昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百二十八)

2024-06-18 08:00:53 | 物語り

「おお、来たきた。俺の、観音さまだ。
富士商会の姫であり、そして俺の守護霊さまだ。
さあさあ、ここに来い」
と、ベッドの端をポンポンと叩く。
強い西日の光をさえぎろうと、看護婦がカーテンの前に立った。
「おいおい、そのままにしてくれ。小夜子の顔がはっきり見えるだから」
と、怒気のふくんだ声が飛んだ。そこに、医師と婦長が入ってきた。

「なんだなんだ、今日は。小夜子とふたりだけの時間は作ってくれないのか。
先生、婦長までもか。そんなにおれは悪いのか? 
まるで臨終の儀式みたいじゃないか」
 おどけた口調で言う武蔵だったが、
「なんてことを! 先生、ちがうわよね」と、涙声で小夜子が問いただした。
己の死期がちかいことは、武蔵は知っている。
しかしそのことは小夜子には言わないでくれと、何度も武蔵が口にしている。

 気持ちの変化でも起きたのかといぶかしがる医師に対して、婦長が
「あらあら。あたしたちはお邪魔虫みたいね。さあさあ、血圧を測ってちょうだい。
お熱もね。どうにも奥さまがいらっしゃらないとわがまま三昧で」
と、その場をとり繕った。
「婦長だけだ、俺のことをわかってくれるのは。
一回の呼び出しでは来なくていい。
二回目が鳴ったら、そのときは緊急時だ」

 顔を真っ赤にしながら、なにも言えずにいる小夜子だった。
普段ならばなにがしかのことばで言い返すのだが、入院してからというもの、夫婦としての会話がまるでない。
ひと月は、武士の相手ができるわと楽しんでいたけれども、ふた月も経つと寂しさを感じてしまう。
しかも小夜子の寂しさを知ってか知らずか、武蔵はこのところにこやかな表情を見せることが多くなった。
むろん時には苦痛に歪む表情を見せることがある。
しかし武士の笑顔をガラス越しとはいえ見ると、すぐに破顔一笑となる。

ただ武士を連れて来るときには、大騒動なことになる。
本来ならば「赤児の見舞いはお断り」となるのだが、武蔵の無理強いは度を超えている。
なのでやむなく、いやがる武士にマスクをさせて、さらには肌が病院内の空気に触れないようにと、手袋をさせてつれてくる。
しかも武蔵との面会のおりには、上部がガラス面のパーテーションを部屋に持ち込んでのことになる。
そして30分以内という時間の制限もつける。
不満顔を見せる武蔵だが、万が一にも感染してはという医師のことばに従わざるをえない。

「さあそれじゃ、みんな。おふたりだけの時間にしましょう。
先生、30分ならよろしいかしら? 
御手洗さん。くれぐれも病人だということを忘れないように」

 



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