昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

スピンオフ作品 ~ 名水館女将、光子! ~(十)(周囲の目:一) 

2024-05-24 08:00:29 | 物語り

「光子さん、あなた、何さまのつもり? 若女将と周りから言われて、いい気になってませんか! 
いいこと、若女将というのは、雑用係みたいなものですよ。
仲居たちの手が足りないところを補っても、頼まれてからでは遅いんです。
気配りが足りませんよ、あなたは。
豊子に聞きましたよ、『そんなことをするために、若女将になったんじゃありません』って、ご不浄の掃除を嫌ったんですって?」。
「ご不浄の掃除はね、最も大切な仕事の一つです。
ここで気分良く滞在して頂けるかどうか、それが決まると言っても過言ではありませんからね」
と、きつい言葉で詰られた。

「女将さん、違います。後でやりますって言ったんです。
清二さんがお腹が痛いと言いますので、お薬が切れていましたし、ちよっと買い物に行くつもりで、、、」
「口答えはやめて! 清二に聞いたら、それほどでもなかったというじゃないですか」 
 光子の1年後輩の仲居が呼ばれて証言をした。
「確かに清二さんが痛がってみえましたが、若女将に甘えてらっしゃったんじゃないですか。
わたしにはそう見えましたけれども」。
軽く頭を下げると、そそくさと出て行った。

入れ替わりに清二が入ってきて、バツの悪そうな顔つきで光子に対し
「悪かったな、さっきは。あんなに簡単に騙されるなんて思いもしなかったよ」と、ケロリとした表情を見せた。
あれほどに騒いだ清二が、死ぬ死ぬと大騒ぎをした清二が、珠恵の前に正座をしている。
「本気にするとは思いませんでした」。そして「ぼく、役者になれますかね」と、しれっと言った。

 以来、光子の清二に対する、心苦しさそして己を咎める気持ちが消えた。
(出逢いは最悪だったけれども、若女将になれたのはこの清二さんのおかげなのよね)。
そんな思いが湧いていた自分が情けなくて、笑うしかなかった。
そしてその笑いが珠恵に見咎められて、
「もう一度下働きをやって頂戴。お作法はそれからにします。
ですけど、活け花に日本舞踊、それとお茶にはきちんと通いなさい。
これは時間をかけてじっくりと覚えなさい。
あなたのような貧乏人には勿体ないことですけどね。
ほんとにまあ、親御さんの顔が見たいものです」。
何かにつけて付け加えられる、『親の顔が見たい』という言葉が、光子にとって一番の堪えることだった。

 明水館には、毎年一人の仲居見習いとして他旅館の娘がやってくる。
その殆どが半年ほどで終わりとなるが、時に物覚えの悪い娘も出てくる。
その場合でも1年で帰される。
明水館としての仲居も入ってくるので、それ以上の期間は負担となるのだ。
そしてその教育係として、光子が当たることになった。
例年だと古参か中堅の仲居が付くのだが、豊子の提案で光子が当たることになった。
人の動かし方の良い勉強になるというのが、豊子の言い分だった。
光子にとっても若女将修行の良い息抜きになるのではと思い、即快諾した。

 豊子の光子に対する気遣いだと受け止めたが、思い違いだったということをすぐに思い知らされた。
ふたりの娘の失敗がすべて光子の責任だと、大女将の叱咤を受けることになった。
教えていないことの失敗ならば、光子の責任だと責められても仕方のないことだと思う。
しかし二度三度と同じ失敗を繰り返されては、光子にはどうすることも出来ない。
といってそのことを口にすれば、それでまた叱咤を受けることは目に見えている。
といって、その怒りを見習いに向けるわけにはいかない。
ただただひたすらに、頭を下げるしかないのだ。

 旅館の娘ならば、幼い頃から親の背中を見て育ったいるだけに大抵の基本はできている。
しかしまったくの新入りとして入ってくる娘には、殆どすべてが初めてのことで戸惑うばかりことだらけだ。
襖の開け閉め、お茶の出し方等々、基本の基本から教えなければならない。
光子自身もそうだったと、今さらながら人を教育することの難しさを実感した。
また人それぞれに資質があり、傾向的に旅館の娘やら商家の娘たちは叱られることに慣れていない。
すぐに泣き出す娘やらその場から立ち去るなど、性根的に弱いところがあると感じた。



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