守田です。(20120121 11:30)
「京都から東北へ」・・・これは今日、僕が京都弁護士会館でお話しするタイ
トルです。副題に「地震・津波・原発事故」とあります。僕自身が参加した
京都から東北へのかかわり、現地の被害と復旧の様子。そして原発事故による
放射能汚染の実態についてお話しますが、その準備をしていて、深い感慨にと
られられました。
そもそも僕の「京都から東北へ」の関わりの大事なきっかけを提供してくだ
さったのが、京都弁護士会に所属する島崎哲朗弁護士と、そのご友人なのでし
た。ことは、友人でサクセスランニングというランニングクラブを運営してい
る森拓哉さんの発案から始まります。ナラ枯れ問題で知り合った森さん、当初
から「明日に向けて」を読んでくれているのですが、はじめは被害の甚大さ、
漏れ出てしまった放射能の量に圧倒されて打ちひしがれてしまった。
しかし次第に自分にできることは何かと考え始め、自分はトライアスロンを
行ってきた。だから自転車に詳しい。それなら中古自転車を集めて、被災地に
送ろうと動き出しました。それで僕に京都市内で、自転車を集められるところ、
仮置き場にできるところはないかと相談してきたのです。4月のことでした。
森さんの動きに共感した僕の頭にすぐに浮かんだのは、京都大学の岡真理さん
の名前。広大な京大のキャンパスを岡さんの力で何とかしてもらおうとすぐに
電話をしました。しかし「ぜひ何とかしたいけれど、新入生が入ってくる時期
だから難しい。ごめんなさい」という返事が返ってきました。それは無理から
ぬこととあきらめ、他を探しているときに、再度、岡さんから電話が。「や
はり思い直していろいろあたってみたら、何とかなる可能性が出てきました」
と。これで自転車集めが具体化しだしました。
しかも岡さん、京都弁護士会の方たちとのML?に被災地向けの自転車募集の
お願いを投稿してくれました。すると島崎弁護士を経て、ある方から、「すい
ません。自転車はないのですが、自動車ならあるのですが・・・」というメー
ルが。すぐに岡さんから僕に電話があり、連絡をとってみて、車がイギリス製
のランドローバーという4輪駆動車であることが分かりました!
そのころ僕は、気仙沼のアビスさんという方と、メール・電話でつながってい
たのですが、「4駆自動車はいりますか」と連絡すると「ぜひ、ぜひ、ぜひ」と
いう答え。それで車を気仙沼被災地に送って役立ててもらうことにしました。
でもどうやって送るのか。そうだ、どうせなら自分が乗っていこう。乗って
いって、被災地の取材もしてこようと思い立ちました。5月のことでした。
そこでアビスさんと連絡して、敦賀港からフェリーで秋田に向かい、そこから
気仙沼をめざすルートを選択。僕としては意地でも福島原発で被曝したくなか
ったので、大きく迂回路をとることにしたのです。また一人で行くので、運転
期間を短くするための選択でした。しかし実際には、僕が敦賀港から出航した
まさにそのときに、敦賀原発が事故をおこして放射能が漏れ出し、その直近を
緩やかに航行していった僕もきっと被曝してしまったのに違いないのでした。
日本に安全なところなどないことを痛感しました・・・。
それはともあれ、そんなわけで僕は秋田に上陸し、アビスさんと合流しました。
実は秋田にはアビスさんの友人がたくさんいて、気仙沼に物資を送り込む基地
のようになっていました。僕もそこで秋田の方たちと合流。秋田大学で講演さ
せてもらいました。そのときに知り合ったのが、ネコさんこと、村上東さんら、
秋田で行動している方たち。後にこの方たちを中心に秋田で初めての脱原発
デモが行われました。村上さんは、僕の情報発信を繰り返し繰り返し、ツイッ
ター上でリツイートしてくださるので、たぶん、僕の発信は、一番、秋田
の地に届いているのではないかと思います!
