守田です。(20160212 17:30)
北朝鮮のロケット発射や核実験に関する考察の続きです。
前回は本来「六者協議」として行われているものが「六か国協議」にすり替えられ、背景が見えなくされている問題について指摘しました。
今回はマスコミなどに良く見られる「国際社会の連携、ないし一致で、外交努力で北朝鮮に自制を促せ」・・・等々の論調の誤りを指摘したいと思います。
そもそも「国際社会」とは何でしょうか?ここからして考察しなければなりません。
北朝鮮がロケットを打ったことで批難されるのは、北朝鮮も参加する国連がロケット発射を禁止しているからです。前回も指摘したようにロケットが大陸弾道弾と同じ技術だからです。
これに対して北朝鮮は宇宙の平和利用は主権国家としての権利だと主張して、国連の禁止事項はおかしいので従わないと言っているわけです。
このことの是非は今は横におくとして、ここから言えることは無前提的に使われている「国際社会」とは「国連」を中心とした世界秩序のことだと言えます。
国連はもともと日本・ドイツ・イタリアなどを枢軸国(Axis Powers)と戦争を行った連合国のことですから、中心国はアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国(常任理事国)だということになります。
これらの国を中心とした国々の連携で北朝鮮に自制を促すということになりますが、そもそもここに大きな矛盾があります。
第一に前回指摘したように「国際社会」の中軸国たるアメリカと北朝鮮は交戦状態です。いやより正確に言うならば1953年の休戦協定に調印しているのはアメリカ、北朝鮮の他、中国ですから、朝鮮戦争をめぐっては米中とて休戦状態です。
といっても米中両国の緊張関係そのものは1972年の米中共同声明を経た1979年の国交正常化により緩和しており、戦争状態は集結していると言えますが、北朝鮮とは休戦状態であるだけでなく、極めてシリアスな関係が続いてきました。
とくに重要なのは、2001年の911事件を経て、ブッシュジュニア政権が「イラク・イラク・北朝鮮」三国を「悪の枢軸(axis of evil)」と名指し、限定的な核の使用も辞さないという攻撃姿勢を示したことです。
これに対し北朝鮮は「アメリカによる事実上の宣戦布告だ」と声明。自衛の名のもとに対抗的な武装を進めてきました。この点でそもそも軍事的緊張関係を促進してきたのはアメリカの側であることをおさえなくてはなりません。
しかもより深刻なことに、アメリカはイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているとしてさんざん査察を強いた上で、最終的にイラクに米英を中心とする連合軍で攻め込み、国家転覆を行ってしまいました。
しかし攻め込んでみたら大量破壊兵器などありませんでした。イラクはとんでもないいいがかりで攻め込まれ、蹂躙され、大量の国民を殺害された上に国家を崩壊させられてしまったのでした。
このとき北朝鮮は「イラクが査察に応じたのは愚かだった」と声明しています。アメリカを信じて査察などに応じたからいけない。アメリカを信じないで対決すべきだったというのです。
最も対決と言っても実際の戦争になったらとても勝ち目などない。このため北朝鮮は核武装化を促進し、アメリカの攻撃を抑止する道を選んだのです。かくして北朝鮮は2005年2月に核保有宣言を行い、2006年10月に初めての核実験を強行したのでした。
こうした歴史的経緯を捉えるならば、国際社会なるものがあるとするならば、まずはイラク戦争のあやまりを捉え返すべきであることは明らかです。関与した国の責任をはっきりとさせ、首謀者を処罰し、イラクの人々に戦後賠償を行うべきです。
日本で言えば小泉政権のもとに戦争に関与した人々を裁かねばなりません。自民党幹事長としてイラク戦争支持の指揮を執った一人である安倍首相も厳しく訴追されなければならない一人です。
このことを誠実に行いつつ、それこそアメリカに自制を促し、米朝平和条約の締結によるアジアの戦争要因の除去に向かうことこそが「国際社会」の歩むべき道です。
