守田です。(20110104 23:30)
友人の岡真理さんが、岩波書店HPの「311を心に刻んで」というコーナーに一文を投稿
してくださったのですが、とても共感したので、みなさんに紹介したいと思います。
「人間は決してあのように死んではならない」「ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は
知っているかい。祖国とは、このようなことが決して起きないということなのだよ」とい
う二つの文章が冒頭に引用され、それがそのままこの一文の表題になっています。双方と
もにとても強く胸を打たれるのですが、僕はとくに「人間は決してあのように死んではな
らない」という言葉に目を奪われました。
岡さんは、2009年の暮れから行われたイスラエルのガザ攻撃について書いています。連日
行われたミサイルと砲弾の猛攻撃で、ガザには遺体が溢れていきました。その遺体を収容
しようとした人々までが次々と犠牲になっていった。そうしてガザには弔うことのできな
い遺体が溢れていったのでした。岡さんはこのことと、福島原発事故により、瓦礫ととも
に放置された原発周辺の人々の遺体のことを重ね合わせて書いています。まさに「人間は
けしてあのように死んではならない」のです。
僕はこの一文に、さらに明治維新のときに、やはり遺体を片付けることを許されなかった
人々のことを重ねざるをえませんでした。それは鳥羽伏見の戦いに敗れた会津藩士たちを
中心とする幕府軍であり、さらに官軍による攻城戦の末に会津若松城で散っていった会津
の人々でした。これらの人々もまた、「天皇陛下に逆らった」という理由で、遺体を片付
けることすら許されず、カラスがついばみ、野犬があさるに任されたのでした。
そのような蛮行の末に、明治政府の礎は作られた。会津は占領され、新たにできた「福島
県」の県庁所在地は、会津ではなく「福島市」に置かれました。占領は会津藩に味方して
奥羽列藩同盟を形成して、「南北戦争」を戦った東北全土に及びました。以降、日本は東
北からの搾取と収奪の上に、「列強」への仲間入りを果たし、中国大陸への侵略、そして
太平洋戦争へと野蛮を拡大させていきます。
第二次世界大戦の敗北は、こうした歴史に歯止めをかけはしました。しかし反省は非常に
中途半端なままにしかなされなかった。かくして戦後の高度経済成長も東北に大きな負担
をかけながら強行されました。そうした中の顕著な例の一つが、東京電力の管内の外にあ
ある福島県に、巨大な原発サイトが作られて、東京への電力供給が行われたことでした。
東北電力の電気で動いている福島原発が、東京に送電を続ける。このことに、この国が明
治維新以降、連綿と続けてきた矛盾が象徴されているように思えます。
2012年はこの流れを変える年にしなければいけない。脱原発の流れは、人が人を差別し、
抑圧する流れからの決別としてなされなければいけない。そう思います。だからこそ私た
ちはまさに今、「人間は決してあのように死んではならない」という言葉を心に刻む必要
があるのだと思います。それはこれからもいえることです。「決してあのように死んでは
ならない」といわざるを得ないような死、放射能による悲惨で悲しい死を、私たちは少し
でも食い止めなければいけない。
そんな思いをともにするために、どうか岡さんの以下の文章をお読みください。
***************
人間は決してあのように死んではならない
(石原吉郎「確認されない死のなかで」『望郷と海』ちくま学芸文庫)
ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は知っているかい。祖国とは、このようなこと
が決して起きないということなのだよ
(ガッサーン・カナファーニー『ハイファーに戻って』岡真理訳)
三年前の一二月、突如始まったイスラエルのガザ攻撃。封鎖されたガザに閉じ込められ
た人々の頭上に、空から海から陸から、ミサイルと砲弾の雨が二二日間にわたり降り注い
だ。救急医療者も狙い撃ちにされた。何十名もの救急医療者が次々と殺される中、それで
も彼らは人命救助を止めなかった。第二次インティファーダの時もそうだった。パレスチ
ナ人にはテロの文化的遺伝子があるのだ、命を大切に思う気持ちがないのだとイスラエル
でまことしやかに囁かれていた頃、彼らは、他者の命を救うために自らを犠牲にしていた
のだった。いや、負傷者を助けるためだけではない。彼らは、爆撃で亡くなった者たちの
遺体を回収するさなかにも殺されていた。空爆下のガザから日々発信されたある大学教授
