守田です。(20160225 11:00)
昨日24日に東京電力がとんでもない発表を行いました。社内マニュアルに従えば福島原発事故後3日目にはメルトダウンと判断できたのに、マニュアルの確認がなされずにメルトダウンの発表が5月12日まで遅れたということでした。
しかしこれは大嘘です。マニュアルには燃料の損傷が5%に至ったら炉心溶融=メルトダウンと判断すべきと記されていたのですが、3日目で明らかになったのは1号機で55%、2号機で30~35%の燃料が損傷していたことでした。
止まっていた計器が回復したことでこの時点で分かったわけですが、どう考えたって、「損傷5%でメルトダウンと判断」などというマニュアルがなかろうとも、55%も破損していて判断ができなかったはずはないのです。
この時、明らかに東電はメルトダウンの事実を隠蔽したのです。いや5月12日まで隠蔽し続けたのです。
これは二つの点で重大犯罪です。一つに事故対応の基礎中の基礎になる事実認識を捻じ曲げることで、事故対応に歪みを生じさせたこと。
二つにメルトダウンが3日目で明らかになっていればもっと広範囲の避難が必要だったこと。また事実そのようにして避難が拡大されれば、多くの避けられる被曝が避けられたことです。
にもかかわらず東電がメルトダウンを隠蔽したことで、たくさんの人々が被曝してしまい、さまざまな被害を受け、健康への絶大な不安を抱えざるをえなくなってしまいました。大変な罪作りです。
さて昨日、東電の発表に対して緊急に書いた記事の中でここまでのことを明らかにしましたが、今回は、ではなぜ東電がメルトダウンを隠したと思われるか、またそのことが社会的に意味するものは何かということを明らかにしたいと思います。
その際、参照していただきたいのは、昨日の記事の末尾にも掲載した2011年5月14日づけで僕が発表した以下の記事です。
明日に向けて(111) 「1号機メルトダウン」公表の意味するもの
2011年5月14日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7afed55aadc2f43fabdbecf0cd6600eb
ちょうど初めての東北訪問の最中に、東電がメルトダウンの発表をしたことを受けて書いたものですが、その際、僕は元日立の圧力容器設計士・田中三彦さんが、3月26日に原子力資料情報室の場を借りて行った発表を紹介しました。
以下、当時書いた記事を抜粋します。
「1号機で起こったのは、おそらく冷却材喪失事故
まず1号機でメルトダウンが起きた問題で重要なのは、なぜ、どのようにして、それが起きたかでしたが、元日立の設計士・田中三彦さんは、3月下旬に重要な解析を行い、原子力資料情報室の会見で明らかにしていました。
田中さんが着目したのはこのころにやっと明らかになった各原子炉のパラメーターでした。それを解析して田中さんは、事故直後に1号機で、冷却材喪失事故が起こった可能性が高いことを示唆されました。
当時、東電と政府は、起こった事故は電源の喪失であると語っていました。冷却ポンプが動かなくなり、緊急冷却装置も作動しなくて、水を送れなくなった。そのために冷却ができなくなったと言っていた。
しかし実際に起こったと思われるのは、炉内にたまっていて、燃料棒を包んでいた水も、一気に抜けてしまったことでした。原因として考えられるのは、配管系統の深刻な破断などでした。
このため、燃料棒は一気にむき出しになり、高温化していった。このため被覆管のジルコニウムが水素を出しながら溶けていき、中にある燃料ペレットがバラバラ下に落ちた。しかもペレットも高温化し、溶け出した。
これは水が送れなくなったことよりも、はるかに重大な事態でした。水を溜める機能に何らかの損傷が起こったからです。それの持つ意味を田中さんは社会的なものと、技術的なものに分けて説明された。
何と言っても重要なのは、このとき、1号機はメルトダウンが原子炉格納容器の破断を引き起こし、破局的な事故に発展する可能性があったことでした。にもかかわらず、東電と政府はそれを住民に伝えるべき義務を怠った。
同時に技術的には、この事態は1号機が何らかの深刻な損傷を抱えており、冷却のための水の保持が困難になっていることを浮上させていました。修復の困難さが、この解析の中で浮かび上がってきたのです。
これについて、僕は「明日に向けて(5)」3月28日で特集しました。詳しくは下記をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c587a4b12542da359d0ea03a16079ab4」
(引用は以上)
ここで田中三彦さんが福島原発の各炉のパレメータ―の解析から導き出されたのは、1号機で冷却材喪失事故が起こっていたという重大な事実でした。原発の事故の中で最も「あってはならない」とされてきた最悪の事故です。
