(京の地 五)
「ぐずぐずするな! 昼餉までには戻るぞ」
京都御所ちか近くに差しかかった折には「天子さまがおられます」と深々と一礼をする丁稚にならい、ムサシも一礼をした。
それを見ていた周囲から失笑がもれて、丁稚の底意地の悪さに「お前は帰れ!」と追い返した。
吉岡道場をのぞいた折に、そのあまりになよなよとした動きに呆れ果てた。
〝これなら勝てる!〟そう踏んだムサシ、すぐさま京の町道場破りを繰り返した。
そして
「吉岡道場なるもの、公家衆御用達の棒振り剣法なり。日ノ本一武芸者 宮本武蔵」
という立て札を、宇治川、鴨川そして白川の橋近くに立てた。
この立て札に激怒した清十郎が、返答と題した立て札を京の至るところに立てさせた。
どこの馬の骨とも分からぬ男を、日ノ本一などと称することはできぬとばかりに、わざとひのもといちと書き込んだ。
「ひのもといちなる武芸者に告ぐ。我が道場を、是非にも訪ねられたし。
尺八にておもてなしいたそうほどに」
度量の狭い男よと苦笑いを番頭に見せながら、尺八とはすなわち小太刀を意味するのであろうと、逆手を取って一尺八寸ほどの棒きれを用意させた。
「ご指南いただきたい」と乗り込んだムサシだったが、当の清十郎は留守にしていた。
「生憎と、師範代もおられぬ。出直していただきたい」
古参の門人が告げるが、ムサシは大声で「大方、奥座敷で震えているのであろう」と、暴言を吐いた。怒り狂った一人が「所望!」と叫び、ムサシに打ってかかった。
待っていたかの如くにひょいと体を交わすと、手にしていた棒きれで木刀を叩き落とした。
「参った!」と叫んだにも関わらず
「参ったは、死を意味することぞ!」と、激しく打ち据えた。
ムサシの言動に激怒した門人たちだったが、冷静さを欠いたままでは、ムサシの術中に陥るだけだった。
三人の門人が続けざまに打ち倒されて、怒りにまかせた三人が同時に挑みかかった。
途端にムサシは、「卑怯、卑怯!」と叫びながら門人たちを道場内から往来におびき出した。
何事かと足を止める町人に向かって
「ひとりの我に、多数なり。逃げるが勝ちなり!」
と声を張り上げて、走り去った。
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