昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百三十五)

2024-08-06 08:00:49 | 物語り

 時間がさかのぼって、朝の七時を少し回ったときだ。
正面玄関ではなく、横手にある救急窓口から院内に入った。
救急外来の受付の前を通り、「お早いですね、今日は」、という事務方の挨拶には帽子をあげて応えただけだった。
まだ外来が機能していない時間帯では、人の動きもない。
普段ならごった返すうす暗いロビーを通り、受付前のエレベーターで武蔵の病室へと向かった。
ドアが開くと、その前に看護婦詰め所があり、数人が机でカルテに書き込みをしている。

「おはよう」
 ここでは中の看護婦に声をかけて、叩き起こした菓子店で買いもとめた饅頭を差し入れた。
「いつもありがとうございます」と、武蔵専属になっている看護婦が受けとった。
五平が部屋に入ると、武蔵の軽い寝息が聞こえてくる。
閉じられたカーテンのすこしのすき間から入りこむ光は、客用のテーブルの角を照らしているだけだ。
部屋の灯りを点けると同時に、武蔵の声が五平に届いた。
「はやくにすまんな」
 力ない声ではあったが、静かな部屋では十分に聞きとれる。
「とんでもないです、社長。あたしこそ仕事をいいわけにお見舞いにもきませんで」 
 
 本音だった。すこしの時間ならば、いくらでも作れる。来ようと思えば毎日でも寄れるのだ。
しかし、あとにしよう、いや明日にしようと、一日延ばしにしてしまっている。
前回は、三日前だった。仕入れ先のひとつが、契約内容の変更を申し入れてきた。
なんのことはない、武蔵の入院生活が長引いていることを危惧し、支払い条件をすこし厳しくしようというのだ。
その仕入れ先については曰くありで、武蔵からペナルティ的に、唯一手形決済をさせられている。
といって、他の仕入れ先には翌月現金払いということではなく、常に取引金額の半分が翌月回しとなっている。
日本商事との安売り合戦が尾を引き、資金繰りの悪化を立て直すだけの時間がほしいと迫ったのだ。
 一部取引を控えた会社もありはしたが、ほとんどが渋々了承した。

 手形決済をされている会社というのが、結局はそのままの取引をということになり、ならばと手形決済となっているのだ。
それを、他の会社同様の条件にしてほしいと言ってきた。
武蔵の存在あっての富士商会であり、不在の現状では信頼関係が弱まるということだ。
ただ、五平と三友銀行日本橋支店長との姻戚関係ができあがったことで、資金繰りに関して盤石の態勢ができあがったことは事実なのだ。
本音の部分では、武蔵の病状伺いといったところなのだが、そのまま口にすることもできない。
で、弱気になって条件を緩めるか、それともそのままということになるのか、それで病状の判断をしようということだ。
「いままでどおりに」。五平の中では結論は出ているけれども、いちおう武蔵の思惑を聞いておきたいと思ったのだ。



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