その後、アビスさんと僕は、宮城県大崎市・仙台市を経由して、気仙沼市へ。
それぞれの地で講演を行い、たくさんの知り合いを増やし、ようやく気仙沼に
ついて、震災当初から被災者救援を始め、救援物資を細やかに配っていた
渡辺道徳さんと出合い、ランドローバーをお渡しできました。気仙沼ではたく
さんの方からの聞き取りも行いました。渡辺さん自身が、被災者からたくさん
のお話を聞いている方でした。聞くことが少しでも心の負担を減らすことに
なるのです。反対に聞いた側に負担が溜まる。だからそれをみんなでシェア
して分け合っていくことの大切さをしみじみと感じました。
ここでランドローバーとはお別れして、さらに僕とアビスさんが向かったのが
宮城県角田市のピースファームという農場でした。ここを経営しているのは
しょんつぁんと姫ちゃん!素敵なカップルです。有機農業を営んでいました。
そこに近郊の有機農家の方たちが集まってきた。双葉町から避難されている
ご夫婦や、南相馬から避難されているご夫婦も参加されていました。
ここでの出会いは僕にとって大変、思い出深いものになりました。角田市は
福島原発から60キロあまりの距離にあり、とても悲しいことに土壌が汚染さ
れていました。車で現地に着くと、もうみなさんが集まっていた。手に手に
ガイガーカウンターを持っていました。これまでの各地の訪問よりも、放射能
汚染と直面している緊迫感がありました。
僕はいきなり「守田さん。俺らここで農業を続けていっていいだべか」と
聞かれた。僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。そうしたらみんな
「あ、つまってる、つまってる」と言って笑いました。僕は言葉を飲み込んで
から、「とにかく汚染の実態を測って知りましょう」とこたえました。
さらにしょんつぁん・ひめちゃんの素敵な家の中に入って、講演をさせても
らいました。その質疑応答のときのこと、双葉町から来てくださった大工の
棟梁、目黒さんのお連れ合いのとみ子さんが、次のように言われました。
「私は故郷に帰れる割合が5割。帰れない割合が5割だと思っています。どうな
りますか。守田さん、はっきりおっしゃってください・・・」
「きた!」と僕は思いました。いかにお答えするか、僕自身が問われている。
僕はこう答えました。「大変申し訳ないですが、僕は帰れないと思います」。
60歳を越えているであろう、とみ子さんは、こうおっしゃいました。「そう
やって、はっきりと言ってくだされば、私たちも気持ちに踏ん切りをつけて
次に向かうことができます。ありがとうございました」。
僕の気持ちの中になんともいえない感情が沸き起こりました。とみ子さんの
強い気持が、真実を伝えようとする勇気をしっかりと受け止めて下さったこと
を感じ、とてもありがたい気持ちがしました。同時に、どうしようもなく、
悲しい気持ちに襲われました。僕にとってこのときのことは、その後の自分の
行動を支える一つの原点になっています。
ちなみにとみ子さんとはその後の8月のピースファームの訪問のときにもお会い
することができました。僕が来ると知ってわざわざ来てくださったのです。
暑いさなかにテント生活をされていると聞いていたので、開口一番、「お体の
調子はいかがですか」と聞いたのですが、とみ子さん、「もう数ヶ月が経ちま
した。この年になってまあ・・・」とそこでいったん言葉を区切られた。
僕は「この年になってまあ、こんなに苦労するとは」と言う言葉が続くのだと
思って、奥歯をかみ締めて次の言葉を待ちました。するととみ子さんはこう
続けられました。「この年になってまあ・・・こんなにたくさんの人の温かい
気持ちに触れようとは思ってもいませんでした。素晴らしい体験をさせても
らいました」・・・また泣きたくなってしまいました。今度はとみ子さんの
温かくしなやかで強い気持ちに感動して、涙腺が破れそうになってしまった
のです。
さて5月のピースファームでの討論に話を戻します。放射能の危険性を討論
