験で、一緒に屋根の上に上って、計測を繰り返
し、屋根の除染の難しさを二人でしみじみと感じて、屋根上で話し合った仲で
もあります。深田さんについては以下の記事でも紹介しています。
明日に向けて(346)「除染に限界痛感」・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b378b00134b23473ccd556f0e8a43dad
僕は中里見さんの車に載せていただき、さっそく市内の渡利地区へと向かい
出しました。車の中で中里見さんといろいろとお話しましたが、健康被害は何
かないですか?という質問に、「印象深いのは、6月に電気の量販店の駐車場を
緊急除染したときのことです。150マイクロシーベルト毎時の放射線の出ていた
ところです。その後に、全身が筋肉痛に襲われました」と語られました。
それでどう対処したのかというと、破傷風の可能性もあるので、すぐに病院に
言った方がいいという京都精華大学の細川弘明さんのアドバイスもあって、受
診されたそうですが、破傷風の疑いはなし。何らかの感染症ではないかとのこ
とでしたが、ウイルスなども出てこなかったそうです。結局、原因不明のまま
に、だんだん回復していったそうです。
「被曝の影響かもしれませんね」と僕。「そうかもしれないと思うんです」と
中里見さん。実際、最近、いろいろな方から、これまでの人生で味わったこと
のないような体の不調を覚えたことを耳にしており、なおかつ免疫系にダメー
ジを与え、極微量な粒子が体の中に入っても、被曝する当該箇所にとっては高
密度、高線量の被曝になる内部被曝のことを考えると、十分にその可能性が
疑われます。
「診断書もあるでしょうが、克明に記録しておくといいですよ」と僕。中里見
さんもそうしたことには自覚的で、自らを含め、こうした健康上の問題を多く
の人々がきちんと記録化していくことの必要性を語り合いました。そうこうし
ているうちに一番目の目的地へ。
ついたのはNPO法人ILセンター福島です。ここは、東北で二番目に立ち上がった
障がい者自立生活で、1996年4月にオープンしたそうです。「自立生活センター
とは、障がい当事者自らが主体となって運営し、自立生活のための様々な活動を
行う団体です」とホームページに書かれています。素敵な建物も見れるので、
ぜひ以下をご覧ください。
http://www.d5.dion.ne.jp/~s-plan21/top.htm
ここでお会いしたのは中手聖一さん。深田さんなども参加する「子どもたちを
放射能から守る福島ネットワーク代表」を勤めるなど、早くから、福島市民の
先頭にたって、放射線から子どもたち、人々を守るために奮闘されてきた方で
その中手さんが、この日は急がしい間を縫って、僕に渡利地区の案内をして下さ
ることになったのです。
ILセンターも、もともと中手さんたちが、仲間たちと廃品回収などで資金を
集めていくことなどからはじめて、苦労した末に立ち上げた拠点だそうで、
中手さんの今の活躍のバックグラウンドが一気に見えたような気がしました。
そんな中手さんたちが手塩にかけてきて育てたのであろうILセンターは、作り
からしておしゃれで、とても居心地がいい建物です。でも中にはいっても、
線量が0.6マイクロシーベルト毎時ぐらいは出ている。
もう一度外にでて、駐車場で渡利地区の概要を聞きました。渡利というのは
阿武隈川をわたってきた側という意味に由来としていること、もともとは住み
やすいところなのですが、この上を放射性ブルームが通り、雪が降って汚染
されてしまった。しかも背後にすぐに山々が迫っていて、そこの汚染が激しい
ため、市内の除染は困難を極めています。
「まずマイクロホットスポットを紹介しましょう」と中手さん。駐車場の外の
側溝にいってそこを指差しました。建物の屋根から落ちが雨水が流れてくる
ところです。「線量計があったらおいてください」という中手さんの言葉に
したがって、僕の「RADEX RD1503」をおいたら、「ああ、それじゃだめだな」
と中手さんが言う。事実、見る間にRADEXは上限値の9.99マイクロシーベルト
をさして、ピーッと警戒音を鳴らしています。
「ここはどのぐらいなんですか」と聞くと「180マイクロシーベルトぐらいで
す。立ち入り禁止にしようと思っているのですが、その前に市役所に何とか
してもらいたいと思って、連絡したのですね。でも何も対処してくれないので
す」という。「ひゃ、ひゃくはちじゅう?」思わず絶句してしまいました。
今にいたるも街中でそんな値が出ている現実、しかも障がい者自立センターの
駐車場横でそんな値が出ていることに胸が締め付けられるような気がしました。
続いて、中手さんの車に4人で乗って渡利地区を回り始めました。観光名所の
花見山、渡利小学校、焼却場と重要ポイントの3つを案内していただきました。
その詳細はまた次の通信で書きますが、この道中、とても印象的だったのは
渡利地区のどこからも、東方にある吾妻連峰が見えていることでした。雪を
かぶった吾妻連峰がとても美しい。
「どこからでも吾妻連峰がみえるんですね。きれいですね」と僕が言うと、
「そうでしょう。この季節になると、いつも町の電柱と電線を全部とっぱら
ってやりたいという気になるのですよ」と中手さん。その吾妻連峰は、福島
市に比べれば汚染は低い。その手前の谷間になる仲通りを放射性ブルームが
抜けていったからです。
だからこの美しい吾妻連峰をのぞむ、この渡利地区はどこもかしこも線量が
高い。しかも半端でなく高いのです。放射線管理区域の目安である0.6
マイクロシーベルトを各地で軽く越えてしまう。美しい吾妻連峰を眺めながら
僕はその理不尽さが納得できませんでした。こんなことがあっていいはずがない。
山々が美しければ美しいだけ、そんな思いがこみ上げてくるのでした。
・・・福島訪問記はまだ続きます。とりあえずたった今は、二つの放射線
測定室にむけて旅立ちます!