明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(383)仙台の二つの放射線測定室を訪問します!(1月17日)

2012年01月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120113 23:30)

今日は京都と千葉県浦安市の二つの会場でお話しました。どちらも若いお母さん
たちが、子どもさんを連れてたくさん参加してくださいました。みなさん、よく
勉強されていて、詳しいデータを話してくださる方もいました。またお子さん
におっぱいをあげながら、夢中で僕のお話を聞いてくださる方もいました。たく
さんの子どもの元気な声に囲まれながら、僕はこうやってみんなで一生懸命に
何かをしていけば、必ずこの子達に明るい未来を渡すこたができる。あるいは
人間として懸命に生きていく勇気を与えることができると思いました。
今日のお話会に集まってくださったみなさん。本当にありがとうございました。

さて、明日は茨城県笠間市でお話し、あさっては横浜で脱原発国際会議に参加
しますが、その翌日17日は、宮城県の二つの放射線測定室を訪問します。
一つは「みんなの放射線測定室てとてと」です。
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/
もう一つは「小さき花 市民放射能測定室」です。
http://ameblo.jp/foreston39/

僕は講演で、たびたび、消費者として放射線から身を守るために、市場で
何を買うかを考えるだけではだめだ。それだけでは追い詰められてしまう。
むしろ消費者は、安全なものを作ってくれる生産者を守るべきだと語ってい
ます。

実は僕がそのことを語るとき、いつも頭の中に思い浮かべるのは、この二つの
測定室を立ち上げた方たちなのです。なぜか。有機農家のみなさんを中心に立ち
あげてきたからです。この方たちは、311以降、早い段階で自主的に出荷を断念
した。いわゆる政府の「規制値」=本当は我慢値ですが、それよりかなり下の
ものでも、放射能という毒がついているものを自分たちは出せないと、出荷を
やめたのです。

それだけでも消費者としては本当に頭が下がります。安全なものを供給してきて
くれたこの方たちは、危険だとわかったら、出荷をとめてくれたのです。こうい
う方たちが、これまでも私たちの健康を守ってきてくれたのです。

その有機農家や周辺に住んでいるみなさんと僕がはじめてお会いしたのは5月
のときのこと。角田市のある農家でのことでした。僕が忘れられないのは、
最初に僕がみなさんが集まっているところに入っていったとき、いきなり
こう言われたことでした。「守田さん、俺らここで農業を続けていていいだ
べか」・・・。そのとき、僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。
そうしたらみなさん、「ああ、詰まってる、詰まってる」と僕をさして、
笑われた。

こうも聞かれました。「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべ
か」。僕はうーんとうなって、「濃度でしょうね」と答えた。「そりゃあ、
そうだなあ」という答えが返ってきました。

結局、その日の討論で、僕が語ったのは、「何がどれだけ降っているがわか
らない。厳しいかもしれないけれど、僕にもはっきりとしたデータがない。
なのでどんどん測ることが大事です」ということでした。

そうしたらみなさん、自分の畑の土壌を専門会社に測ってもらったりし始めた。
僕が訪問する前からもすでに踏み込んでいたのですが、その中で厳しい
現実に向かい合っていかれた。そうして出てきたのが、市民放射線測定室を
立ち上げるという話でした。そうして出荷を自主的に断念した有機農家さん
たちが、カンパを集めつつ、自前で数百万もする機械を買い、測定を
開始したのです。すでに二つの測定室とも、測定器が届いて、検査を開始して
います。ともに市民に大きく門戸を開いて展開しています。

実は今回の僕の訪問にはちょっとしたミッションがあります。二つの測定室向け
に京都でカンパを託されたのです。託してくださったのは、パレスチナの朗読劇
を行った「国境なき朗読者たち」=つばめ劇団の面々です。この場でもお知らせ
したように、昨年末に3回の講演を行ったのですが、その会場で得た入場料を、
被災地支援にあてることになり、幾つかの対象の中から、僕が推薦した二つの
測定室に託してくれることになりました。この件は、17日無事、ミッションを
終了した後にまた詳しい報告をしたいと思います。


みなさんにも、ぜひこの二つの測定室の「活用」、そして支援をお願いし
たいのですが、今日は、測定室を立ち上げたある方が、どんな思いでここまで
いたったのかを紹介したいと思います。「てとてと」立ち上げに関わったある方が、
年末に親しい方に送られたメールをご本人の承諾を得て、転載しますので、どうか
お読み下さい。

メールの中で、この方は、結局、農場を去る決意をしたことを述べています。
そしてそのあとに僕が個人的にいただいたメールには、農業を辞めるとも
書かれていました。僕はこの二つのメールを読んで泣きました。
でも、てとてとも、小さき花も、打ちひしがれているばかりではありません。
希望に向けて力強く、歩みだしています。17日、僕はその息吹を取材してきます!