の中でこれまでにも増してきちんとつかんだみなさんと話をしたのは、とに
かく放射線測定を進めましょうということでした。「よし、百姓がそこいら
中を測ってやるべか」「凄いことになるな」なんて声も飛び出してきました。
そうして実際にこの方たちは、その後、土壌の調査などを推し進め、やがて
自ら高価な計測器を購入して市民放射線測定室を立ち上げていくことを決定
していきます。こうしてこの輪の中から、「みんなの市民放射線測定室てと
てと」と「小さき花市民の放射能測定室」が生まれました。
今回の僕の東北への旅でも、この二箇所を訪れましたが、みなさん、さらに
着実に歩みを進めておられました。この点、詳しい記事をまた書きます。
このように振り返ってみると、京都から東北への僕の関わりは、不思議な縁の
連鎖の中でつながってきました。しかも驚いたことは、行く先々の方が、度々、
古くからの知り合いを共有していたり、何かで事前につながっていたりした
ことでした。だから何か懐かしい旧友との出会いのような体験をたくさんしま
した。
そしてそこに共通に流れる思いは、もうここいらで、本当に、この世の流れを
変えていこう、人間的で温かい何か、本当の豊かさといえるものをつむぎだし
ていこうという思いでした。僕は今、どこにいっても、その思いをともに抱け
る実感、ある種の安心感のようなものを感じます。それが今、私たちの国を確
かに覆いだしていることを僕は感じます。
その意味で、「京都から東北へ」僕は「支援」や「援助」に赴いているのでは
ありません。世の中を温かい方向に向けかえる事業をともにするために赴いて
いるのです。そしてその流れを作り出すことに、一歩も二歩も進んでいるかの
地の方々に学ぶために、僕は通い続けています。今日の講演でも、僕はその
ことを訴えようと思います。お時間のある方はお越しください!
以下、22日、23日の企画を含めて、本日の企画をご紹介します。
*****************
◇1月21日 京都弁護士会館地階大ホール◇
当会の「人権救済基金制度」という法律援助事業を、もっと多くの市民に知っ
て頂くため、「第16回 法律援助を広げる市民のつどい」を開催します。
内容は以下のとおりです。制度説明や事例報告の他に、フリーライターの守田
敏也氏に「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」をテーマとした講演を
行って頂きます。また、中国琵琶親子演奏のミニコンサートも予定しています。
事前予約や参加費は不要ですので、皆さんどうぞお気軽にお越し下さい。
http://www.kyotoben.or.jp/event.cfm
● 日 時
2012年(平成24年)1月21日(土)
開場:午後1時 開演:午後1時30分
● 場 所
京都弁護士会
京都市中京区富小路通丸太町下ル
● 内 容
◆人権救済基金等についての説明
◆人権救済基金利用者からの報告
◆ミニコンサート(中国琵琶親子演奏)
◆講演 守田敏也氏 「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」
★☆★参加無料★☆★
問い合わせ
京都市弁護士会館
075-231-2378
***
いただきますカフェ
次回のカフェトークでは、内部被爆のエキスパート守田敏也さんに来ていただ
ます。とても分かりやすく放射能問題や内部被爆について話してくださる守田
さんは、東日本大震災以降、原発事故問題をおいかけ、現地に行ったり呼ばれ
た先でお話ししたりと、とても精力的に活動しておられます。気さくなお人柄
で今回私たちのカフェにも来ていただけることになりました!
福島から遠いと思っていても、食物の流通によって関西圏に住む私達も内部被
爆の危険にさらされています。そして、放射能汚染された震災ガレキの受け入
れを自治体が決定したら外部被爆の問題も・・・
また、原発銀座 若狭湾の原発が事故を起こさないと断言できますか?