一方でこの点を踏まえた上でおさえるべきことは、軍事的緊張関係を作り出したのがアメリカの側であるにせよ、北朝鮮の核武装は認められるのかということです。答えはもちろん否です。絶対に認められるわけがありません。
ではなぜNOなのでしょうか。核を抑止力で持つと言っても、効力を発揮するためには実際に敵国で破裂させる性能を持っていなくてはなりません。そしてそうである限りそれは実際に使用される可能性を持っています。
しかし一度使用されれば、核兵器は軍隊と民間人を分けずに無差別の大量虐殺を引き起こすのです。しかも放射能によって戦争終結後も人々を苦しめ、殺し続け、さらに世代をまたがった傷害まで引き起こします。
もっとも許しがたい戦争犯罪が原水爆の使用であり、だからこそ北朝鮮の核開発は、理由がどうあれ認められるものではないのです。
ただここまで述べればお分かりだと思うのですが、それは何も北朝鮮の核だけに限ったことではありません。いかなる国が使用しようとも原水爆投下は最も許しがたい戦争犯罪であり、だから開発も配備もけして認められてはならないのです。
ところがこのことは国際社会の常識にはなっていません。それどころか国際社会の中軸をしめるアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国こそが最も核を保持しており、抑止力であるとして正当化しているのです。
どうしてこの国際社会に北朝鮮に対する説得力のある批判ができるというのでしょうか。できるわけがないのです。自分たちは持っていていいがお前はダメだと言うのですから。
国際社会がイラク戦争の反省とともにすべきことは、このような核肯定の常識をも反省し、核兵器廃絶に真剣に向かうことです。二度と人類の上に同じことが繰り返されてはならない。だからこそすべての核兵器を認めない合意を確立しなければなりません。
まとめましょう。もともと北朝鮮が求めているのはアメリカとの交戦状況の最後的な解消です。米朝平和友好条約の締結こそがそのメルクマールです。これが結ばれればアジア全体の平和と安定が促進するのですから私たちもこのためにこそ努力すべきです。
しかし在韓米軍と在日米軍を維持したいアメリカと、戦争法のもとアメリカと肩を並べる軍事大国にのし上がりたい安倍政権は、ともに真の平和を望んでいません。このために平和条約締結に向けた北朝鮮のアピールを無視し続けています。
それどころか、北朝鮮を「悪の枢軸」のように描き、軍事的な脅威を煽り、対抗的な武装や沖縄の基地の維持を人々に納得させようとしているのですから、けしてこの策謀に巻き込まれてはならないし、その狙いの暴露こそがなされなければなりません。
この点で「国際社会の連携で北朝鮮に自制を促す」などという論にけして与してはならないのです。むしろ国際社会がイラク戦争の反省を行い、責任者の処罰をすることこそが世界に平和と安定を取り戻していく道です。
さらに北朝鮮の核武装を止めさせていく点でも、国際社会こそが、核武装の肯定を止めるべきなのであって、そのために私たちは何度でも広島・長崎の原爆投下が最も許しがたい戦争犯罪であることを訴えていかなくてはなりません。
いやその先に私たちは、もう自衛の名のもとに戦争を肯定し、繰り返してきたこの世界の野蛮なあり方を越えようとの声を発するべきなのです。その意味で憲法9条を世界に広めることこそが、戦争と核兵器をなくし、世界を救う道です。
そんなことは夢でしかないとおっしゃるかもしれませんが、しかしこの道こそが、核武装を肯定し、イラク戦争のような一方的な侵略戦争をも肯定して裁けずにいる「国際社会」を変える道です。
そしてそのような真に平和をめざす運動が国境を越えて広がる中でこそ、北朝鮮のような国家も武装を解除していく展望も作りだされていくでしょう。実際には経済的に貧しく民生部門への投資を増やして豊かになりたいのだからそれは可能なのです。
だから「国際社会」の実体である、核で武装した国家官僚たちなどに依拠せず、各国の中にたくさん存在している、戦争を嫌い、平和を求める民衆にこそ依拠して歩んでいくことこそが大切なのです。
あくまでも、どこまでも、”Love & Peace”で歩んでいきましょう!
続く