(修行 二)
小坊主の殆どが商家の出であり、次男三男が多かった。
わがままの許される家から戒律の厳しい寺へ移り、嘆き悲しむ日々を送っている。
もしも実家に逃げ帰ろうものなら、己は勿論のこと、親兄弟、果ては親族たちのことまで非難の対象となってしまう。
そんな彼らに対して、ごんすけが吠えた。
「子をすてるおやなんていねえ!
おやをすてる子はいるかもしれねえが……」
自戒の念を込めてのごんすけの言葉に、沢庵和尚が手を打って小坊主たちに説き始めた。
「よう言うた! その通りじゃ。
みなそれぞれに親がある。
されど、憎うてこの寺へ入れたのではないぞ。
お前たちの先行きを案じての事じゃ。
それぞれに事情は違うけれども、よくよく胸に手を当てて考えてみよ。
今のお前たちならば、当時の親の心が分かろうというものじゃ」
「こんな言葉を知っておるかのお。
『寵愛昂じて尼になす』
これはのお、娘かわいさの余りに嫁に出すことができず、とうとう尼さんにしてしもうたということでの。
かわいがりすぎては子のためにならぬと言うことじゃ。
そして『兄弟は他人の始まり』とも言う。
親の存命中は良いけれども、死んだ後になって諍うことになってしもうてはということでの。
まあ、お前たちの殆どがやんちゃ坊主じゃからというのが、大方のことであろうがの」
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