昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百十七)

2024-04-02 08:00:20 | 物語り

「いえ、わたしごときが口にするようなことではありませんでした。
沢田さん。いまのことばは忘れてください。がむしゃら、わたしどもがやってきたことです」
 あらためてことばを作ってみたが、どうにもつなげることはできない。
しかし武蔵の気持ちはつたわったらしく、「がむしゃら、ですか。たしかに。肝に銘じます」と、感謝の念を示した。
「あらあら、あたしったら。社長さんにお茶も出しませんで」
 細君があわてて奥へと引っ込んだ。

 間口は5間ほどで、奥行きはしっかりとある。
その奥がガラス戸になっているところをみると、案外のところ中庭をはさんでの倉庫があるのだろう。
両壁際に設置してある五段棚に作業工具やねじ類などの商品群が整然と並べてある。
その種類の多さが、この店の規模感から考えると多すぎるように武蔵にはみえた。
左手のすこし奥まったところに階段があり、いまは2階が住居になっているようだ。
いかにも戦後に商売をはじめたという観で、店主の沢田は35歳だという。

 意気投合した武蔵と沢田は、細君がとめるのも聞かずにすこし先にある飲み屋ののれんをくぐった。
そこは立ち飲み専門の店で、仕事にあぶれた者たちがたむろする場でもあった。
「みたらい社長。ぼくもねえ、あきえと会うまではここの常連だったんですよ。
人に自慢することでもないんですが、特攻くずれでしてね。
故郷にもどったんですが、そりゃもう、白い目で見られましてね。
村八分にちかいようなぐあいになりまして、でとうとうこっちに。
もうなにもかもがいやになって、飲んだくれていました」

 その日は仕事にあぶれてしまい昼過ぎまでふて寝をしたあとに、ここで飲みはじめたときのことだという。
店の前を逃げるように走って行く女がいて、そのあとを三人の男たちが追いかけてきた。
どうやら近くにある赤線地帯からの、足抜けと称される脱走劇らしい。
侠気をおこしたといえば聞こえが良いが、じつのところはごろつきとの喧嘩に走っただけのことだった。
その理由づけに、「かわいそうな女を助けようとした」が欲しかったに過ぎない。

 そんな顛末の末に、「あきえ、いや本名かどうかはわかりませんがね、所帯を持ちました。
不思議なもんですねえ。ひとりのときにはなかなかありつけなかった仕事なのに、毎日のようにトラックに引っ張り上げられました。
ほんとかどうかはわからないんですが、地回りと一戦まじえた男として認識されたみたいで……」
 コップ酒をグイグイあおりながら、話がつづいた。
「あきえもねえ、しっかりと働いてくれましたよ。ご近所からのこまごまとした手伝い仕事でね。
えっ? この地を離れようと思わなかったのか、ですか。
そうなんです。あきえがいうにはですね、ここらにはもうたぶん来ないだろうって言うんですよ。
灯台もと暗しってやつですよ。まさかって、思うんじゃないんですか?
いやいや、ぼくじゃありません。あきえです、あいつの発案ですわ」



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