琵琶湖も京都も大飯原発から80km圏内にすっぽり入ってしまいます。
放射能に関する色々な情報が錯綜する中、正しい知識で身を守りたいですね。
守田敏也(もりたとしや):
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライター。社会的共通資本の研究を進める一方、311以降は原発事故問題をおい
かけている。
日時:1月22日(日) 14:00-17:00
(14:00-15:30お話 15:30-17:00 お茶しながらの交流タイム)
場所: 京都市白川児童館横 コミュニティスペース
参加費(カンパ):投げ銭(500円ぐらい)
お問合せ:岡田喜美子 tel:090-6060-3674, mail: inokimi699@k.vodafone.ne.jp
主催:給食の安全を考える三錦父母の会
小学生以上は隣の学童、小さいお子さんは横で遊ばすことができるので、子連れ
でも参加できます♪みんなで楽しく学びましょう。
「京都から東北へ」・・・これは今日、僕が京都弁護士会館でお話しするタイ
トルです。副題に「地震・津波・原発事故」とあります。僕自身が参加した
京都から東北へのかかわり、現地の被害と復旧の様子。そして原発事故による
放射能汚染の実態についてお話しますが、その準備をしていて、深い感慨にと
られられました。
そもそも僕の「京都から東北へ」の関わりの大事なきっかけを提供してくだ
さったのが、京都弁護士会に所属する島崎哲朗弁護士と、そのご友人なのでし
た。ことは、友人でサクセスランニングというランニングクラブを運営してい
る森拓哉さんの発案から始まります。ナラ枯れ問題で知り合った森さん、当初
から「明日に向けて」を読んでくれているのですが、はじめは被害の甚大さ、
漏れ出てしまった放射能の量に圧倒されて打ちひしがれてしまった。
しかし次第に自分にできることは何かと考え始め、自分はトライアスロンを
行ってきた。だから自転車に詳しい。それなら中古自転車を集めて、被災地に
送ろうと動き出しました。それで僕に京都市内で、自転車を集められるところ、
仮置き場にできるところはないかと相談してきたのです。4月のことでした。
森さんの動きに共感した僕の頭にすぐに浮かんだのは、京都大学の岡真理さん
の名前。広大な京大のキャンパスを岡さんの力で何とかしてもらおうとすぐに
電話をしました。しかし「ぜひ何とかしたいけれど、新入生が入ってくる時期
だから難しい。ごめんなさい」という返事が返ってきました。それは無理から
ぬこととあきらめ、他を探しているときに、再度、岡さんから電話が。「や
はり思い直していろいろあたってみたら、何とかなる可能性が出てきました」
と。これで自転車集めが具体化しだしました。
しかも岡さん、京都弁護士会の方たちとのML?に被災地向けの自転車募集の
お願いを投稿してくれました。すると島崎弁護士を経て、ある方から、「すい
ません。自転車はないのですが、自動車ならあるのですが・・・」というメー
ルが。すぐに岡さんから僕に電話があり、連絡をとってみて、車がイギリス製
のランドローバーという4輪駆動車であることが分かりました!
そのころ僕は、気仙沼のアビスさんという方と、メール・電話でつながってい
たのですが、「4駆自動車はいりますか」と連絡すると「ぜひ、ぜひ、ぜひ」と
いう答え。それで車を気仙沼被災地に送って役立ててもらうことにしました。
でもどうやって送るのか。そうだ、どうせなら自分が乗っていこう。乗って
いって、被災地の取材もしてこようと思い立ちました。5月のことでした。
そこでアビスさんと連絡して、敦賀港からフェリーで秋田に向かい、そこから
気仙沼をめざすルートを選択。僕としては意地でも福島原発で被曝したくなか
ったので、大きく迂回路をとることにしたのです。また一人で行くので、運転
期間を短くするための選択でした。しかし実際には、僕が敦賀港から出航した
まさにそのときに、敦賀原発が事故をおこして放射能が漏れ出し、その直近を
緩やかに航行していった僕もきっと被曝してしまったのに違いないのでした。
日本に安全なところなどないことを痛感しました・・・。
それはともあれ、そんなわけで僕は秋田に上陸し、アビスさんと合流しました。
実は秋田にはアビスさんの友人がたくさんいて、気仙沼に物資を送り込む基地
のようになっていました。僕もそこで秋田の方たちと合流。秋田大学で講演さ
せてもらいました。そのときに知り合ったのが、ネコさんこと、村上東さんら、
秋田で行動している方たち。後にこの方たちを中心に秋田で初めての脱原発
デモが行われました。村上さんは、僕の情報発信を繰り返し繰り返し、ツイッ
ター上でリツイートしてくださるので、たぶん、僕の発信は、一番、秋田
の地に届いているのではないかと思います!