**************

お元気ですか?

大変ご無沙汰しております。
ブログの更新も滞ってしまい、元気なの~?と心配の声もいただきましたが、
元気(?)です。

震災から9ヶ月たちました。皆様やご家族やご友人にも大変な状況になられたた
くさんの方がいると思います。お見舞い申し上げます。

3.11日、あの地震で私たちの住んでいる古い家はつぶれもせず、薪ストーブ
で暖もとれ、やっぱり自然は偉大だなあ、ありがたいなあと思ったのもつかの間、
福島の原発が爆発しました。

手回しラジオからの情報は「今すぐ影響はありません」
ここは福島原発からから約70キロ。
何がどのくらい危険なのか、まったくわからないまま、でも、ラジオから聞こえ
てくる沿岸部の悲惨な状況に「早く早く助けてあげて」と祈るばかりでした。

電気が復旧し、ネットがつながって、いろいろな情報を得ることが出来ました。
なんといっても、放射能のこと、原発のこと、たくさん調べました。
たくさんの情報が錯綜する中、政府や東電の言っていることよりも、以前から
原発や再処理工場に警告を発していた科学者や活動家の言い分の方が説得力が
あり、政府の言っていることがまるで国民を騙しているようにしか聞こえません
でした。

3月18日、仙台から新潟まで無料バスを用意したから今はとにかく逃げたほう
がいいと、知識も行動力もあるMさんから電話をいただきました。(Mさん夫妻は
いち早く仙台を出て、全国各地のネットワークから募金を集め、仙台と新潟の
無料バスを数台手配されていました。)

しかし、仙台まで行く足がなかった。電車もバスも動いてなく、ガソリンもあり
ませんでした。また、数日後には子供の小学校の卒業式が控えており、「自分だ
け逃げるのは一生の恥だ」と言う言葉。とりあえず、動くことが出来ないし、
子供の気持ちも考えて、留まることにしました。

卒業式終了後、ガソリンも入れることが出来、春休みの間、私の実家の岩手県
一関市に向かいました。今となっては、一関市はかなり放射能が降り注いだとい
うことがわかりますが、その時はまったく情報がなかった。

とにかく、どこにどのくらい放射能が降り注いだのか、原発はどのくらいやばい
のか、正しい情報はまったくわかりませんでした。
このままここで農業をしていいのか?子供達は?自分たちにもまったくわかりま
せんでした。そして、そのことを声に上げることが「風評被害だ」といわれた
時期でもありました。

まるで、第2次世界大戦末期の日本と同じでした。(今もそうですが)
「日本は負けん。絶対に勝つ」(放射能には負けない!絶対に勝つ)
「戦争に負けるという者は非国民だ」(放射能は危ないというものは風評被害だ)
「兵隊さんがこんなに頑張っているのだから我々はまだまだ我慢が足りない」
(福島県の放射線レベルに比べたら、このくらい我慢すべき)
考え方、立場の違いから溝が生まれました。
でも、よくよく考えてみれば、誰が悪いわけでもない。

隣町の福島により近い丸森町の友人たちは爆発があってからすぐに避難しました。
今まで本当に頑張って築き上げた手作りの家、借金して買った土地を置いて・・・。

3月は夏野菜の苗を育てる、大事な時です。
暖かくなるにつれて、どんどん野菜の種まきが始まります。
1万円だして、研究機関に土壌調査もお願いしました。
確実に土壌に放射能が存在することがわかりました。
土壌中1キロあたり690ベクレルのセシウムがありました。
ここから植物にどのくらい移行するのだろう?食べられるのか、食べられないのか。
わからないからって、やめたくない。食べられるかもしれないなら、とりあえず
播きたい。

春に畑にあった、菜の花を抜き取れば、除染になるのではないか。と考え、がん
ばって抜き取って、一輪車で運び出しました。(だれも入らないであろう奥の空
き地。高レベル放射能廃棄物置き場になってしまった)

