そこまで思いがいたったときに、「すみませんなあ、佐多支店長。まだ起きませんか?」と、五平が入ってきた。
「またつぎの機会に、ということで……」。ソファから腰を上げて、中折帽を手に取った。
どうしたものかと考えあぐねる五平だったが、意を決して「じつは……」と佐多を押しとどめた。
「本来なら御手洗の口からお願いしなければならんのですが……」。
ことばが続かない。じれる佐多の表情をみて、「これは他言無用でお願いしたいのですが、」と言いつつ、またことばが止まった。
「なにか余ほどのことですかな? わたしも銀行員の端くれです。
お客さまの秘密は、ぜったいに外にはもらしません。
どうぞ心配なさらずにお話しください」
「どうした、五平。自分の口からは言いにくいのか」
弱々しいけれども明瞭な声が後ろから聞こえた。酸素マスクを外した武蔵が、声をかけた。
「社長。気づかれましたか、いやあ助かりました。やっぱり、あの話はもう一度……」。
五平がベッドそばに駆けよって、懇願するようにまゆを八の字にしている。
「加藤専務、もう良い。会社にもどってくれ」
そのかしこまった言い方と命令調のことばに、並々ならぬ事柄が告げられるのだと理解した佐多が、
「加藤さん。トップのお二人がいない会社はいけません。
きょうは、一日をみたらい社長との密談についやします」と、話に割りこんだ。
「佐多支店長。あなたにこんな恰好で申し訳ない」
武蔵のことばにつづけて「安静にしていてくれと、医者にいわれていましてね。じつはこの面談も、渋々でして」と、五平が付け加えた。
佐多には五平の大仰な身ぶり手ぶりに、これは演技だな、と分かった。
しかし体を起こそうとする武蔵の誠意だけは感じとられた。
ここまでの礼を尽くされては、悪い気はしない。しかし佐多にも、
“わたしも天下の三友銀行の、しかも銀行内ではいち番の優良支店をまかされている身だ”という自負がある。
ベッドの背をすこし上げることで、佐多の面目も保てる。用意された丸椅子に腰をかけて、武蔵と視線をあわせた。
「お昼過ぎには、奥さまがおみえになります。
それからと思っていましたが、それじゃあ、佐多支店長。よろしくお願いします」と、部屋を辞した。
「佐多さんには駆け引きなしでいこう。わたしも長話は、少々きついので。
他でもない、わたしの後継のことです」
佐多の想定の範ちゅうを超えたことばに、驚きの色をかくせなかった。
“すこしの間会社からはなれるので、資金繰り等の相談にのって欲しい”。
“いやいや、その程度のことなら、担当者でも十分だ”。
“案外に、引き抜きでもされるのか?”。そんな諸々の想定をしていた。
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