その後、アビスさんと僕は、宮城県大崎市・仙台市を経由して、気仙沼市へ。
それぞれの地で講演を行い、たくさんの知り合いを増やし、ようやく気仙沼に
ついて、震災当初から被災者救援を始め、救援物資を細やかに配っていた
渡辺道徳さんと出合い、ランドローバーをお渡しできました。気仙沼ではたく
さんの方からの聞き取りも行いました。渡辺さん自身が、被災者からたくさん
のお話を聞いている方でした。聞くことが少しでも心の負担を減らすことに
なるのです。反対に聞いた側に負担が溜まる。だからそれをみんなでシェア
して分け合っていくことの大切さをしみじみと感じました。
ここでランドローバーとはお別れして、さらに僕とアビスさんが向かったのが
宮城県角田市のピースファームという農場でした。ここを経営しているのは
しょんつぁんと姫ちゃん!素敵なカップルです。有機農業を営んでいました。
そこに近郊の有機農家の方たちが集まってきた。双葉町から避難されている
ご夫婦や、南相馬から避難されているご夫婦も参加されていました。
ここでの出会いは僕にとって大変、思い出深いものになりました。角田市は
福島原発から60キロあまりの距離にあり、とても悲しいことに土壌が汚染さ
れていました。車で現地に着くと、もうみなさんが集まっていた。手に手に
ガイガーカウンターを持っていました。これまでの各地の訪問よりも、放射能
汚染と直面している緊迫感がありました。
僕はいきなり「守田さん。俺らここで農業を続けていっていいだべか」と
聞かれた。僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。そうしたらみんな
「あ、つまってる、つまってる」と言って笑いました。僕は言葉を飲み込んで
から、「とにかく汚染の実態を測って知りましょう」とこたえました。
さらにしょんつぁん・ひめちゃんの素敵な家の中に入って、講演をさせても
らいました。その質疑応答のときのこと、双葉町から来てくださった大工の
棟梁、目黒さんのお連れ合いのとみ子さんが、次のように言われました。
「私は故郷に帰れる割合が5割。帰れない割合が5割だと思っています。どうな
りますか。守田さん、はっきりおっしゃってください・・・」
「きた!」と僕は思いました。いかにお答えするか、僕自身が問われている。
僕はこう答えました。「大変申し訳ないですが、僕は帰れないと思います」。
60歳を越えているであろう、とみ子さんは、こうおっしゃいました。「そう
やって、はっきりと言ってくだされば、私たちも気持ちに踏ん切りをつけて
次に向かうことができます。ありがとうございました」。
僕の気持ちの中になんともいえない感情が沸き起こりました。とみ子さんの
強い気持が、真実を伝えようとする勇気をしっかりと受け止めて下さったこと
を感じ、とてもありがたい気持ちがしました。同時に、どうしようもなく、
悲しい気持ちに襲われました。僕にとってこのときのことは、その後の自分の
行動を支える一つの原点になっています。
ちなみにとみ子さんとはその後の8月のピースファームの訪問のときにもお会い
することができました。僕が来ると知ってわざわざ来てくださったのです。
暑いさなかにテント生活をされていると聞いていたので、開口一番、「お体の
調子はいかがですか」と聞いたのですが、とみ子さん、「もう数ヶ月が経ちま
した。この年になってまあ・・・」とそこでいったん言葉を区切られた。
僕は「この年になってまあ、こんなに苦労するとは」と言う言葉が続くのだと
思って、奥歯をかみ締めて次の言葉を待ちました。するととみ子さんはこう
続けられました。「この年になってまあ・・・こんなにたくさんの人の温かい
気持ちに触れようとは思ってもいませんでした。素晴らしい体験をさせても
らいました」・・・また泣きたくなってしまいました。今度はとみ子さんの
温かくしなやかで強い気持ちに感動して、涙腺が破れそうになってしまった
のです。
さて5月のピースファームでの討論に話を戻します。放射能の危険性を討論
の中でこれまでにも増してきちんとつかんだみなさんと話をしたのは、とに
かく放射線測定を進めましょうということでした。「よし、百姓がそこいら
中を測ってやるべか」「凄いことになるな」なんて声も飛び出してきました。
そうして実際にこの方たちは、その後、土壌の調査などを推し進め、やがて
自ら高価な計測器を購入して市民放射線測定室を立ち上げていくことを決定
していきます。こうしてこの輪の中から、「みんなの市民放射線測定室てと
