しかし懸念材料がある。
いま五平には、わかという内縁関係の女がいる。
ふらりと立ちよったいっぱい飲み屋の女で、転がりこんでからもうそろそろ一年になるという。
近々籍を入れるつもりだときかされている。
こまかく聞こうとすると口をにごすところをみると、なにやら過去において関わりのあった女らしい。
「じつはな……」と、佐多支店長の申し出を五平につたえた。
「えっ!」。絶句する五平に、追いうちをかけた。
「すまん、五平。俺のいたらなさからこんな結末を迎えてしまった。
俺はどうしても、富士商会をのこしたい。それは五平もおなじだと思う。
そして武士に継がせたい。まだ生まれたての赤子だけれども、その将来に富士商会という財産をのこしてやりたい。
武士に花をさかせてほしいんだ」
切々とうったえる武蔵に、五平も否はない。それが当然だと思っている。
五平にしろ富士商会はかわいい。手塩にかけてそだててきた、我が子同然だ。
いまはまだやくざな会社と評されているのだろうが、いつかはまっとうな会社にせねばならぬ。
そしてやっと武蔵にさずかったひとつぶ種の武士に、五平にとっても掌中の珠にかんじる武士にゆずってやりたい。
心底、そう思う五平だ。
武蔵が33歳で五平が38歳。ともに男盛りであり、働ざか盛りだ。
まだ20年30年と動けるし、進めるはずだ。
たしかに以前のようにがむしゃらなことはできない。
機関車のごとくに強引にことを運ぶこともできはしまい。
しかしそれは、もはや武蔵ではなくなる。そこらの社長であり、そこいらの店主に過ぎなくなる。
その無念さは、察してあまりあるものだ。万感の思いであろうし、五平もまたおなじ気持ちだ。
「もうひとつ、手があるにはある。佐多支店長には話していないが……」
五平にまでかたりまがいに話すことを苦々しく思えるが、やむを得ぬとつづけた。
苦痛にゆがんだ顔をみせる武蔵に「大丈夫ですか? あすにしますか?」と、あわてた。
「引き抜きだ。佐多をな、次期社長含みで、顧問として迎え入れる。
で、頃合いをみて交代だ」
「次期社長って、たけさん、あんた……」。ことばが詰まる。
“そんなに悪いんですか? まさかこのまま……”。思わずことばを飲みこんだ。
五平が武士をいちにん前の、いや一流の経営者にそだ育てあげることなど思いもよらない。
武蔵のいうとおり、あたらしい組織として生まれかわらせられるのは佐多だと思った。
たしかに顧問としてならば五平も納得できるし、会社のほかの者もなっとくするだろう。
しかし次期社長ぶくみとなればどうなのか。理屈としては理解できるし、ストンと腹にもはいる。
しかし実際には腹にはいらないし、情として受けいれられない。感情がじゃまをする。
五平が社長になりたいわけではない。向き不むきがあるのだ。
“俺が社長じゃ、くしの歯がぬけるように取引先がにげるだろう。第一、銀行の信用度がちがう”
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