の一連のメールには、爆撃の継続のため回収できずに野原に、瓦礫の下に放置された遺体
の記述が随所に登場する。死者を適切に弔うことはあらゆる文化、社会に普遍的なことだ
が、とりわけイスラームにおいては、遺体が戸外に放置されるなど人間として許すまじき
こととされる。痛ましい死であればなお、死者は手厚く弔われなければならない、その尊
厳を回復しなければならない。その亡骸がたとえ一日であれ野ざらしにされるなど、あっ
てはならないのだ。
シベリアに抑留され、収容所でこと切れた仲間の遺体――冷たく固く凍りついたそれ
――を、掘った穴に次々と投げいれながら――それが弔いだった――詩人の石原吉郎はの
ちに、人間とは決してあのように死んではならないと書いた。
今、想う。避難区域に指定されたために、弔われることなく一カ月の長きにわたり、路
上に瓦礫とともに放置されねばならなかった福島の死者たちのことを。人間とは、決して、
あのように死んではならない。私たちは忘れてはならない、何が、自然の猛威によって痛
ましく亡くなったこれらの者たちの人間としての尊厳を、その死後において、かくまでに
傷つけることになったのかを。やがて国家は、三月一一日がめぐり来るたびにその死者た
ちを追悼するかもしれない。だが、忘れてはならない。この国家の真の姿とは、あの三月
から四月にかけて、瓦礫とともに路上に置かれていた死者たちの見えぬ目にこそ映ってい
たものであることを、そのもの言わぬ口こそが証言していたものであることを。
(おかまり・現代アラブ文学研究者)
http://www.iwanami.co.jp/311/index.html
***************
なお岡さんの名文を紹介した以下のページもぜひお読みください。
明日に向けて(127)山羊と原爆
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/56fd3f8ba70ee8c70b8a4bf35baf4a65
明治維新と東北については以下を
明日に向けて(150)東北の位置づけ変え自立を(河北新報社説より)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b1c44d586228246fd43be99ddd561d52
友人の岡真理さんが、岩波書店HPの「311を心に刻んで」というコーナーに一文を投稿
してくださったのですが、とても共感したので、みなさんに紹介したいと思います。
「人間は決してあのように死んではならない」「ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は
知っているかい。祖国とは、このようなことが決して起きないということなのだよ」とい
う二つの文章が冒頭に引用され、それがそのままこの一文の表題になっています。双方と
もにとても強く胸を打たれるのですが、僕はとくに「人間は決してあのように死んではな
らない」という言葉に目を奪われました。
岡さんは、2009年の暮れから行われたイスラエルのガザ攻撃について書いています。連日
行われたミサイルと砲弾の猛攻撃で、ガザには遺体が溢れていきました。その遺体を収容
しようとした人々までが次々と犠牲になっていった。そうしてガザには弔うことのできな
い遺体が溢れていったのでした。岡さんはこのことと、福島原発事故により、瓦礫ととも
に放置された原発周辺の人々の遺体のことを重ね合わせて書いています。まさに「人間は
けしてあのように死んではならない」のです。
僕はこの一文に、さらに明治維新のときに、やはり遺体を片付けることを許されなかった
人々のことを重ねざるをえませんでした。それは鳥羽伏見の戦いに敗れた会津藩士たちを
中心とする幕府軍であり、さらに官軍による攻城戦の末に会津若松城で散っていった会津
の人々でした。これらの人々もまた、「天皇陛下に逆らった」という理由で、遺体を片付
けることすら許されず、カラスがついばみ、野犬があさるに任されたのでした。
そのような蛮行の末に、明治政府の礎は作られた。会津は占領され、新たにできた「福島
県」の県庁所在地は、会津ではなく「福島市」に置かれました。占領は会津藩に味方して
奥羽列藩同盟を形成して、「南北戦争」を戦った東北全土に及びました。以降、日本は東
北からの搾取と収奪の上に、「列強」への仲間入りを果たし、中国大陸への侵略、そして
太平洋戦争へと野蛮を拡大させていきます。
第二次世界大戦の敗北は、こうした歴史に歯止めをかけはしました。しかし反省は非常に