てと」と「小さき花市民の放射能測定室」が生まれました。
今回の僕の東北への旅でも、この二箇所を訪れましたが、みなさん、さらに
着実に歩みを進めておられました。この点、詳しい記事をまた書きます。
このように振り返ってみると、京都から東北への僕の関わりは、不思議な縁の
連鎖の中でつながってきました。しかも驚いたことは、行く先々の方が、度々、
古くからの知り合いを共有していたり、何かで事前につながっていたりした
ことでした。だから何か懐かしい旧友との出会いのような体験をたくさんしま
した。
そしてそこに共通に流れる思いは、もうここいらで、本当に、この世の流れを
変えていこう、人間的で温かい何か、本当の豊かさといえるものをつむぎだし
ていこうという思いでした。僕は今、どこにいっても、その思いをともに抱け
る実感、ある種の安心感のようなものを感じます。それが今、私たちの国を確
かに覆いだしていることを僕は感じます。
その意味で、「京都から東北へ」僕は「支援」や「援助」に赴いているのでは
ありません。世の中を温かい方向に向けかえる事業をともにするために赴いて
いるのです。そしてその流れを作り出すことに、一歩も二歩も進んでいるかの
地の方々に学ぶために、僕は通い続けています。今日の講演でも、僕はその
ことを訴えようと思います。お時間のある方はお越しください!
以下、22日、23日の企画を含めて、本日の企画をご紹介します。
*****************
◇1月21日 京都弁護士会館地階大ホール◇
当会の「人権救済基金制度」という法律援助事業を、もっと多くの市民に知っ
て頂くため、「第16回 法律援助を広げる市民のつどい」を開催します。
内容は以下のとおりです。制度説明や事例報告の他に、フリーライターの守田
敏也氏に「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」をテーマとした講演を
行って頂きます。また、中国琵琶親子演奏のミニコンサートも予定しています。
事前予約や参加費は不要ですので、皆さんどうぞお気軽にお越し下さい。
http://www.kyotoben.or.jp/event.cfm
● 日 時
2012年(平成24年)1月21日(土)
開場:午後1時 開演:午後1時30分
● 場 所
京都弁護士会
京都市中京区富小路通丸太町下ル
● 内 容
◆人権救済基金等についての説明
◆人権救済基金利用者からの報告
◆ミニコンサート(中国琵琶親子演奏)
◆講演 守田敏也氏 「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」
★☆★参加無料★☆★
問い合わせ
京都市弁護士会館
075-231-2378
***
いただきますカフェ
次回のカフェトークでは、内部被爆のエキスパート守田敏也さんに来ていただ
ます。とても分かりやすく放射能問題や内部被爆について話してくださる守田
さんは、東日本大震災以降、原発事故問題をおいかけ、現地に行ったり呼ばれ
た先でお話ししたりと、とても精力的に活動しておられます。気さくなお人柄
で今回私たちのカフェにも来ていただけることになりました!
福島から遠いと思っていても、食物の流通によって関西圏に住む私達も内部被
爆の危険にさらされています。そして、放射能汚染された震災ガレキの受け入
れを自治体が決定したら外部被爆の問題も・・・
また、原発銀座 若狭湾の原発が事故を起こさないと断言できますか?
琵琶湖も京都も大飯原発から80km圏内にすっぽり入ってしまいます。
放射能に関する色々な情報が錯綜する中、正しい知識で身を守りたいですね。
守田敏也(もりたとしや):
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライター。社会的共通資本の研究を進める一方、311以降は原発事故問題をおい
かけている。
日時:1月22日(日) 14:00-17:00
(14:00-15:30お話 15:30-17:00 お茶しながらの交流タイム)
場所: 京都市白川児童館横 コミュニティスペース
参加費(カンパ):投げ銭(500円ぐらい)
お問合せ:岡田喜美子 tel:090-6060-3674, mail: inokimi699@k.vodafone.ne.jp
主催:給食の安全を考える三錦父母の会
小学生以上は隣の学童、小さいお子さんは横で遊ばすことができるので、子連れ
でも参加できます♪みんなで楽しく学びましょう。