明日に向けて

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明日に向けて(1217)ファシズムに負けないために―「テロ」という言葉の使用にもっと慎重であるべきだ!

2016年02月23日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160223 22:00)

ファシズムを打ち破るための考察の3回目です。今回も「テロ」という言葉についての考察を続けます。
まず紹介したいのは、昨年初頭、後藤健二さんと湯川遥菜さんがIS(イスラム国)に拘束されていた時に、宮田律さん(現代イスラム研究センター理事長)が発した提言です。
「テロ」という言葉の意味するところを非常に端的に指摘されています。

 イスラム国をめぐって 「テロ」という言葉の使用にもっと慎重であるべきだ
 宮田律 現代イスラム研究センター理事長 
 The Huffington Post 投稿日: 2015年01月21日 14時52分 JST   更新: 2015年03月22日 18時12分 JST
 http://www.huffingtonpost.jp/osamu-miyata/islamic-state_b_6513010.html?utm_hp_ref=japan

 イスラム世界では、日本が米国との戦争に敗れても戦後目覚ましい発展を遂げたこと、日本の自動車、家電、カメラなどの精密機械など日本のテクノロジーへの篤い信頼がある。「日本人は頭のよい国民だ」という発言にはイスラム世界で数多く接する。
 そのイスラム世界の日本への感情が曇り、今回のように日本人が拘束され、身代金を要求されるようになった背景には、日本の「対テロ戦争」への協力がある。
 「対テロ戦争」の一貫として行われたイラク戦争はイラクが大量破壊兵器を保有しているということが開戦の口実であったが、その後大量破壊兵器は見つからず、イラクは政治的安定を一挙に失い、「イスラム国」の台頭など深い混迷の中にある。
 日本の政府関係者は「テロ」という言葉の使用についてもっと慎重であるべきだ。
 「テロに屈しない」「米国のテロとの戦いを支持する」などの発言は欧米諸国にとっては心地よく響くかもしれないが、「テロ」が「暴力」とするならば、イラク戦争やアフガニスタン戦争で「イスラム国」以上に市民の犠牲者をもたらしている。
 イスラエルと戦闘をするレバノンのヒズボラ、パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラを、イスラエルのように「テロ集団」と考えるイスラム世界の人々はごくまれだろう。

 引用は以上

ここでは大変重要な二つのことが指摘されています。一つにイスラム世界はこれまで日本への信頼が極めて高かったことです。
二つにその信頼が「対テロ戦争」への協力で崩れつつあることです。なぜか。前回にも見てきたように「テロ」を政治目的をもった「暴力」の行使とするならば、イラク戦争やアフガニスタン戦争で、アメリカこそが最もひどい暴力を振るったからです。
いやその暴力は今も継続されています。アフガニスタンには今も米兵が派遣されたまま。またイラクやシリアに対しても米軍が連日無差別爆撃を繰り返しています。

そもそもアフガニスタン侵攻の理由は何だったのでしょうか。ニューヨークの911事件後にアメリカはオサマ・ビン・ラディンを首謀者と断定。アフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを要求しました。
これに対してタリバンは「彼が犯人だと言うのなら証拠を示して欲しい。証拠がないのに引き渡しはできない」と真っ当な回答をしただけなのに、わずか一月後にアメリカ軍がアフガニスタンに殺到。瞬く間にタリバン政権を瓦解させてしまいました。
このときアフガニスタンは干ばつによって絶望的な食糧難にあえいでおり、それこそ「国際社会」からの援助を待っている段階でした。その最貧国のアフガニスタンに世界でもっとも富める国の軍隊が無慈悲に攻め込んだのでした。

しかもアメリカはまるで兵器の見本市とでも呼べるような攻撃を敢行しました。タリバン政権がもっている軍事力などほんの小さなものでしかないのに、アメリカは核兵器以外の最新兵器のすべてを投入しました。
この一方的な攻撃でタリバンの兵士たちが殺され、さらに多数の民間人が犠牲になりました。干ばつに襲われたアフガンの大地に、雨あられと弾丸が注がれました。「鉄の暴風雨」と呼ばれた沖縄戦をはるかに凌ぐ猛攻撃でした。
これ以降、アメリカは自らの意に沿うカイライ政権を作りましたが、アフガンの人々の支持を得られず、内戦状態が続き、アメリカ軍も駐留したままです。アメリカの理不尽な軍事介入がかの地の平和を壊したままなのです。

アフガニスタンにこのような軍事侵攻を行ったアメリカは、さらに「対テロ戦争」の拡張として2003年にイラクに攻め込みました。
この時は国連内で中国、ロシア、フランス、ドイツなどの反対しましたが、それすらおしきり、米英軍の独自行動として侵攻を行いました。理由はイラクが「大量破壊兵器」を隠し持っているということでした。
アメリカはそれまでさんざん核査察を行い、イラク国内を調べ尽くしていたのに、全面侵攻を行いました。この戦闘でもアメリカは無差別殺りくを繰り返し、結局、イラク社会の安定の基礎を粉々にしてしまいました。

何度も言いますが、そんなアメリカが繰り返す「テロに屈しない」という言葉をおうむ返しすることは、この理不尽な暴力と殺人を全面肯定することにしかなりません。一方的なアメリカの暴力のみへの加担であり、あまりに偏向しているのです。
宮田さんはこのことを深く憂い「日本の政府関係者は「テロ」という言葉の使用についてもっと慎重であるべきだ」と語られているわけですが、私たちはこの言葉を、もっと広い立場の人が受け止めるべきものとして捉える必要があります。
とくに私たちにとって大事なのは、あのまったく理不尽なイラク戦争、現在のシリア・イラク問題につらなる人殺しの連鎖を作りだしたイラク戦争を全世界でもっと早く支持したのが日本の小泉首相であったことです。

私たちが深く反省しなければならないのは、この時、イラク戦争とそれへの日本政府の加担を止められなかったことです。
この点で私たち自身が、シリアやイラクの今の混乱に責任の一端を負っているのです。あのときこの国の大多数の人々が「対テロ戦争」の呼号に負け、日本の加担を許してしまい、イラクの人々があたら殺されていくことを見過ごしてしまったのです。
その延長に現在のシリアやイラクの混乱はあります。けして私たちと無関係なところで起こったことではないのです。

にもかかわらず小泉元首相はその後、一度もこのことを反省していません。またこの国でこのことを問う大きな運動も残念ながら起こせていません。私たちはここに立ち戻って考え直す必要があります。
安倍首相もまたこのとき、自民党幹事長として小泉政権の戦争支持政策を担いました。完全に間違った政策、戦争支持政策を行った責任者の一人です。そんな人物に「安全保障」などを口にする資格は当然にもありません。
私たちはなんとしてもこの非道を正さなくてはなりませんが、その際にもっとも大事なとっかりとなるものが「テロ」という言葉の使い方だと僕は思います。

この言葉を使う時、私たちは私たちがあのイラク戦争のときに何ができたのか、どのように行動したのか。「テロ」という言葉といかに向かい合ったのかを己に問うことが大切です。
そして私たちが止められなかった戦争で亡くなった人々、傷ついた人々に思いを馳せましょう。その上で、パリの襲撃事件のようなさまざまな否定的で悲惨な事件が起こっていることも捉え返し、その解決の道を探ることを志しましょう。
そうすれば自ずと「テロ」という言葉の使用へのそれぞれの慎重さが生まれてくるだろうし、何よりもそのことがこの国をファシズムへとけして向かわせないしなやかな抵抗力に連なっていくと僕は思うのです。

連載終わり

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