中途半端なままにしかなされなかった。かくして戦後の高度経済成長も東北に大きな負担
をかけながら強行されました。そうした中の顕著な例の一つが、東京電力の管内の外にあ
ある福島県に、巨大な原発サイトが作られて、東京への電力供給が行われたことでした。
東北電力の電気で動いている福島原発が、東京に送電を続ける。このことに、この国が明
治維新以降、連綿と続けてきた矛盾が象徴されているように思えます。
2012年はこの流れを変える年にしなければいけない。脱原発の流れは、人が人を差別し、
抑圧する流れからの決別としてなされなければいけない。そう思います。だからこそ私た
ちはまさに今、「人間は決してあのように死んではならない」という言葉を心に刻む必要
があるのだと思います。それはこれからもいえることです。「決してあのように死んでは
ならない」といわざるを得ないような死、放射能による悲惨で悲しい死を、私たちは少し
でも食い止めなければいけない。
そんな思いをともにするために、どうか岡さんの以下の文章をお読みください。
***************
人間は決してあのように死んではならない
(石原吉郎「確認されない死のなかで」『望郷と海』ちくま学芸文庫)
ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は知っているかい。祖国とは、このようなこと
が決して起きないということなのだよ
(ガッサーン・カナファーニー『ハイファーに戻って』岡真理訳)
三年前の一二月、突如始まったイスラエルのガザ攻撃。封鎖されたガザに閉じ込められ
た人々の頭上に、空から海から陸から、ミサイルと砲弾の雨が二二日間にわたり降り注い
だ。救急医療者も狙い撃ちにされた。何十名もの救急医療者が次々と殺される中、それで
も彼らは人命救助を止めなかった。第二次インティファーダの時もそうだった。パレスチ
ナ人にはテロの文化的遺伝子があるのだ、命を大切に思う気持ちがないのだとイスラエル
でまことしやかに囁かれていた頃、彼らは、他者の命を救うために自らを犠牲にしていた
のだった。いや、負傷者を助けるためだけではない。彼らは、爆撃で亡くなった者たちの
遺体を回収するさなかにも殺されていた。空爆下のガザから日々発信されたある大学教授
の一連のメールには、爆撃の継続のため回収できずに野原に、瓦礫の下に放置された遺体
の記述が随所に登場する。死者を適切に弔うことはあらゆる文化、社会に普遍的なことだ
が、とりわけイスラームにおいては、遺体が戸外に放置されるなど人間として許すまじき
こととされる。痛ましい死であればなお、死者は手厚く弔われなければならない、その尊
厳を回復しなければならない。その亡骸がたとえ一日であれ野ざらしにされるなど、あっ
てはならないのだ。
シベリアに抑留され、収容所でこと切れた仲間の遺体――冷たく固く凍りついたそれ
――を、掘った穴に次々と投げいれながら――それが弔いだった――詩人の石原吉郎はの
ちに、人間とは決してあのように死んではならないと書いた。
今、想う。避難区域に指定されたために、弔われることなく一カ月の長きにわたり、路
上に瓦礫とともに放置されねばならなかった福島の死者たちのことを。人間とは、決して、
あのように死んではならない。私たちは忘れてはならない、何が、自然の猛威によって痛
ましく亡くなったこれらの者たちの人間としての尊厳を、その死後において、かくまでに
傷つけることになったのかを。やがて国家は、三月一一日がめぐり来るたびにその死者た
ちを追悼するかもしれない。だが、忘れてはならない。この国家の真の姿とは、あの三月
から四月にかけて、瓦礫とともに路上に置かれていた死者たちの見えぬ目にこそ映ってい
たものであることを、そのもの言わぬ口こそが証言していたものであることを。
(おかまり・現代アラブ文学研究者)
http://www.iwanami.co.jp/311/index.html
***************
なお岡さんの名文を紹介した以下のページもぜひお読みください。
明日に向けて(127)山羊と原爆
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/56fd3f8ba70ee8c70b8a4bf35baf4a65
明治維新と東北については以下を
明日に向けて(150)東北の位置づけ変え自立を(河北新報社説より)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b1c44d586228246fd43be99ddd561d52