昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第一部~ (二十七)

2020-11-03 08:00:46 | 物語り

 翌日、澄江の帰宅を聞きつけた世話役連が、おっとり刀でやってきた。
「澄江ちゃん、無事だったか。良かった、良った」
「芝居一座に居たとな? 嘘をつかれたのか」
「ところで茂作さん、えらくご立腹ちゅうことじゃが、何があった?」
 裏口から顔をのぞかせながら、茂作の怒りのほどを確かめてから土間に足を入れた。
噂話の通りだとすると、そこら中の手に取れるものを放り投げているということになるが、案外に冷静な顔をしている茂作を見て安堵する世話役連だった。
激高した折りの茂作を知るのは、村の中でも長老たちばかりになってしまった。
危うく刃傷沙汰になりかけたほどだ。

 今となっては「若気の至りでした」と頭を掻く茂作だが、確かに若い頃の放蕩ぶりは隣村にまで届いていた。
ただ、野良仕事だけはしっかりとこなしていた。
日が昇り始めると畑にいる茂作を見ないものはいなかった。
そして日が暮れるまで耕している。
草取りに精を出したり、害虫が潜んでいないかと葉っぱの裏側を丹念に見ている。
「茂作の作る米にしろ野菜に白、この村いやこの界隈一帯では一番じゃろ」と、本家の大婆に自慢されるほどだ。

 ただ「お月さまが出るといかんぞ」と、近寄らなくなる。
酒がらみだった。酒が入り目が据わり始めると豹変する。
誰彼かまわずにかみつき始め、相手を罵倒する。
反論などをしようものなら、胸ぐらをつかんでの取っ組み合いとなる。
力は弱い。体が細い故もあるが、なにせ小さい。
五尺弱の背で、近在のおなご衆とほぼ変わらない。
結局は体力負けしてしまうのだが、しつこさだけは誰にも負けない。
そして手に負えないことに、手当たり次第に物を投げることだった。
だから誰しもが逃げ出してしまう。
そして酔いが覚めると、それらのことを茂作が覚えていない。
周りから責められると土下座をして謝ることになる。

 そんな茂作がピタリと酒を止めたのは、初恋の女性である初江に出会ってからだ。
遠い親戚筋に当たる娘で、本家の法事の折りに初めて見初めた。
兄の重蔵に代筆を頼み、三日と開けずに手紙を送った。
当初は一通の返事も返ってこなかったが、それがふた月を超えたときにやっと初江から返事が届いた。
茂作からの手紙のことはまるで知らず、親の意思で重蔵の嫁になるということが書いてあった。
親同士の話し合いの結果ということだ。
むろん重蔵にとっても初めて聞く話であり、茂作もまた重蔵の横恋慕でないことは分かっていた。
重蔵には親に内緒で将来を約束した娘がいることを知っているのだ。
しかしそれでも、恨み辛みの想いを消すことはできなかった。



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