昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~地獄変~ (七)のれん分け

2024-04-03 08:00:39 | 物語り

そして約束の二十年目に、ご主人さまの勧めで店を開くことになりました。
いわゆる、のれん分けでございます。
もちろん、ご主人さまのご援助のもとでございます。
その一年後には、大東亜戦争の勃発で赤紙が届き、すぐにも入隊の運びとなってしまいました。

しかし、なにが幸いするのでしょうか。
和菓子の製造で体を蝕まれていたわたくしはー兵役検査でわかるという皮肉さでしたー、外地に赴くことなく内地で終戦を迎えたのでございます。
しかも幸運にもわたくしの店は戦災を免れまして、細々ながら和菓子づくりを再開したのでございます。
そしてその後、妻を娶りました。そうそう、言い忘れておりましたが、ご主人さまは東京空襲の折にお亡くなりになっていました。
奥さまもまた、後を追われるように亡くなられたとのことです。

わたくしの妻と申しますのが、そのご主人さまの忘れ形見なのでございます。
毎日々々、わたくしの店の前で泣いておられたのでございます。
御年、十九歳でございました。
それは心細かったことでございましょう。

ご親戚筋が、長野県におみえになるのでございますが、疎開されることなくご両親と共だったそうでございます。
ご主人さまのご恩への、万分の一でものお返しというわけでもございませんが、お嬢さまのお世話をさせていただきました。
そのことがご親戚筋の耳に届きまして、すぐに所帯を持たせていただくことになった次第でございます。

もちろん、おそれ多いとご辞退したのですが、お嬢さまの「いいよ!」の一言で決まりましてございます。
非常にご聡明なお方で、女学校にお通いでございました。
わたくしといえば、ご承知の通りろくろく小学校にも行っておりません。
釣り合いがとれないからと、なんども辞退をしたのでございますが。

とまあ、世間さまには申し上げて参りました。
いまでこそ申し上げられますが、お嬢さまは戦時中“アカ”と呼ばれる国賊と、いまでいう同棲生活を送っておられたのでございます。
とは言いましてもわたくし自身がお嬢さまに対して好意を持っておりましたので、そのお話には心底から喜んでおりました。
たゞ、よもやその国賊の子供を身ごもられていることなど知る由もございませんでした。
いまにして思えば思い当たる節もございますが、

なにしろ終戦直後のことでごさいます。
単なる早産と思っていたのでございます。
ええもちろん、妻は死ぬ間際までそう申しておりました。
が、わたくしにはわかっているのでございます。
知らぬこととはいえ、そんな妻と三十年余り連れ添い、その娘を実の娘として育てたのでございます。



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