しかし、この作業をしながら、農業者が一番被爆すると感じました。
簡単に「除染」といいますが、土を吸い込みます。土が爪の間に入ります。
放射能は土や埃のまわりにくっついています。

昨年はWWOOFという有機農業や持続可能な社会に関心のある方たちのネットワーク
にホストとして登録し、有機農業に関心のある人たちをホームステイして一緒に
農作業していただきました。昨年は日本、フランス、アメリカ、オランダ、オー
ストラリア、香港、台湾、から10人受け入れしました。
また、角田に来てから5年間、毎月、農的暮らしをテーマにワークショップも行
い、小さな子供たちもたくさん来てくれました。

一緒に土まみれになって、大地からのエネルギーをいただくことが喜びでした。
でも、これから子供を生む可能性のある人たちに今の状況でここで一緒に作業を
することは、自分にはできません。

宮城県南部の有機農業をやってる仲間と、東電や行政に細かな検査体制を求める
ために要望書を提出しました。しかし、まったく動きがありませんでした。そこ
で、その仲間たちと「みんなの放射能測定室てとてと」を立ち上げました。
この地で有機農業を何十年もやってきた北村さんや三田さんなど、本当に精力的
に動いてくださりました。私は、同じ価値観の人の側にいたい・・・というだけ
で、あまり何もできませんでしたが・・・。

「てとてと」は11月にオープンし、測定を重ねるにつれて、傾向がわかってき
ました。
粘土質の畑からの野菜からは意外なほど、放射能の移行は少ないのだなというこ
とがわかりました。
ベラルーシ製のAT1320という測定器はセシウム134セシウム137それぞ
れ検出限界10ベクレルです。10ベクレル以上のセシウムが出る野菜はほとん
どありません。土壌の資質が大きく関係しているようで、粘土質だと放射能が
土にキャッチされ、そのまま動かずにそこにいてくれるようです。同じ空間線量
でも砂地と粘土では、放射能の植物への移行係数が違うようです。このあたりは
粘土質の土壌が多いので、それも関係しているようです。

野生に近いもの、たけのこ、いのしし、山のきのこ、柿、お茶、栗、イチジク、
キウイ、などはセシウム検出されました。(10ベクレル以上は確実に測定さ
れます)

野生に近いものが放射能をたくさんつかんでくれました。人工的なハウス栽培や
水耕栽培が安全?
どっちにしろ、人間は弱くなっていくんだな、もう人間は地球にとっては必要な
いものなんだ。人間は地球から拒絶されたようなメッセージを受け取ってしまい、
かなりへこんでいました。

そのことを測定室のてとてとの仲間に愚痴ったら
「それでも生きていくんだよ」
「このままではいけないっていうメッセージで、変わるチャンスなんだよ」と。

しかも、Kさんは「米のとぎ汁乳酸菌で作った豆乳ヨーグルトを奥さんがこっそ
りいろんな料理にいれるからか、3.11よりも体調がいいんだ!」とのこと。
やっぱり微生物だ!発酵食品だ!
もう、俄然元気が出てきました。
それでも生きていく!って。

でも、ここでの農業はやめることにしました。
薪の灰から1キロ当たり2万ベクレルのセシウムが検出されまいた。

循環する暮らしをしたくて、少しでも、石油や電気に頼らないエネルギーの自給
をしたくての薪風呂、薪ストーブ生活でしたが、煙を吸い込むことが危険です。
今まで、灰は畑の肥料として田畑に撒いての循環する生活でしたが、放射能も
一緒に循環してしまう。

年度が替わるのを機に仙台あたりに引っ越すことを考えています。
これからまた町の中で循環する暮らしをするにはどうしたら良いのか。
やはり、土のある暮らしがしたいです。

原子力発電所や再処理工場が立地されるのは、仕事がない過疎地。
原発が建つことで、補助金が自治体に支払われ、原発関係の仕事が生まれる。
原発を立地しないたいためには、原発以外の仕事が必要で、だからこそ、
農業だ!地産地消で有機農業を中心とした産業が育つことが原発を地元に招か
ないことにつながる!と信じていました。

しかし、今、敗北感を感じています。

また、原発を卒業するために、自分に出来ることはなんだろう。
そんなことを考えています。

2011年12月






コメント (1)
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