田中さんは「私の知る限り、これまで世界で起こったことのない事故だ」とも指摘されています。メルトダウンはその結果、生じたのです。
これに対して東電は、今日まで津波によって電源が喪失し、冷却機能が働かなくなったからだと言い続けています。
しかし田中さんが指摘したのは、津波に先立つ地震によって重大な配管破断がおき、冷却材=水が一気に抜け落ちてしまったということです。
しかもこうした最悪の事故が生じたときでも、「緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動するから大丈夫だ」と原子力推進派が語ってきたにも関わらず、電源喪失のために「最後の砦」すら作動しなかった。
この点についてこの時、田中さんは以下のように述べています。
「こうしたデータから言えることは1号機では、ほとんど間違いなく世界で最初の冷却材喪失事故が起こっていた、非常に深刻な事故が始まっていたことを意味する。
社会的な問題というのは、こういう事態がおきて、ECCS系が作動しないのは緊急事態の中の緊急事態だったということ。
ECCSが作動しなくて、止めようがないのだから、どうなるかわかない状態で住民をできるだけ早く、遠くに避難させる判断が行われなければならなかった。」
そうです。事態は緊急事態の中の緊急事態だったのです。
同じメルトダウンでも、配管が破断して水が一気に抜けてしまって起こったのと、電源が喪失して冷却機能がダウンしてしまって起こったのとではわけが違う。
なぜかと言えば、前者では電源が回復しようが、抜本的に冷却系統が壊れてしまっているわけですから、機能回復の可能性などないに等しく、安全性の担保がまったく覚束ないからです。
まさにもはや事態の進行が止めようのない状態になっていたのです。その後に何が起きるかも分からない状態だったのです。だからこそ住民をできるだけ早く、遠くに避難させなければならなかったのでした。
いや実際にこの14日の後に2号機格納容器の深刻な破損をもたらした爆発が起こって大量の放射能が飛散したし、さらに15日以降に、それまで漏えいしていた放射能量を3倍も上回る膨大な放射能漏れが断続的に起き続けたのです。
だからあのとき、14日の時点で事態が明らかにされたら、たくさんの人々が避難することで被曝を避けられたのです。一時的な避難でも大変大きな防護効果があったはずです。
実は多くの証言によって明らかになっていることは、このとき東電が社員の家族を逃がしていたという事実です。東電の社員の家族に友人がいて「本社が逃げろと言っているからあなたも逃げて」と言われた方もいます。
東電が社員の家族を逃がしたことが間違っていたのではありません。東電はそれを大々的に公表すべきだったのです。それをしなかったことこそが重大過失であり犯罪です。
「メルトダウンが発生しました。もはや何が起きるか分からない状態です。わが社はすでに社員の家族に避難を命じました。みなさんもお逃げ下さい!」・・・東電は家族に対してだけでなく、多くの人々にそう語るべき絶対的な義務がありました。
この時、広域の避難指示を誠実に実行したならば、多くの人々が被曝を避けれたでしょうが、同時に日本の原発政策は完全にとどめをさされていたでしょう。
にもかかわらず東電は、原発を守るために、社員の家族をのぞいて人々を被曝から守らなかったのです。本当にあまりにもひどい企業です。
第二に、津波に先んじた地震によって配管破断した事実から明らかなのは、日本中の原発の耐震設計が見直されなければならないことです。
津波への対応ならば、非常用電源を津波の届かないところに配置するなどの対応が考えられますが、耐震設計が間違っていたことが明らかになると、全ての原発が運転できなくなります。
いや実際にもしてはならないのです。福島第一原発が地震で壊れたのだからです。東電はこの事実の露見を恐れ、冷却材喪失事故によるメルトダウンの発生という事実を全面的に隠蔽したのでしょう。
これほどひどい犯罪が行われたのですから、電力会社の信用は100%失墜したと考えるべきです。
また現在の新規制基準は、この重大な事実、電力会社による事故時の犯罪的な隠蔽の事実を教訓として取り入れてないのですから、まったく不十分なものであり、再度、考察されなおすべきであって、そこからも再稼働は絶対に認められません。
にも関わらず多くのマスコミがまたしても東電によってやすやすと違う方向に誘導されてしまっています。マニュアルの発見が5年も遅れたことが悪い・・・という方向にです。問題はそんなところにはありません。
私たちは今回の事態がメルトダウンの隠蔽=冷却材喪失事故の隠蔽であったことをはっきりつかみとり、多くの人々をあたら被曝させた東電の責任をこそ追及し続けましょう。
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