難色を示していた真理江が、佐多の懇願にちかい説得によって、五平との婚姻を受け入れた。
将来の社長含みとしての五平を受け入れた。
風采のあがらぬ三十半ばの男を、夫とすることに同意した。
〝もう女としての幸せは捨てるわ。
父の言うとおり、行くゆくは富士商会を一部はムリとしても二部にでも上場できる会社に育て上げるのよ。
その五平とやらいう男を使ってそだてあげるのよ〟と、おのれに言い聞かせた。
武蔵の息子に社長職をゆずることになるとしても、二十年いや三十年はかかるだろう。
真理江には子ができない。
先の流産で、「子どもは難しいかもしれません」と告げられた。
離縁は、そのことが理由でもあった。女でなくなった、そう告げられた気がした。
〝それならそれでいいわ。おんな男になってやるわ〟と、生来の勝ち気な性格が頭をもたげた。
そして父親から受けついだ出世欲が、真理江をして事業欲に目ざめさせた。
「真理江。おまえには辛い道のりになるかもしれんが、父の夢をはたしてくれ。
富士商会は博打企業だ。社長の勘で商売をしている。
ワンマンというのは伸びやすい。しかしかならず頭打ちとなる。
ある規模に達すると、成長が止まってしまう。そして代替わりすると、ほとんどが衰退していく。
二代目が悪いんじゃない。組織経営というものを取り入れられないからなんだ」
書斎で、真理江相手に熱弁をふるう。
真理江も神妙な面持ちで聞いている。大銀行の、日本一の支店長まで駆け上がった父親のことばだ。
ひと言も聞きもらすまいと、ときにメモをしていく。
「おまえは表舞台には立てない、残念ながらな。加藤専務が社長になるだろう。
だから、軍師として黒田官兵衛になるんだ」
今太閤と賞賛されている豊臣秀吉のお抱えである黒田官兵衛、真理江も知ってはいる。
しかしなぜいま、その名前が出てくるのか、佐多の意図が分からずにいた。
「これから式を挙げるまでの短期間、おまえを銀行によぶ。そしてわたしの秘書のひとりにする。
徹底的に教えてやる、取引先につれ回る。実地も兼ねてのことだ。
外部には、おまえの体裁を整えるためとみえるだろう。
陰口をたたく者がでるかもしれん。言わせておけば良い、そんなものは。
お父さんは、本店に行く。そして役員になる。そしておまえをバックアップしてやる。
おまえは、富士商会を一流企業にしあげなさい」
慈愛にみちた笑顔なのに、その目は冷ややかなものに感じられた。
〝おとうさま。きれいごとはやめましょうよ。
はっきりとおっしゃって。頭取をめざす、と〟
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